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ストーカーという事象からのお知らせ



2018-19年、世界を旅した折にはどんなに治安の悪い国でも何も起こらなかったが、日本に来て仕事をし出した途端、おかしな輩に生活を脅かされることがしばしば続いた。

一体これは何なのだろう、ネガティブな事象は人生の軌道修正をするために起こることが多いが、このネガティブから何を学んでポジティブな人生へと移行していけるだろうかという検証を行うと同時に、誰かのなにか参考になるだろうかと情報をシェアすることを目的に書き始めたブログです。


世界旅から帰ってきてからは沖縄にいた。

沖縄ではフツーに求人探してフツーに仕事をしていた。

そしたら、ある日住んでるアパートの扉を夜中の2時に爆音で叩きまくる輩が出た。

その爆音ノックは40分ほど続き、同日午前4時になんと再開。これはただ事でない、と判断し、人生初の110番をすることになった。

日本のありがたいことといえば、お巡りさんがものすごくがちゃんと仕事をしてくれることだ。
メキシコでは警察官にカツアゲされそうになったことがあったけど、日本ではまずそれがない。

この日、真夜中だったのに程なくしてすぐにお巡りさん2人が来てくれ、いやこのときの安心感と言ったらなかった。ありがたかった。

次の日にも同じような時間帯に同じドア叩き爆音が響き、今度はすぐさま110番。

後日、私の部屋のドアを夜中にサンドバック扱いした阿呆は同じアパートの上の階の男性だったことがわかった。

アパートを管理している不動産屋さんが突き止めてくれ、止めないなら親御さんにも言うよ、と忠告したら青ざめてやめたらしい。

夜中にあれだけの爆音でドアを叩き続けられるのだから、若くて体力のある多分男性でだろうとは思ったけれど、そんなにすぐ止めるんならやらなければいいのに、何なのだ、と呆れてものが言えなかった。

沖縄は明るく開放的な観光地のイメージとは裏腹に、暴力や貧困といった暗い社会問題が根強く残ったままになっている話を知り合いからチラホラ聞くことがあり、私の部屋の扉をサンドバッグにした阿呆の兄ちゃんもあながち例外ではないだろうとは思った。

人間、本当にただただ幸せに育つとあまり他人にそういうことをしないものだと思う。

さて、沖縄を出て本州の○○市に転居したあともこの流れは止まらなかった。

その時点でどうやらこれは私の心の問題でもありそうだ、という予想は立つ。世界は自分の鏡になっているからだ。

○○市では、主にストーカー的な害の出方だった。初めの職場で1回目、2回目のストーカーは2度目の職場で。

1回目は他人のパーソナルスペースにズカズカ入り込むタイプの50代っぽい男性。職場で周りに誰もいないタイミングで背後から近づかれ、左膝の横30cmくらいの位置に無言でしゃがみこまれる、という地味な嫌がらせ行為だった。

これをしてストーカーというかどうかは微妙なところで、せいぜい痴漢未満くらいだろうが、不幸なことに何かと敏感体質な私には不快感と危険感はハンパなかった。

本人が何を意図してやったのかわかることはないが、他人が嫌がっていることが先天的に理解できない軽度の発達障害持ちの人間だった可能性はある。

特に頼んではいないけれど同僚の一人がなぜ私にそのようなことをしたのか説明を求めに行っていて、その際にパーソナルスペースにズカズカ入り込まれたような話はしていた。

その職場は去ることになり、以前から度々電気のことを勉強させてもらっていた84歳、エンジニアの大先輩の紹介で同じ職場に通わせてもらえることになった。

ところがこの2度目の職場では、より深刻度の高いストーカーの害に遭うことになった。

私の直属の上司に当たる人は独立した小さな技術系の会社を経営していて、委託元である大きな会社へ出向している形だった、といえばわかりやすいだろうか。

朝、委託元の会社へ出勤して電気機器を組み立てる、という仕事だったのだが、その委託元の専務の息子がひと目でそれとわかる軽度のADHD系と思しき発達障害持ちで、同じ日に同じ間違いを立て続けに何度もしたり、急に大声で叫んだりする50代の人間だった。

