人と自然の関わり
先の日曜、ちょうど戌の日で大安のよい日取りだったので、安産祈願に出かけました。
いつも眺めている恵那山を御神体とする恵那神社さん。集落を見下ろすような山の斜面に立つ佇まいもさる事ながら、境内にお祀りされている夫婦杉の荘厳な姿は圧巻でした。(トップの写真)
樹齢1000年といわれるこの御神木が、いつから人々に「夫婦杉」と呼ばれるようになったのかは分かりませんが、周りを見渡せば他の杉は比較的若い木が多く、人々がこの杉を「夫婦杉」として大切にしよう!と護ってきたことが感じ取れます。
もともとそうであったのか、なるほど「夫杉」はゴツゴツと逞しい印象で枝ぶりも力強く、「婦杉」はしなやかで滑らかな美しさを体現しているようでした。
男性と女性がそれぞれの美しさをひき立てあって並んでいるようなその様は、人の意思と樹木の心が合わさって、そのように育ってきたのではないかなぁと、と想像させられるものでした。
わたしは自然そのものを神とするような、古来のアミニズム的思想に何故か10代の頃から惹かれる傾向があって、古来から世界中で人と自然がどのように関わってきたかということに興味を持ってきました。
20代後半に滞在していたオーストラリアでは持続可能な自然との関わりや農の在り方を目指すパーマカルチャーの哲学に魅せられ、実践する家庭に滞在させてもらい、最終的にPDC(パーマカルチャーデザインコース)を受講しました。(諸々またどこかで書こうと思います。)
その頃日本人ということで繰り返し言われたのが、「日本には素晴らしい里山文化があるね。パーマカルチャー創始者のビルも、日本の里山文化をはじめ、各地の農村に伝わる自然と共存した暮らしを参考にしたんだよ」ということです。
今思えばそれはすごく自然なことに感じられます。
当時のオーストラリアでは、そういった農的活動や環境意識の高さが若者の間でも素敵なこととされていましたが、10年ほど経った今、さまざまな環境要因もあり、日本でもその傾向が高まっていますね。
そして近年出会った「大地再生」の考え方は、日本で生まれ育ったわたしの感性にとても合うもので、夫も偶然にもわたしと出会う前から実践、実験をしている人でした。
自然界はそのままで完璧に循環し、その美しさに人は感動し、芸術家はそれに近づこうと表現する。
若い頃は、どうしたって大自然の圧倒的な美しさには人間は敵いっこないさ、と思って居ました。
もちろんそれもそうなのだけど、手付かずの自然がとても少なくなったこの時代ということもあり、人が作りあげるものが自然界の有り様と調和していること、そんな錬金術のような意識のあり方が、なんとも美しいのではないかと思うようになりました。
時代を超えて人々を魅了する音楽や絵画ってそうゆうものですものね。
人間という生物が地球という生命体の一部であるように、自然界は人間の存在をまるごと受け入れ、関わってくれている。
一方通行ではなく相互方向のものなのだと、御神木に出会い強く感じた時間でした。
なんだか壮大な話になってしまったけれど、まずはパーマカルチャーどっぷりだった時代を思い出しながら、ベランダコンポストから始めようと思っています♡
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