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【考察シリーズ1】あだ名や呼び捨ての是非と距離感の関係
あだ名や呼び捨て、子どもと関わる現場ではほとんど禁止されてたりするけど、みなさんどう思いますか?
まぁ、ダメと言われてるからダメって事なのかもですが、いまだに禁止する意味が理解できないので、呼び名と距離感の関係について考えてみます。
私は小さい頃から、親戚や近所のおじちゃんおばちゃんなどで集まる機会が多く、みんなから下の名前を呼び捨てで呼ばれていました。
たまに、くんちゃん付けで呼ぶ人もいたけれど、だいたいが呼び捨て。
だけど、怒鳴って呼ばれるわけでもないし、ニコニコしながら呼ばれるので、呼び捨てに対して特に不快感もなく、むしろ親近感がわく感じもしていました。
いざ児童クラブで働くようになり、最初の頃は自分が特に気にしていなかった事もあり、普通に子どもたちを呼び捨てで呼んでいました。(もちろん初対面はちゃんとくんちゃん付けで呼んでいて、関係ができたあと、本人に呼び捨てでいい?と確認をとった上でです。)
ちなみに、親御さんの前では呼び捨てはせず、◯◯くん、ちゃんと呼んでいます。
なんで本人には呼び捨てで、親御さんの前では敬称をつけるかというと、
【呼び名は、個人対個人の関係性の中でお互いの了解の下、決めれば良いと思うから】です。
本人には呼び捨てで呼んでいても、親御さんにとっては大切な子どもなので敬称をつけています。
ある時期から世間であだ名や呼び捨ての議論が頻繁に起こるようになりました。例に漏れずうちの会社でも「子どもの呼び捨てはやめましょう」となりました。
いつもこの手の議論が起こると、とりあえずのリスク回避の結論になる事が多いです。
問題の本質をまるで無視している感じでなんだかなぁという気分になります。
呼び捨てにせよ、あだ名にせよ、
【傷つける可能性があるからやめときましょう】
じゃなくて、
【相手が嫌な呼び方はやめましょう】
って話なのに、単純になんでもかんでも◯◯さんと呼べば問題なし!ってしちゃうあたり、うわべだけの対策で思考停止してる感じがします。
呼び方には相手との関係性が大きく関係しています。
親しい相手に呼び捨てにされても親近感がわくし、
たいして親しくもない人に呼び捨てにされたら不快だし、
ニックネームだって、同じ言葉でも嬉しい人もいれば不快な人もいる。
その良し悪しは誰が決めるのか?
それは自分以外いないと思うのです。
当然、嫌だけど言えずにいる、みたいなパターンはあると思うので、本人が良いと言っていても鵜呑みにできない場合もあるにはあります。
が、基本的には本人が良ければ良くて、嫌ならやめればいい話なんだと思います。
きっとあの子はこう思ってるに違いない!
とか、
第三者がとやかく言うのもだいぶ滑稽な話だなと思います。
当の現場では、子どもに「◯◯さん」と呼ぶと、「なんか気持ち悪いわー、ふつーに呼び捨てで呼んでくれなきゃヤダ」
と言う高学年がいたり、
「このあだ名かっこよくて気に入ってるんだー」
とニコニコ言ってきたり、
『ちゃんとか、くんとか、さんとか、どれがいい?』と尋ねると
「めんどくせーからなんでもいいし、呼び捨てでいーよ!」
みたいな感じで、子どもたちは世論なんてどこ吹く風。この20年で子ども本人から呼び捨てやめて、と言われたのは1人だけ(それも、保育園でちゃんくん付けだったから抵抗あったらしく、小学校生活始まって1ヶ月くらいした頃に、本人からやっぱ呼び捨ての方がいいと言われました。)
だったりします。
呼び方がいじめの温床になるような事は、当然あってはならないことだと思います。
だけど、当人同士が納得した上での健全なやり取りまでもおさえつける権利はそれこそ第三者にはないし、子どもの最善の利益にはそこも含まれてるんじゃないかなぁ、って思ってます。
※今では基本的に子どもになんて呼ばれたいか聞いて、本人の希望に沿った呼び方にしています。
ちなみに、この議論が起こるたびに、【改めて丁寧に子どもに接する(気持ちを汲み取ろう)ようにしてたくさん会話しよう】とだけ思うようにしてます。