見出し画像

Path of Life 共有するせかい

ヨガのガイドをしていることや、
SNSで発信している写真や言葉から、
一部、浮世離れしたような印象を与えていることもあるようなのですが、

当たり前に笑ったり、怒ったり、悩んだり、泣いたりしています。(もしかしたら人よりもっと、かもしれない!)

結婚を意識して二人のこれまでの価値観をすり合わせていく期間からは特に、
大喧嘩といっていいものがたくさん勃発していますし。笑

そうして、大人になってから一番みっともないと思うような自分の姿にちょっとびっくりしながらも、
そんな私も相手に見せている事実を
わたし自身が許容していくことも、学びだなぁと感じながら

許し、許され絆を育んでいく、
きっと多くの人が歩んでいくであろうパートナーシップの道を歩んでいるのかな、と思っています。

さて、週末も今後の住環境のことで話し合いがこじれてヒートアップしたのですが、
次の日はいつもの森で作業をし、お昼を食べ、たくさん太陽を浴びました。

その夜話したことは、何度も聞いている話ではあったのだけれども、
わたしが彼のことを尊敬し好きだと思う気持ちの芯に近いようなことでした。

20年近く都会で暮らしていた彼が
(もともとは海や森の近くで暮らし、野山が遊び場の子供だった)
一念発起して田舎の山林に土地を買い、
薮を切り開き
廃棄物を片付け、
水の通り道を掘り、
土壌の改良をし、
石積みをし、

これらをたった一人で行ってきた過程は、彼にとって瞑想と鍛錬で、誰が答えてくれるわけでも褒めてくれるわけでもなく自己完結の世界だったということ。
「確かに自然が答えてくれている」ということに喜びを感じていたものの、それを他人と共有することはしてこなかった数年間だったようです。

それに共感する私が今はいて、
その場所を共有すること、
土地で見つける水晶をいつも手渡してくれていたこと、
自然のなかでの小さな発見、うつくしい景色を一緒に味わうことが
自分にとって何よりの愛情表現なんだということを改めて教えてくれました。

昭和の男といった感じで、わたしには理解できない「男らしさ」の美学
がある不器用な人だけれど、
お金では買えない豊かさを識っているかのような欲のなさと
生命に対する根源のやさしさを垣間見ると、

いわゆる恋人同士のようなことをあんまりしてこれなかった不満とか、
嫌だなあと思う振る舞いや、慣習も、
(これはぜったいお互いあると思うけど。笑)
あと付けのようにちいさなことだったなぁと
前を向くことができると思いました。

やっと始まったばかりの共有する世界。
この道からどんな創造が生まれてくるのだろう

これまでよりずっと鮮やかな日常を良いも悪いも感じながら、
変化を楽しんでいこうと思う新月の今日です!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?