○○市はなぜこうも発達障害持ちがやたらと多いのか、今でも謎でしかない。

後で聞いた話では、70代男性である私の上司が初めて職場に出入りするようになったときには、物珍しげにゴリラのように周りをずっとウロウロして眺め回していたという。

その発達障害持ちがどういうわけか私に興味を持ったらしい。

私と同じ会社のチーフのような立場の人が「まるで子どもみたいに、(私に)アプローチできるとか思ってるもんで」とポロッと言っていたのを聞いたときには私はサアッと青ざめた。
気をつけて避けなければ、と思うしかなかった。面と向かってやめてもらうようなことはまだ何も起こっていなかったし、なんの興味もない相手だからだ。

しばらくしてから週の5日間中5日とも、昼休みに入るちょうど12時頃、建屋の前に止めてある私の原付のあたりでその問題人物とすれ違うということが続いた。

その以前から私は昼休みには自宅に帰ってご飯を食べていたのだが、問題人物を避けた方がよさそうだとなってからは、昼休みに入るタイミングに10分前後のバラツキをもたせ、しかも原付に乗り込むのも10秒程度で済ませていたので、どこかで見張っていない限り原付きの前で遭遇するのは確率的に無理な状態だった。

それを100%で達成しに来たことで、これはどこかで見張られているようだという確信に至った。

発達障害持ちの傾向は本当に人によるが、とくに衝動性が強い場合、興味があって思い立ったら行動に出てしまうと思ったほうがいい。
協調的で聡明な発達障がい持ちの人も多くいるなか、こんな書き方になってしまい残念だが、事態を甘くみることができない事情も存在する、という認識をしていただけるとありがたい。

相手が嫌がっているのはわからない、これは発達障害たる所以で、相手の立場に立って考えることを教えても「え、だって僕イヤじゃないよ」となることが多い。下手に相手の反応ばかり気にするよりどんどん行動することで拓ける人生もあるので出方と状況次第だが、今回は最悪の出方になったケースのひとつといえるかもしれない。基本善意があるようなタイプでも発達障害が絡み興味があるとなると、そこに他人の心情への考慮が入ることは期待できない。

しかも自己保存本能という「自分だけは有利に生き延びたい」という考えも露骨に出る人は出るので、バレたら立場が不味くなるようなことはバレないようにやる、という歪んだ処世術を身に着けるのだが、知性が高くないタイプがこれをやるとバレてないと思っているのは本人だけ、ということになり、今回はその好例になっているように思った。

なぜこうも私は発達障害持ちに辛口なのかというと、身内にいたからだ。しかも、よりにもよって母親だった。幸か不幸か、素頭のいいタイプ、アスペルガー症候群で、古い時代に学歴がいいで来てしまったために親戚は一切気づかず、本人も自分が正しいと思いこんでいるが、子ども心に絶対に私の家は何かがおかしいと、ずっと傷つき怒っていた。

知性のありなしは人生の幸せにはあまり関係がないし、学歴に至ってはほぼ関係がない。私の傷ついた小さなものさしでは、そういって親の押し付けてきた学歴信仰を否定し、ジャッジの剣を振りかざすことでしか小さな自尊心を守ることができなかった。

そして、発達障害持ちで立場の強い人間の身勝手により害をこうむる自分のイメージがしっかり幼少期にインプットされてしまい、それが未だに尾を引いているということのようだった。

というのも、こんなことがあったからだ。

件の問題人物が在籍する会社に出勤を始めた頃、私はバイオリンを弾くという話になったことがあった。その翌日、その問題人物はスマホの着信音を変えたと、わざとこちらに聞こえるようにか友人と話していて、「なんていうのかな、く、クラシック?だっけ」という発言の直後に聞こえてきたのが私の母がよく休日に弾いていたわりと有名なピアノ曲でビックリしてドン引きし、固まってしまった。

私がバイオリンを弾く以外のことはひとことも話していないのに!

