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土地×住宅設計×お金のスペシャリストの生い立ち

誕生〜幼少期(1981年〜1988年)

1981年9月29日、奈良県生駒市にある病院で産まれる。
O型てんびん座。2歳を過ぎても全く歩かず、親はすごく心配していたみたい。
そんな親の心配はつゆ知らず、保育園ではよく友達をいじめていた。
伝記や昔話の絵本をよく読んでいた思い出。

小学生(1988〜1994年)

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◆学童保育
共働き家庭だった為、小学校の後は学童保育の毎日。
一度熱中するとハマるタイプらしく、百人一首は県大会1位。
けん玉も得意。ミツバチ手掴みも得意。でも刺される。

◆愛猫との出会い

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父親と散歩をしていると、親とはぐれた真っ黒色の子猫を発見。
母親に頼み込み、家で飼うことになる。名前はペコ、お腹をすかせていたので腹ペコのペコ(兄命名)。
ペコとはたまに喧嘩もするけれど、とても仲が良く、いつも膝やお腹の上に乗ってきていた。
ペコがいてくれたのでその後も特に大きな反抗期がなく、穏やかに育ったと思う。

◆スパルタ塾
3年生からは有名な個人塾に入り、スパルタ教育を受ける。
口癖は「イヤなら帰れ!」。よそ見をするだけで怒られる。
講師がナトリウムをどぶ川に放り込んで爆発実験していたのは社会的にNG。
夏休み・冬休みは朝9時〜夜9時まで勉強漬け。
それでも苦ではなかったのが不思議。
そのおかげで学校のテストは常に1番。人生で一番のモテ期。

自然と中学入試をすることになり、沢山の学校の入試を受けたが合格したのは
奈良学園中学校のみ。ここから中高一貫の男子校生活6年が始まる。

中学生・高校生(1994年〜2000年)

◆中学生時代
東生駒駅〜大和郡山市の山の中まで毎日片道1時間30分の生活。
小学生は明るいキャラだったが、中学生からは一気に大人しいキャラになり、
思い出が乏しい時期。毎日5〜6人のグループでつるみ、部活も入らず
休み時間にはバスケ・鬼ごっこに明け暮れる。
中学卒業時に論文提出があり、「超電導リニアの仕組み」について調べる。

◆高校生時代
高校生からはつるんでいたメンバーで野球部に入部。
めちゃくちゃ厳しい監督だったので、監督の車を見かけただけで恐怖だった。
今思うとこの厳しい環境だったからこそ「規律」や「正義」を学べたと思う。
ノックでは沢山ダイビングした。通学路を外れるとビンタされた。
勉強だけだとカッコ悪いし、下手くそながら頑張って練習したこの期間は
自分の人生の中でとても貴重。

部活を引退してからは一気に受験勉強モードへ。
具体的に「何がしたい」というものがなかったが、
「得意分野→理系」+「でもがっつり理系はイヤ」という考えから建築系へ。
私立大学よりも国立大学がよく、神戸大学工学部建設学科に進学。

大学生・大学院生(2000年〜2006年)

6年間の男子校生活を終え、晴れて大学デビュー。下宿生活へ。
灘区の阪神沿線に住む。まさに阪神大震災で大きな被害を受けたエリアだ。
震災当時はまだ中学1年生だったが、大学の時に訪れると全てが綺麗な街になっていた。建築を志した者として複雑な心境であった。

◆クラブ活動
何かのクラブ活動はしたかったので、新歓コンパで沢山の部活を見てみる。
その中で「ユースホステルクラブ」というクラブに入部。
理由は「楽しそう」「勧誘してくれた先輩が可愛かったから」という単純な動機。
「自然を食べて自分をつくる」というコンセプトを掲げており、
部活中はチャラチャラした感じではないながらも、部活外はどんちゃか騒ぐ。
アルバイトでお金を貯めながら、休みになればザックを担いで
山登りや離島に旅に出る。夜になれば火を囲んで語り合う。
「鹿児島の小宝島で見た星空」「沖縄の波照間島の海」は良き思い出。

