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川を渡る道(東海道を歩く17ー佐屋街道を歩く1)

 昨日に泊まったのは、岡崎城ちかくのホテルでした。岡崎城のあたりは岡崎公園と称する公園になっていて、朝に散歩とばかり歩いてみると、以外と厳めしくて堅苦しい印象はありません。昨晩に訪れた居酒屋といい、それほど喧噪にまみれた感じはしないし、だからといって寂れた感じもなく、ほどほどのにぎわい。大きくも小さくもなく、岡崎はほどほどの規模の街です。  今日は、東岡崎のとなり岡崎公園前駅から乗車します。この時間の名鉄電車の乗客は高校生たちが主役。結構な頻度で途中駅でも乗ったり降りていきます。列車の頻度は多いけれど、4両とか6両とか編成の短いのは首都圏と異なっています。それにしても、音のしない通勤風景はここ中京圏でも同じ。周りをながめれば全員がスマホを眺めている。 

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 有松に着くと、昨日は暗くてよくわからなかったあたりの景色がよくわかります。有松駅の南側を旧い街が延びていると思ったら、なんと駅の反対側には巨大なイオンモールがそびえています。かつての町家の多くはカフェだったり、観光用施設として再生されているけれど、この南北のイオンモールとの対比を見ると、名古屋市内にこれだけの旧い街が残っていることがまるで奇跡のようです。そして、このような観光用施設という形でなければ、この街を旧いままで残すことはできなかっただろう。と言う残酷な現実も露わになるのです。  昨日の冷たい風もおさまって、有松から鳴海までの歩きは快適そのものです。とはいえ朝の通勤に向かう自動車がひっきりなしに通り過ぎ、そこはクルマ社会の愛知であって、決して広くはない道なのでで、少し怖いところです。名鉄の鳴海駅は高架駅らしく、左を眺めると、要塞のような高架駅がみえます。 

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 鳴海宿の入り口には、立派なお寺があります。老人たち二人が道ばたで話し込んでいます。そういえば、昨日の歩きではあまり出会わなかった光景です。若干駅から離れているせいか、かつての鳴海宿の界隈は静かなものです。ガイドブックには寺社が多いとかかれてたものの、自分にとってそれほど見どころは無かったように思います。なにか見どころは?と探しながらあるくうちに、宿場はすぎてしまいました。

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  鳴海宿をすぎても、同じような平坦な道が続きます。そして特徴のない住宅地の中を歩きます。やがて川を渡ると、街道は少しのぼり坂になって、これまでとは少し雰囲気が変わってきます。そして、のぼった先には寺が見えます。いわゆる笠寺観音と呼ばれるお寺です。六のつく日は恒例の六の市という市が開催されていて、近隣のお年寄りで賑わっています。本堂は工事中らしく、本来はどのような境内なのかはよくわかりません、ただなかにはいってびっくり。関東ならこのような年寄りが集まる場所の代表は、巣鴨のとげぬき地蔵ですが、それとはだいぶ雰囲気は違います。なにしろあけすけで見栄をはらないが地域性なのかと思います。ほし椎茸がコロナに効くだなんて怪しげなコピー文をつけて干し椎茸が売られているし、屋台の上で女性ものの下着まで売っている。軽いカルチャーショックを受けたような気分です。 

 さて、笠寺をすぎるとこんどは、わりとハイソな雰囲気に見える住宅地が延びています。午前中で授業が終わったのか、前を中学生たちが歩いて帰って行きます。そして丘陵地を降りて平地を歩くと、前方から風を受けるようになります。なぜなのかは、最初はわからなかったのですが、たぶん海が近くなったからなのだ気づきました。あたりは、次第にだだっ広いがらんとした街並みに変わりました。宮宿に付くのももうまもなくのようです。  と、宮宿を目前にしながら、バイパス道がふたつ立ちふさがります。なにしろ歩道橋でしか渡れない道です。道を渡ると、有名なひつまぶしの店があり、順番待ちの列を作っています。食べたいとは思うのですが人数の多さを見て気がひけます。ようやく宮宿に到着します。  この宮宿から桑名宿まで、東海道は、七里の渡しという船便に乗っての行程でした。かつての港から先を見ても、埋め立て地が左右をふさいでいて見通しはあまりよくないのですが、吹いてくる風が海の近さを表しています。ひつまぶしはちょっと手がでませんが、もうひとつの名物、きしめんならリーズナブル。ちょうどお昼にもなったので、熱田神宮の中にある宮きしめんの店で昼食を取ります。まもなく11月。七五三参りの家族連れがたくさん訪れていました。

