TOCOTOCO ストーリー その2
こんにちは、名古屋で耳リフレクソロジー、レイキ をしているひろこです。
前回に引き続き、わたしがなぜ、TOCOTOCOを始めたのかを書いてます。
その1は コチラ↓
https://note.com/tocotocohiro5/n/n0ac4508fc8cb
今回は、わたしの子育て中に感じたことです。
自主保育時代 (衝撃的な日々)
わたしのストーリーの前に、まずは、「自主保育」の仕組みについて書きますね。
自主保育というのは、
幼稚園でもなく、保育園でもないもう1つの保育として位置づけされています。
「自主」という名前の通り、自分(親)たちが主となり活動していく保育。その理念に賛同した親子が一緒に保育を運営していく団体です。
わたしたちが通った自主保育は、
各学年に有資格の保育士がおり、
幼稚園に近い自主保育の体制でした。
ここで、衝撃の1年が始まります。
1歳2か月の息子を連れて見学に行った日のこと。
親子参加のクラスなので、わたしも一緒に参加。
初めてお会いする人しかいないのに、誰もがわたしに敬語を使わない。
とても気さくで、どの方も笑顔いっぱいに、たくさんたくさん、話しかけてくれました。
それは、今まで二人きりで孤独を感じていた、わたしにとって、とても新鮮な時間で、「ここなら、子どもについてたわいもないおはなしができる!」とすぐに安心感を持ちました。
ただ…疑問も…
正直、先生が誰なのかわからない!!
だれも「〇〇先生」と呼ばない!
先生は誰かと尋ねると、
「あ、△△ちゃんを抱っこしてる人がこのクラスの先生というか…◇◇だよ!」
「??…先生はお子さんと参加??」
「ちがうよ〜、△△は私の子どもー」
よくみると、確かに抱っこしてる大人とその子どもの顔あんまり似てない(笑)なのに、二人とも楽しそう♪
この笑顔に、
わたしたちは入会することを決めました。
そのあとも、衝撃な場面はいくつもありました。
例えば、大学で習う、保育士としてあるべき姿とは「子どもの見本」環境設定の中には必ず「保育士も環境設定の1つ」として学びました。
そのため言葉づかいやちょっとした態度も「見本」と学びました。
ところが、この自主保育では
「大人も子どもも人間」
先生は、先生ではない。
生きている分ちょっと経験値が高いだけ。
だから、ありのままの姿を見せてくれるし、誰もがあだ名で呼ぶ。
そのため、おしゃべり始めたばかりの子どももその親ももちろん、気さくにお話しできるのです。
また、
見学の日のように、保育士がお母さんのように接するように、大人は我が子のみならず、どの子も我が子と同じくらい一緒に遊んだりしていました。
それは、遊びだけではありません。
オムツを替える、
ご飯を食べさせる、
泣いたら抱く、
自主保育にいる大人は「わたしのお母さん」状態!!!
この頃のお母さんはまだ手のかかる下の子がいたり、妊娠中の方もいたりする時期でもあります。わたしものちに下の子の妊娠期や産後の時がありましたが、これほど恵まれた子育て環境はないと今でも思っています。
この自主保育の中でわたしは「子どもは何もできないから大人が育てる」という固定観念が少しずつ崩れていきました。
いい意味でね。
この時の女性の姿…どんな想像されましたか?
それは、次回で…
まだ、つづく…。
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