◆アルバイト
 ①学相(学生相談所=日雇いバイト)
 ②餃子屋
 ③鉄板焼き屋
 ④イタリアン
下宿生活だったので折角働くならまかない付きがよく、飲食を中心に働く。
ホールよりはキッチンが良かった(スキルを身につけたかった)ので、キッチン内でひたすら見て学ぶ。
③鉄板焼き屋が一番長く、思い出があった。いつも暇でその時は「これでお給料頂くのは気まずいなぁ」くらいだったが、今の自分としては経営の厳しさを知るところであった。残念ながらお店をたたまれたが、ここで飲食の基本的なことをしっかり学んだ。

◆旅行
 ①イタリア
 ②フランス
 ③ドイツ

建築を学んでいたこともあり、ヨーロッパの建築が見てみたかった。

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初めての海外1人旅はイタリアへ(ローマ→フィレンツェ→ヴェネツィア)。
トーマスクックという時刻表を持ちながら、
何時の電車に乗ってどこに行くかを調べながらの行動。
フィレンツェの街並み、ドゥオモの圧倒的存在は忘れられない。
お金を騙し取られ、異文化の恐ろしさも同時に知った良い経験。

ドイツはフランクフルト→ケルン→ニュルンベルク→ミュンヘン→ハイデルベルクのルート。
格安航空券のみしか買っていないので、宿は現地調達にて。
相変わらずトーマスクック(時刻表)が生命線。一番印象に残っているのは
「ケルン大聖堂」「古城のユースホステルに宿泊」「ハイデルベルクの街並み」

◆大学院へ進学
大学院生は大学時代と違って勉強に集中。専門は社会的弱者への防災対策。
数量化理論や重回帰分析など統計学を用いたアンケート分析を行う。
研究→論文提出→学会発表の繰り返し。

論文
 卒業論文:宮城県北部地震における被災病院の被害と応急対応に関する研究
 修士論文:水害における要援護者の避難支援システムに関する研究
 共同発表:阪神・淡路大震災における鉄道駅の復興過程に関する研究
     :わが国における地震保険制度の位置付けと課題

自身の研究を、教授や博士課程の人達と同じ土俵で査読付き論文を発表できたのが自信に繋がる。
また、この時に二級建築士を独学で受験し、見事合格。

◆就職活動

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就職活動は「今までの知識を基に幸せづくりに携わるしたい」ことから
ハウスメーカーを中心にまわり、8社から内定を頂く。
「自分がどの家だったら住みたいか」を基準に積水ハウスに進むことを決める。
ただ、積水ハウスは途中で不合格の通知を受けていました。
でもどうしても次に進みたかったので、人事部に直接電話をかけ、面談の機会を頂いたという経緯があります。この1本の電話が自分の人生を大きく変えました。

社会人① 大手ハウスメーカー勤務(2006年〜2017年)

配属はシャーウッドという積水ハウスの木造設計。
研修中に支店が解体となった為、それ以降は鉄骨住宅の設計に携わる。
当時の設計長がとても優秀な方でしたが、厳しく指導頂き、怯えながら毎日仕事をしていました。終電まで仕事をしていたので、同期と「いつ辞めようか」と毎日話をしながら通勤。そういった労働環境は今は許されないと思いますが、今となっては自分の社会人人生としては必要な時期でした。

◆一級建築士合格
大学院を卒業した為、初年度から一級建築士の受験資格があった。
資格学校から「1万円で教材を売ってあげるから不合格なら来年から高い受講料払って学校に通ってね」というお誘いを受けたので、「やってやろうじゃん!」という気持ちで勉強に取り組む。無事に初年度に学科試験に合格!
2年目に製図も合格し、学校に通うことなくほぼ独学で一級建築士合格!!
この早さが後のスピード出世に繋がる。
だから設計を目指している人は早く一級建築士を取得してほしいです。
「学歴・資格なんて要らないよ」という意見が多い世の中ですが、この資格は本当に必要です。