しかもクラシックはどちらかというと嫌いで、母が休日に弾くピアノはこれみよがしなエネルギーが乗っていて聴くに絶えず、始まるといつも外出していたので、言ってみれば私の嫌いなものを全部こねて固めたものがその曲だったのだ。

ノーヒントでそれを出される、それすなわち母絡みということで、「これみよがしはダメ」というジャッジをまだしているよ〜という私へのお知らせだったのだと、今では理解している。
他にも
「自分が生き延びるのが大事」
「バレなければいい」
「これみよがし」
「他人の心情お構いなし」
これらのことに対して激しく後ろ指を指してきた私は、ジャッジの権化と化していたのだ。

心から嫌うこれらのことを私が選んで行動を取ることはないけれど、だからといってそれらを否定するエネルギーを出すのはまた別のことなのだ。

こんな形で社会のネガティブエネルギーのとばっちりを食っていたなんて、確かにこれほどストーカー事変が続かないと気づかなかっただろうとは思う。

件の問題人物は最終的に、待ち伏せしたうえ大声を上げて追いかけるという暴挙に出たため、警察に駆け込む事態になった。

昼休みからの戻りを15分も遅くして避けていたにも関わらず、原付を停めているところで遭遇することがあってから、昼休みから戻ったことを悟らせないためにエンジンを消して建屋に近づく、こんなバカバカしいことまでしていた。なのに原付を停めている最中に横を通れるようなタイミングで待ち伏せされるのは止まらず、その待ち伏せ2日目には挨拶をしてきて、危険だ逃げなければと建物に逃げ込んだ私の後を「あっ、おい!あいさつ!オイてめぇ挨拶だろうが!」と大声で叫びながら数メートルにわたり追いかけてきた。

幸い、自分本意な人間のようだからいつかこういう事態になるだろうと思ってひとりきりで仕事をすることがないよう84歳の大先輩と勤務日を同じに合わせていたので、この日も建物の中におり、「問題人物が大声を上げて追いかけていた、あれは尋常ではない、追い払うのを手伝った」と証言してもらえるような展開に収まった。

その日のうちに交番へ駆け込み、できうる限りの対応をしてもらった。本人と保護者へ警察から警告を出してもらうこともできたが、衝動が強いタイプに直後刺激を与えると逆上する可能性があることには私も賛成だったので、警告はせずにとどまることにした。誤解を恐れずに言えば、もうほとんど猛獣扱いになっていた。

会社側にとってこういうのは黄色信号で、何も対策をせずに通りすぎると次はだいたいもっとひどい事態を引き起こすことが多い。事故の類いも同じ。予兆が必ずあるのだ。

私といえば今は在宅で組立作業ができるよう上司と84歳の大先輩が計らってくれ感謝感謝だが、引っ越し先を決め次第この地を離れるところだ。街を安心して出歩けないからだ。こういうところは普通に対処するしかない。

私は前世で、裁判官をしていたことがあるらしい。サイキックの人が教えてくれた。その時おそらく、今の自分のような立場の人の心境には目がいかなかった、それが返ってきているのだとも思う。

生まれる前の記憶を持っている子どもさんはけっこういて、発達障害的な個性を意図して持ってきた人のご家族から話を聞いたことがある。その子は、お母さんが常識だとか普通だとかの枠に囚われて身動きできなくなっていたのを助けるために、あえて困難に出やすい個性を持ってきたようだった。

件の問題人物もはじめはそうだったのかもしれないが、意図せずこうなってはもう遅い。

会社の重役の子息という立場と元々noが言えない風土が背景にあるとしたら、なるべくしてなった結果なのかもしれない。人間、傲慢になるにはなるだけの環境があったりするものだなとも思う。

こいつ傲慢だなとイラッとしたということは、私も傲慢だったのだろうとも思う。

すべて終わったなら、卒業して、さようならだ。どういうわけか、そういうキョーレツな学びをすることは多い。

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