TOCOTOCOストーリー その1
こんにちは、TOCOTOCO ひろこです。
名古屋で耳リフレクソロジーやレイキをしています。
わたしは、この19年子どもと関わる仕事や活動をしてきました。
なぜ、そんなわたしが、子どもではなく、
耳リフレクソロジーやレイキを提供しているのかをお伝えします。
幼稚園教諭時代
わたしは4歳から憧れの仕事として、短大を卒業してすぐに幼稚園教諭として2年間クラス担任として働きました。
その園は450名ほどの大きな幼稚園。
わたしはクラス担任として30名以上の子どもたちと毎日保育という中で過ごし、どの子も「今日も、幼稚園は楽しかった」という気持ちが持てるようにと指導(過ごす)していました。
それだけではなく、お迎えに来ていただいたお母様方と過ごす時間はわたしにとって、好きな時間でした。
たわいもないお話しはもちろんのこと、子どもの悩みを共感しつつどう接していくかと話したり、母親の勘というものを目の当たりにしたり、わたしにとって刺激的な時間でもありました。
そうしていくうちに、
同じ女性でも「幼稚園教諭」と「母」と、根本的にエネルギーや目に見えない愛の違いに気づき始めました。
どのお母さま方も子どもに対する無償の愛を感じましたが、
生き生きとしている女性。
毎日、追われている女性。
女性というものを無しとして、24時間母として生きている女性。
その方がいると場の空気が晴れやかに感じる女性。
全てのお母さま方に価値観や生活スタイルは違っても「女性」という目でみると見えない、あるいは見せない女性の違いを知りました。
初めての子育て
幼稚園教諭を退職したわたしは翌年には、お母さんになりました。
同級生はもちろん、元職場だった園でも、わたしより先にお母さんになった人がいなく、見た目はすごく幸せそうに見えますが、かなりの孤独を抱えていました。子どもが1歳すぎて歩けるようになるまでは、
「どういう子育てをしたいのか」という問いを
何度も繰り返していたと思います。
そのために、とにかく子どもをダシに行動ばかりしていました。
昼間は、
同じ価値観の人を探したり、
素敵だなと思う子育てをまねしたり・・・。
夜は、
子育てに関する本や雑誌(スマホの時代でない)をひたすら読みまくったり、録画しておいたテレビやPCで検索かけてをみたり、
子どもと一緒に寝落ちすることもしばしばですが・・・。
保育と子育ては同じ「子ども」を相手にしていますが、似ているようで似ていません。
(例えていうなら、おなじ「クリニック」でも、眼科と耳鼻咽喉科は違いますよね。ま、多少の知識はあるけど専門ではないということ。)
そうしていきついたのが、とある、自主保育。
初めは「どろあそび」「しぜんにふれてあそぶ」そんなキーワードに魅かれて入所しました。
自主保育とはこの後10年関わることになります。ここから、わたしの人生(子育て、暮らし、価値観、母親)は大きな転換期に入ります。