◆充実した研修プログラム・設計コンペ・全国の成功+失敗事例
大手のメーカーなので、研修プログラムが充実しており、設計研修・地盤研修・外構研修など設計士としての基礎的なルールを学ぶ。
マインド論よりも生きた知識への研修が多かったので、駐車場の必要スペース、アプローチの幅、木の種類などの知識は今でも使っています。
また、一級建築士が2000人以上在籍している会社であることから、優れた全国の事例を学ぶことができた。なかでもコンペなどで全国1位の設計士先輩が大阪にいたため、近くにいながら空間の考え方、プレゼン方法、手描きタッチを吸収できたことが本当にありがたかった。
小さな設計事務所や工務店だったら3〜5年かかる経験・知識を1年で学べるくらいの仕事量と全国事例があったのではないかと思います。

◆展示場設計

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早くして一級建築士として前に立っていた分、大型案件や医院併用住宅などの設計担当して任せてもらえる機会を早く頂いていた。
入社して6年目に新しい展示場の設計者に任命頂く。
設計士としては住宅展示場の設計は花形であり嬉しい反面、「自分に務まるのだろうか」「沢山いる先輩方を差し置いて良いのだろうか」という不安感が渦巻ながら取り組みました。今までは自分の世界の中で仕事をしていましたが、展示場設計は営業本部・会社意向・営業・インテリア・業者・予算・納期を全て段取りしながら進めていく「人を動かしていく」仕事。案の定沢山の人に迷惑をかけながらですが、何とかやりきりました。この経験からも営業から信頼を頂く設計となる。

◆契約を取りに行く設計へ
設計士という仕事は
 表方:プラン作成 という作業以外に
 裏方:実施設計・構造設計・申請設計・最終図作成 など沢山の作業がある。
会社の方針で表方と裏方を分けて担当をつけるということになり、
私がフロント(表方)の設計担当をすることになる。つまり魅力的な間取りを描き、プレゼンして契約を取りに行くという営業的な設計である。
支店の経営に直結するため、プレッシャーがある反面、楽しく仕事ができた。
ここからふと思いつく。設計という職種は基本給+残業という給与体系だが、
営業職は自分の実力が給与に繋がるので、「自分の実力がどれくらいなのだろう」「売れたらその分、売れなかったらその分の給与で良いや」と思い、営業という職種に興味が出てくる。これが人生の分岐点。

◆営業職への転換
まわりに「営業職に興味があります」と口に出していると、すぐに「営業職をやってみないか」と打診があり、ついに営業職へ。
一級建築士という武器を持ち、慣れない営業トーク・クロージングの繰り返し。
でもなんだかんだで設計→営業の職種転換組では関西1位の成績を納め、全体でも中の上くらいの成績を推移する。
通勤時間にひたすら営業の勉強をしているうちに「営業スキル」→「心理学」→「投資」の流れで別のライフスタイルを目指すようになる。
そんな時不動産投資の動画をきっかけにロバートキヨサキ著「金持ち父さん貧乏父さん」の本を読む。「ESBI」の考え方に衝撃を受け、不動産投資をやってみたいという思いから、東京に不動産を購入。その時の社長の元で勉強したいと思い、11年働いた積水ハウスの退職を決意。

社会人② ベンチャー企業(2017年〜2018年)

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世界1位のハウスメーカー→名も知れぬベンチャー企業への転職。
不安もあったが、何故か根拠なき勝算の方が多かった。
千代田区のワンルームマンションに住み、赤坂・大手町のオフィスに出社。
実力も何もないけれど、その暮らし方は少し誇らしかった。
昼から出勤だったため、仕事の前後は自己投資や皇居一周ランなどをしつつ、節約とダイエットを兼ねたシンプルな生活でした。

