優しい地球にしたいの
アイドルになりたいと思ったことがない。誰かの光になりたい、と平気で言う人のことは信用しない。自分が誰かを救える前提で、しかもその救い方が光前提なんて思考回路にたどり着くこと自体がとても遠く、私にはまるで理解できない。自分自身の存在を許してあげることさえもままならないで生きているせいで、誰かを救いたいなんて言えちゃう人は羨ましいな、きっとまっすぐに明るい場所を歩いて育ってきたんだろうな、とつい僻んでしまうからだ。アイドルになりたいと思ったことはない、というよりは、アイドルになりたいかなりたくないかを考えたことさえも一度もなかった、という話だ。それは今も変わらないけれど、光ろうとする人がこの世にいることに強く、ありがとうと思った。ひたすらにここで光ることが、最後には誰かを救うかもしれないと、そういう可能性にかけているように見えた。ZOCというアイドルグループの武道館ライブに行った。そこでそう思った。
「いつか誰かが社会の闇だと言った 僕らはみんな社会の裏方 僕がいなきゃ 日暮れない」
ステージの上で大森靖子さんがそう歌った。初めて聴く曲だった。日が昇ることが、光を浴びることが、救いのひとつであるなら、日が暮れること、今日はもう日の光の下を歩かずとも許されるということ、それも救いの一つだと思う。そして私は、するのもされるのもきっと、日が暮れるほうの救いのほうが、向いている。救われる、軽率に驚いてうれしくなってしまう。語弊があったら申し訳ないのだけれど、ZOCを初めて共犯者(振付師/現在はメンバー)のrikoさんに踊りを習うようになってからの大森さんは、日に日に強さを増すダークヒーローのように見えるときがある。私の言うダークヒーローは、これ以上の言葉がないほどの褒め言葉だ。殺されても死なない、死んでも蘇る、そして明るくて綺麗なだけのものほど讃えられる世界に、そうじゃない美しさを提示する。きれいなだけのものには、結局敵わないんじゃないか、とみじめな気持ちになった幾つもの夜が昇華されて彼女の歌う頭上にかがやいてしまう。私だって明るくて綺麗なだけで人を次々に照らすような、そんな存在になりたかった、誰かを照らしたいとてらいなく言えるあの子を僻んだって私の方が闇サイドであることは変わらないのだから自分を愛しきれない、そういう負けの夜が、あれは負けじゃなかったんだ、と思わされてしまう。今ここで驚いてしまうこの瞬間のために全部があったとしても良い、そういう一瞬だけの完璧を食いつないで生きていく、生きていくとまたこういう瞬間がくる、ZOCの楽曲はどれも生きる大前提で歌われているように聞こえた。生きるのは前提。生きるほうが面白い、生きる方がかわいい、こ綺麗じゃなくても、そのほうがかわいい。
とても色々なことがあったのだろうな、と思う。言葉では何一つ語らずとも、彼女たちの歌い踊る姿勢、魂から発する波動のようなものから伝わってくるもので、きっと遜色ない。ほんとうに色々なことがあって、良いことばかりでは決してなくて、見たくなかったものや知りたくなかったものもきっとあって、それでもステージに立っている、その両足が踏み締めているものはただの武道館の床ではないということが、痛いほど伝わってきてしまった。たぶん、世間一般の大多数の人たちが思う光りかたとはすこし異なるから、そのせいで色々なことを言われたりもするのだろうけれど、(それはたぶん、私がAV女優をしているというだけで色々な勘違いをされるのと同じくらい、言う側の想像力や思いやり、解像度の乏しさからくるものだと思う)それでもあえてちゃんと、光ろうとしているように見えた。特にメジャーデビューシングルに収録されている「AGE OF ZOC」と「DON'T TRUST TEENAGER」はそれが顕著で、光のもとを歩いてきたわけではない女の子たちが強く光る一瞬を、ものすごい輝度で目を潰すくらいわざと光らせるように組み込まれているように感じた。こんなに光ってしまっては一瞬何もかもわからなくなるから、ほんの少し救われるような気がしてしまう。アイドルが歌い踊っている、それを見ていると頭がくらくらしてなにもわからなくなって、そういうことに救われてしまうあの現実逃避の感覚さえも知ってしまったけれど、今ここにいるアイドルは、めいっぱい光りながらも、生身の生きている人間だと常に分からせ続けてくれる。
MCで大森さんは「まず自分のことをかわいい、大好き!って思っていないと出会いを繋げていけないので、聴いてくれる人たちが自分のことをかわいい、大好き!って思えるようになるような曲を作る」(記憶を頼りに書いているので細かいニュアンス等違いがあると思います)というようなことを言っていて、まず自分のことを愛して許すことにさえ辿り着いていない人たちのためにある歌が、この世に一つずつ増えていく時代、大森靖子さんが歌っている時代を生きていることを幸運に思った。大森さんの歌をパフォーマンスするアイドルがいる。ZOCはまぎれもなく新しいアイドルで、私は早く、このアイドルがトップを取る時代が一刻も早くくれば良いと思う。
誰かの光になりたいとかなれるわけないとかなろうと思うとかおこがましいとかなってほしいとか言わずになろうぜとかそういうことを考えることさえも全部後ろに置いてずんずんと歩いた先にはきっと、「誰かがなるしかないんだ」というあっけらかんとした答えがある。こんな世界最悪だし変えたいけど今更変わるわけないよなとか変え方もわからないとか変えようとして変えられなかったら苦しいよとか変わりようがないとか変えようとしても変わらないとかそんなことはもう考えても仕方なくなった孤独な同志しか居ない荒れ果てた地平で、それでも、「誰かがやるしかないんだ」という答えにまた辿り着いてしまう。もう達成されるとかされないとかそんな話はする暇がない。本当は、ずっとそんな暇はない。アイドルが光って踊っている。もらってばかりだな、と思う。生き光っている人間を見るほどに勝手に光合成する心はいつも誰かに照らしてもらってばかりで、安心する闇にだってこっそり邪魔させてもらったりもして、本当に、与えてもらってばかりだから、アイドルが笑っていて生き延びた今日を何のために使うのか、本当はもうずっとわかっている。誰かがやるしかないことを、やっている誰かがいたとしたら、同じようにしなくてもいいから、助けて、守って、応援してあげてほしい。私も、やるしかないことをやる人か、それを補助しようとする人の、どちらかには必ずなると約束しながら、今日を終える。