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noteも人も、不完全を愛したい

先日、イチローさんがアジア勢で初めてアメリカ野球殿堂入りしました。
記者による投票において満票に1票足りなかったことについて、イチローさんは「すごく良かったと思う。生きていく上で不完全だから進もうとできる。」という内容のコメントをしていました。

その報道を見て、「さすがイチロー。一流の人は言うことが違うなぁ。」なんて思っていたら、その直後読んだ『女らしさは誰のため?』(ジェーン・スー、中野信子 共著)の中で”不完全であること”に関する記述をみつけました。

本書は、主にコラムニストのジェーン・スーさんと脳科学者の中野信子さんの対談形式になっています。
生きづらさの話題の際、中野さんの”生きづらさがなくなったのが37歳くらいだったこと”、”それまでなぜ生きづらかったかというと、ずっと不完全な感じがしていたから”、という話の流れでの中野さんの発言。

自分にはちょっと足りないから何かを足せば人間になれるんじゃないかと思って、あれこれ頑張ってみた。それで次の電柱まで息をしないで走る、みたいなことを繰り返していた。でも、周囲を観察してみたら、「あれ、意外とみんなも完全じゃないよね?」ってことを遅ればせながらようやく気づいて、そのことに気づいたら、別に完全じゃなく生きることのほうが面白いのかも、と思えるようになったよね。

『女らしさは誰のため?』ジェーン・スー、中野信子 共著 150頁

イチローさんのコメントは”不完全は成長の余地があるから良い”ということなのかなと思うから、中野さんの発言と全く同じ意味とはいえない。
でも両者とも、不完全であることを認めて面白がっているという点では共通しているのではないでしょうか。

完璧な人など存在しないと頭ではわかっていても、それを求めるのは人間の性という気がします。
それをモチベーションにして自分の成長につなげられたらいいけれど、劣等感を抱いて自己評価を下げてしまうこともある。

私はというと、完璧主義でつい頑張りすぎるほうです。
子どもが生まれるまでは、目標に向かって努力できたり完璧主義がいい方向で作用していた気がします。
でも、努力だけではどうにもならない育児が始まってからは迷いや反省の日々…。私にとって育児は大きな喜びや幸せをもたらしてくれる一方で、己の未熟さと向き合う作業でもありました。
ただ、経験を積むにつれ、というか時を重ねるにつれ、「私はもっとできるはず。」という気持ちから「結局、人としても親としても一生未熟者なんだよな。」に変化。
未熟であることを認めたことで、自分にも子供達にも、そして他の人にも以前より寛容になれている気がします。
そして、子どもの可愛らしさや育児の楽しさに気づく機会が増えたように思います。

最後に、始めてから1ヶ月半になるnoteについて。
投稿済みのいくつかの記事を見返すと、あまり統一感がなくて雑多な印象。
でも、ひとつひとつの記事には間違いなく自分の一部がいるからそれでいいとも思います。
他の方の上質な作品を目にすると、自分の記事の未熟さや不完全さに気づかされるけれど、noteこそ、その未熟さを楽しんでいい場所じゃないかと思うので(恥ずかしさはありますが…)。
これからも試行錯誤して、自分のことをより理解したり、変化を面白がっていくつもりです。


(2025.1.28に加筆修正を行いました。それ以前にスキをくださった方々ありがとうございます。そして申し訳ありません。)

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