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里沼と利根川の道
スポーツジムに入会してマシンを使って歩いたり走ったりする様になって、それは身体のなまりを取るのには良いのですが、やっぱり実際に景色を眺めたりしながらウォーキングする代わりにはならなくて、外歩きの虫がうずくのでした。関東近郊の散策コースを探します。ただ歩くよりは最低限、その土地土地のテーマがあったり立ち寄る場所はあった方がうれしいでしょうか。
選んだのは館林。自宅から遠すぎず近すぎずのちょうど良い距離感が魅力に思いました。
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JRで久喜駅に行って東武線に乗り換え館林駅。館林はかつての城下町で、駅から東にしばらく歩けば城跡に到着します。門から中に入ると大きな声が聞こえてきて、どうやらこの日は成人式の集いが開催されるようです。城跡に立つ市民会館には成人たちがたくさん居て、中には派手な格好と飾り付けたバイクで乗り付けるやんちゃな若者も居ます。
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城跡はつつじが岡公園と称した公園として整備されています。隣りには田山花袋の旧家が移築され、記念館が立っています。いろんな文豪の記念館というのは日本各地に建っているものですが、通り道に有れば立ち寄るのが好きな施設です。
明治から大正にかけて作品を残した田山花袋は、いわゆる自然主義文学の作家と呼ばれています。代表作「蒲団」のあらすじは、女性の弟子に恋する作家のふるまいの情けさやみっともなさが描かれていて、その半分は実体験がモチーフになっています。ただ、自然主義=露悪主義という誤解のもとになった作品のようにも思います。
田山の生まれたのは秋元藩に支える武士の家でした。武士であった花袋の父も廃藩置県によって主君を失い、ようやく警視庁に職を得たものの、西南戦争に駆り出されそこで殉死します。それが田山花袋が5歳の頃です。書かれてはいなかったけれど生活にはそうとう苦労した事が想像されます。幕府が潰れ新政府の世の中になって、武士というかつての支配階級が無くなります。職を失い生活に困窮する外形的なものだけでなく、たぶん主君を失うという内面的な心の苦しみも大きかったのだと、サラリーマン生活を30年以上も続けてやっと理解できるようになりました。
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いま館林の施設に行くと「里沼」というキャッチフレーズが、盛んにパンフレットに書かれています。古代までは関東平野の奥深くまで内海が伸びていて、この館林のそこかしこに身近に沼が点在していたことを表しています。
そして、その地形がそのまま館林城の防御として転用もされていたのでした。
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つつじが岡公園から館林の街を南に歩いていきます。やがて右手に雑木林が見えてきて、野鳥公園になっているようで中に入るのですがこれが曲者で、通り抜け出来ない公園で中を歩き回りながら、結局はもときた道を戻るばかりでした。隣には立派な建物が立っていましたが営業はしていないようです。ようやくたどり着いたのは茂林寺沼です。アシ原が広がる景色は、関東平野の原風景のひとつだとも思っているのです。
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分福茶釜の狸で有名な茂林寺は沼の隣りにありました。お腹が空いたのでうどん屋で昼ごはんを食べます。まわりの土産物屋街は寂れていて、あと10年もすると無くなりそうな雰囲気です。
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さらに南下します。この地の歴史にとって、足尾鉱毒事件は欠かせない出来事です。足尾銅山の汚染された水が、渡良瀬川の洪水によってこの辺りの農地を破壊しました。政府に直接訴えようとした農民たちを、新政府は警察の暴力を持って鎮圧した事件です。事件現場は、河原にあると想像していたのですが、川俣宿の入り口にあるのでした。この時に明治政府が守ったのは住民ではなく藩閥と強固に結びついた産業資本でした。いまだってその構図は変わっていないことに気がつく場所です。
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ここから少し歩くと、利根川の河原に出ます。橋を歩いて渡った先には、川俣関所の跡が立っていたはずですが、いまは堤防工事で撤去されています。
には道の駅が立っています。
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思いがけず、かつての日光往還の道を歩いていることに気がつきます。
隣にまつ林が並んでいます。そんなに旧街道の趣はありませんが。
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秋冬の散歩だと、いつも夕方は日が暮れるのと競争になります。
秩父鉄道の新郷駅の近くは、かつての日光往還の宿場です。
本日の歩きは、思いがけず旧街道歩きになりました。
沼地から利根川を歩いたこの景色はとても平坦な道です。子供の頃に暮らした北関東のこういった景色は、田舎っぽくて好きではなかったのですが、今では懐かしさを感じる景色です。