写真集『神画』が8月29日に発売します。
「神様になるための旅をしようかな。」
初監督した映画の上映が一息ついたとき、帰りの車の中で、街の灯りを見ながら思いました。
ちょうど、AV女優の戸田真琴として肌を晒して活動するのも、来年の1月で終わりにすると決めていました。丸6年以上の間、私は主に男性の性的好奇心をそそるための作品に出続け、ほんとうに様々な言葉を聞きました。その中には、私のことをすでに穢れているという前提で発せられる言葉もありましたし、その言葉自体で今まさに穢そうという意志を感じるものもありました。しかし、私の肌は、はだかは、今どうみたって、ただつるんと何もかもを弾いて、からだ、として、生まれながらにここにあるという、ただそれだけのシンプルなものに見えました。
映画という、はだかよりもずっと奥の、精神の内蔵を見せてしまうような芸術をひととおり流し終え、毎日そのことについて話してきた帰り道の私には、あまりにも、からだなど、ただのからだで、そして同時に、わたしの、(ほんとうは誰もの)真ん中にいるわたしというひとつの神の、容れ物でしかないのだと思ったのです。
ふと、わたしのただのからだは、ただのからだとして、撮られたことなどあっただろうか。と考えたのです。これは馬鹿馬鹿しい問いに見えるかもしれませんが、人は、見たいようにしか、目の前のことを見ることができません。誰かの想定する理想の女、あるいは、ちょうどいい女、として撮ろうとするレンズには、わたしのからだはただのからだではなく、そのフィルターを通した「理想の女のからだ」「ちょうどいい女のからだ」とそしてそれぞれ写されるのです。わたしの神は馬鹿じゃないので、その目線で覗き込まれるときは、姿を表しません。まるで、その目線が想定する、ただのくだらない女に見えるように写るしかないのです。わたしの、生まれたときから操縦してきた、ただの、当たり前の、からだ。そして、かみさまの隠れ家としての身体。それは、撮ろうとしないとそうは撮れません。あなたが、好きでもない人に自分のほんとうの心を見せないでいるように、わたしの中にいるかみさまは、そこにかみさまがいるのだと――すべての人にはほんとうは、ひとりひとりかみさまが隠れているのだと、芯からわかっていない人には、撮ることはできないのです。
そのことを当たり前にわかっている写真家の方をひとり、知っていたので、その人と旅に出ることになりました。最終目的地を、北へ、北へ、寺山修司の映画で見たある場所へと設定して、あらゆる角度から、神聖というものの正体を勘付きながら選んだたくさんのドレスを携え、出発しました。
撮影前日に前泊したビジネスホテルから、写真家の方とふたり、朝からサウナへ行きました。ビルの屋上に露天風呂があって、そのふちに座って外気浴をしているあいだ、頂点に向かって昇る朝の陽が、薄黄色く私達のもとへ差していまいた。水面はゆれ、光が波打ち、それらは反射してわたしの肌や目の奥までなんの苦もなく届いていて、実体があるということは、光をうけとることなんだ、とぼんやりと思っていました。それを見ていた写真家さんが、「今カメラがあったら、撮るのにな。」と言って、そのときわたしはやっと、撮りたいと思うことが愛なのだと素直にわかった気がしたんです。それまではなんだかずっと、誰に撮られていても、どこか申し訳ないような、ほんとうはもっと美しいものを撮りたいんじゃないの?と拗ねているような、そもそもほんとうに撮られるということを、とっくに諦めているような、そんな態度が自分の中にありました。意識せずとも当たり前に、どこかに卑屈さがあったんです。だけれど、露天風呂に差す光がわたしの肌に跳ねっ返って模様を描くほどに、あ、わたしは、ただわたしとして撮られていいんだ。と、はじめて理解したようでした。それは、自分がうつくしいのだということを(誰もがうつくしいのだということを)芯から言葉でなく感覚で理解したような、はじめてカメラというものが攻撃のための機械ではなく愛のための機械に見えたような、そういう驚きがありました。
そうしてはじまった旅なので、これはあなた、自分の身体のうちにほんとうは個別のかみさまが住んでいるのだということをどうにも信じられなくなって久しい、あなたにこそ目にして欲しい本になりました。
わたしの身体をアダルトコンテンツで見て、「すでに見尽くした」と感じている人には、まだほんとうのわたしの身体は見えておらず、きっとその目のままで見ても、この本の中にうつる女の人を本当の意味で目撃することは叶わないでしょう。そういう人たちにとって、わたしは確かに使い古されたおんななのですから。しかし、生きれば生きるほどわたしが感づいてしまった、どうしてこんなにも蘇ってしまうのだろう、どうしてこんなにも使い古せないのだろう、どうしてこんなにも穢れなかったんだろう、どうしてこんなに長い間わたしが汚されているという前提ですすむ産業のなかを泳いできたのに、そこでのルールがちっとも、私自身に芯から適用されることがなかったのだろう、という、祝福のような寂しさは、ようやくたしかにここに写っているのです。
ほんとうは、誰も、他人に表層の凹凸のもつ価値や性的価値を測られるべきじゃなかった。そのひとの身体の、そしてそこに宿る魂の、ほんとうの価値を測ることのできる測りなどどこにもなかった。ぜんぜん途方もなく光っているだけだった。すべての人が途方もなく光っているだけだった。ほんとうは。
見ようとしないと見えないものを、人生でどれだけつくり続けていけるだろう。
そうしてたどり着いたとある場所で、わたしはたったひとつの、ここに記すべき言葉を知りました。
誰かの目線や言葉や扱いに、惨めな思いをさせられたことのある人、自分自身に対して"汚れている"と感じたことのある人、かみさまは自分のなかにいるのだと、まるで信じられる気がしていないあなたに、見て欲しい一冊になりました。
もちろん、わたしという人間を、見たことがあると思っているすべての人にも。
「神画」(こうが)、2022年8月29日に主婦の友社より発売です。
まったくあたらしい聖書をきみに抱いてほしいと願います。
「神画」発売記念イベント
■SHIBUYA TSUTAYA
9/4(日)
11:00- 女性限定トークイベント
14:00- サイン会
https://ameblo.jp/shibuya-tsutaya/entry-12752579043.html
特典:会場限定L判プリント
お申し込みサイト↓
■紀伊國屋新宿本店
9/11(日)
14:00- サイン会
https://store.kinokuniya.co.jp/event/1657680344/
特典:会場限定L判プリント
■主婦の友インフォスEC
https://st-infos.shop-pro.jp/?pid=169375678
特典:各会場限定L判プリント&ECサイト購入者限定オンライントークイベント(9/11 19:00-開催)
ありがとうございます!助かります!