妻の大阪→東京引越しに伴い、豊島区の2LDKに引越し。家賃が14万円。
大阪の家のローンもあったので、頑張るしかないという思いで仕事に取り組む。
その際に静岡で不動産業の店舗を立ち上げるから、店長になって欲しいと打診。
東京⇄静岡の片道2時間の新幹線生活が始まる。

新幹線通勤は華やかなようだけど、仕事をしながらの為リラックスはできず。
但し、今まではハウスメーカーとして建物のみに注力していたが、売買の仲介として、土地の知識・仲介の知識・ローンの知識・店舗運営・部下の育成など学ぶものが多すぎる毎日で、これも自分の人生の貴重な財産。
ラジオ出演・新聞掲載も経験。

休日はアマンやアンダーズ、リッツカールトンなどのホテルランチを楽しんだり、
美術館や歌舞伎を楽しむ、エクシブに泊まるなど多くの「体験」ができました。
人生で1回は東京に住みたかったので、貴重な期間でした。

その後、会社が怪しいなと思うのとコスパが合わないことから大阪に戻ることを決意。転職エージェントを通じてバイタリティ溢れる社長がいる面白そうな工務店に出会う。そして2度目の転職へ。

社会人③ 地場ハウスメーカー(2019年〜現在)

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転職先では「分譲事業部」という土地・建物を一緒に扱う部署へ。
ここなら今までの自分の経験をフルに活かせそうだった。

会社の中では一番上司が厳しい部署であるが、上司の頭の回転力(CPU)が凄まじく高く、どんどん自分をアップデートすることができた。
今思えば、積水ハウス時代もベンチャー企業時代も先輩・上司には恵まれ、本当に素晴らしい環境で仕事ができたものである。
沢山の指導の元、すぐに結果を出すことができ、気づけば年間最多契約賞を頂くことになる。

休みの日は家族でランチしたり、パスタを作ったり、間取りを描いたり、
まったりしています。

自分の行動が何かしら成長に繋がっていると思い、常に進化しています。
土地・建物・お金の知識をフルに活かしながら今も沢山の出会いを通じてお客様に住宅の提案を続けています。

営業成績

◆積水ハウス
 2013年 上期契約関与最多賞総合第1位(関西第一営業本部)
 2015年 上期・下期契約棟数最多賞第1位(職種転換者部門・関西第一営業本部)
 2016年 上期契約棟数最多賞総合第12位(関西第一営業本部)

◆ベンチャー企業
 2018年 営業実績最多契約賞

◆前職
 2019年 四半期 MVP 賞(6月・12月)
 2020年 四半期 MVP 賞(6月)
 2020年 最多契約賞・最優秀社員賞のW受賞
 2021年 四半期 MVP 賞(9月)
 2021年 最優秀社員賞
 2022年 年間優秀社員賞

◆現職
 営業部部長・商品企画部 兼任 

資格試験について

資格マニアになるつもりはないが、勉強の延長で取得+全て独学スタイル。
資格試験の勉強のコツがあるので、これはまた別に発信していきたい。

①一級建築士
②宅地建物取引士
③管理業務主任者
④インテリアコーディネーター
⑤ファイナンシャルプランナー2級
⑥福祉住環境コーディネーター2級

最後に

ここには記載しなかったが、離婚・再婚を経験したり、多額の詐欺にあったり沢山の経験を得た人生である。頭が投資脳になっている為か、人生の浮き沈みがチャートに思えてしまう。逆三尊(上昇傾向)になっているはず!!そうする!!
大事なことは、自分が人生の主人公であること。
会社に働かされる、他人に人生を決めてもらうことはダメ!!自分が学んだ土地・建物・お金の知識をこれからはどんどんアウトプットしていき、まわりを良くしていきたい。そういう想いで第一弾のこの文章を書きました。続かないかもしれないけど、まずはやってみます。

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます。

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