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  と、ここまで東海道を歩き、ここから桑名宿にはどのようにして行きましょう。つまらないバイパス道など歩きたくないし、ましてや電車でワープしてしまうのもしゃくに思います。この宮宿からは船便ではなく、佐屋街道という脇往還をとおって行く方法もあります。この街道が通る尾張国の西部、津島あたりはまったく未知のエリアで興味があります。このまま佐屋街道にから桑名を目指します。  街道が違うと雰囲気も変わるのでしょうか?熱田神宮を境に、街の雰囲気ががらっと変わりました。神宮のわきをぬけ広い道路に沿ってあるき、金山駅の手前で左に曲がると、これまでとは全く違う街道の光景に変わりました。これまで道端に見かけなかったようなたこ焼きやお好み焼きの店が、突然増えてきます。お店が、がぜん増えてきます。そして起伏のない、まったいらな土地が続きます。道は生活道路と化していて、今でもあまり広くありません。そして路上には、人がうろうろしています。ごく至近距離ながら、がらっと世界が鮮やかに変わるさまを面白く感じました。途中でくぐる線路は名鉄から近鉄へ変わっています。 

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 道の途中には、親切な佐屋街道の案内板がかかげてあります。街道それ自体にたいした名所があるわけでもなく、気をつけなければ道を間違えそうですから、親切な案内板はとても助かります。東海道に比べれば、宿場と宿場でない場所の違いもあまりはっきりしませんが、ようやくひとつめの岩塚の宿場を越えると、大きな庄内川をわたりますが、江戸時代は、ここは渡し船で通ったようで、わきに神社があります。よくみると境内に古墳が並んでいます。古墳があること自体、古くから開けた土地であることを示しているのですから、意外なものだと思います。この万場の渡しという川渡しのため、川のすぐ反対側には、万場という宿場があります。河原を迂回する道がわかりずらく て、道もない河原の原っぱをよじ登ったり降りたりします。このあたりでは、街道は住宅地の中を通る、まったくの生活道路と化していますが、住宅の背後には田畑が転々と見えるようになってきます。この佐屋街道では、あきれるほどたくさんの川を渡っています。大きなもの小さなもの様々です。関東の場合では、西側は武蔵野台地がのびる丘陵地、東側は利根川江戸川を中心とした低地ですが、名古屋だと、東側は丘陵地で、西側に川が延びています。ま逆なのです。  きょうも、日暮れと争うように歩くことになりました。あたりはまったくの田園集落に変わっています。神守宿についたころには、なんとか日暮れに間にあいました。誰も人の歩いていない静かな集落なのですが、街道を歩いていると、道わきに山車を格納するりっぱな建物があります。建物の案内板を読むと、10月のはじめには、上町中町下町の山車を祭りで披露するようです。 

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 今日の歩きは、ここまでで終わりにします。このあたりは、歩ける距離に鉄道駅がまったく存在しません。バスが頼りとなります。バスで津島駅にたどり着いたのですが、この津島駅の駅ビルは、かつて貸事務所や貸店舗としてた区画がすべて空店舗になってて非常に閑散としています。街の有りようも、全く駅の存在をあてにしていないようです。夕暮れどきに侘しさが倍加するような光景です。その中で駅の利用者の主役は高校生たち。近隣の高校生の帰宅と一緒に、本日の宿泊地、一宮を目指しました。

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