葬儀屋で働いてメンタル崩壊してあいりん労働福祉センターへ行った話
ChatGPTによる本文の要約
葬儀社で働く筆者は、自己評価が低く仕事ができないことに苦しんでいた。自己否定が強く、ストレスで精神が不安定になっていた。ある日、親に殺された男の子のご遺体を見て、彼に羨望を感じたことがあり、ある休日に浮浪者のたまり場であるあいりん地区に行って酒を飲んだり眠ったりした。筆者はそこで「何も無い」という解放感を味わった。
こんにちは、都知事です。
私は24歳から葬儀屋さんに勤めており、年齢が新卒の大学生と近いこともあって第二新卒みたいな感じで雇ってもらうことが出来ました。
地元では名のある葬儀社で、大卒しか取らない企業で高卒の私が働けるのは身に余る光栄と言える環境でした。
しかし、私自身仕事が出来るタイプではなく、ドン臭く、頭も悪くて理解力もない。
自分の中でPDCAを回せないしその考えもないから、常にがむしゃらにやっては同じミスの繰り返し。
今ではどんなに愚かだったか実によく分かるのですが、当時の私は「同期達は次々に仕事で成功を収めていくのに、自分だけが取り残されている」「苦しい、辛い、もっと自分も出来るようになりたい、マヌケな自分が憎たらしい」と自分自身を呪いながら日々過ごしていました。
自己評価が低いから何をやっても上手くいかない。家に帰るとその日の失敗を思い出し、悔しくて涙が出て来て、布団に吸わせた新人時代。
何とか独り立ちして現場へ出た後も、結局中身は変わってないので失敗続き。
仕事も覚えられず、メモのとり方だって分からない。
先輩方もこんなにポンコツなのは見たことないと言わんばかりの対応で、その目線がグサグサと突き刺さり身を焼かれているような感覚でした。
自己否定を極め、通勤経路では自家用車を使っていましたが、常に「事故に逢いたい、こんなに苦しいなら親には悪いが死んでしまいたい」「自ら命を絶つ勇気は無いから、仕方ない理由で死なせてくれ」と思いながらぼんやり運転していました。
自分を否定し、人間関係のストレスで夜も眠れず、金は元姉に管理されて小遣いすら手元にない。
同期は休みの日に遊びに行ったり勉強したり成長しているのに、自分は安酒を食らって苦痛をごまかしている。
あぁ、前の職場に戻りたい。なんでもっと頑張らなかったんだろう、なんで諦めたんだろう…
そんな無念と意味の無い葛藤を肴に、休みの日はストロングゼロをちゅうちゅうと吸っていました。
(元姉に管理され金がないので手っ取り早く酔う為にストローで飲んでいる)
今思えば精神が不安定というか、おかしくなっていたと思います。元々おかしい方向の人間である自覚はあったのですが、更に振り切っていたような感じでした。
仕事で叱られ、詰められ、落ち込んだ一日を過ごし、仕事が終わったら霊安室へ入って、柩を開けて故人様のお顔元を整え、話を聞いてもらっていました。
「お父さん、今日はこんなことがあって…こう叱られて、あの時の先輩の呆れたような顔が頭に張り付いて離れなくて」
「皆さんもこんな苦しい思いをしていたのですか、そちらはどうですか」
故人様が私に答えてくれる事は一度もありませんでした。
そんなある日、親に殺された男の子のご遺体が運ばれて来ました。
山中に遺棄された為に腐敗が進み、面会謝絶、葬儀社の職員でも柩を開けることは出来ませんでした。
私はそんな彼の柩を見て、「なんだか、羨ましいな」と思いました。
今でもなぜそう思ったのか、言語化が出来ません。言語化出来ないだけで理解しているのか、していないのか…ただ狂っていたからそう感じただけかもしれません。
そんなほの暗い日々を過ごすうちに迎えた休日、私は何を考えたのか、西成のあいりん地区へ向かいました。
出来る限りボロボロの服を着て、髪はボサボサのまま、歯も磨かず顔も洗わず、髭も剃らずに、サンダルを履いて行きました。
駅前のコンビニでストロングチューハイを何本か買って、到着したのはあいりん労働福祉センター。
ご存知、ホームレスのたまり場と言うか、ほぼ住処です。
犯罪者も多く潜伏しており、当たり前のように薬が手に入る、そんな街でした。
ここでは「現金」と呼ばれる日雇労働者を集め、満足な雇用契約も結ばないまま身体一つで働かせるという文化があります。
私が到着したのは午前8時頃。現金の仕事は大人気で、朝4時には全て無くなってしまいます。
ここにいる人達は全員その日の仕事にありつけなかった者たちでした。
私が中に入ると、一斉に浮浪者たちの顔がこっちへ向きました。
ギラギラと目だけが光っているような状況で、私は足がすくみましたが、先へ進みました。
タタキに逢いたくないので財布も携帯も時計も持たず、身体1つと薄汚れた服にコンビニの袋に入ったピカピカの安酒。
浮浪者からすれば、コンビニで買い物する事自体が珍しいものだったのでしょう。私は多くの人に睨まれているような気がしながら2階へ進みました。
2階の柱へ腰を下ろすと、むんわりと漂うアルコール混じりの小便の臭い。
そこへ何も敷かずに座り込み、缶チューハイを開けてゴクゴクと飲みました。
「あぁ…【何も無い】…」
私は一気に解放されたように感じました。
普段はスーツを着て遺族の前へ立つ自分が、浮浪者の真似事をして酒を飲んでいる。
自分を知っている人間はここには居ない。
私はとても気が軽くなりました。
チューハイを飲み、挙句には寝転んでぼんやりと天井や周囲を見渡し、寝転びながら次の缶を開ける。
尿意を感じてよたよたと立ち上がり、奥にあるトイレへ向かいました。
そこはただ「便所」と書かれていて、男女も分けられてない、扉もないような古く汚いトイレでした。
小便器なんてものはなく、壁へ斜めに打ち込まれた木の板に向かって放尿すると、それが滴って底にある溝へ流れていきます。
横では同じく、浮浪者が小便をしていました。
自分の小便と浮浪者の小便が混ざり合い、下水へ落ちて行く。
「なんか、いいな…」と酩酊しながら思いました。
酒も飲み終わり、時間は昼過ぎ。
ぐでーんと横になってても誰にも怒られないし追い出されない。浮浪者の真似事をしている自分すらも受け入れてくれる空間に安堵を抱きながら、また少し眠りました。
目が覚めると、3時半頃だったでしょうか。
若干人は減ったものの、まだ横になっている人は大勢いました。
「さぁ、帰るか」
「明日からまた遺族の皆様が待っている」
こうして、私は家に帰り、葬儀社職員としての自分に戻るのでした。
私は今でもたまに西成へ差し入れを持って遊びに行きます。
あの頃の自分を受け入れてくれた街への恩返しと言うか、なんと言うか、あの人達は私と同じ仲間のような気がするのです。
昨今、ホームレスをからかってSNSへ動画をアップするような不埒な輩がいますが、とんでもない侮辱で腹が立ちます。
ホームレスにメシを奢ってやると騙して、会計が出来なくて困り果てる様子を動画に撮るより、一緒に酒盛りした方がずっと楽しい。
もちろんそこにはデジタルなものは1つとしてありません。徹底的にアナログな世界で、今では考えられないような距離感で酒を飲む。
本当に必要な経験というのは、ネット上では具体的に語られないのかもしれません。
何者かになりたくて必死だった自分を、「何者にもならなくていい」と言ってくれた街、西成。
あなたもいつか訪れてみたくなるかもしれません。
ではまた。