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天井川の道(東海道を歩く21)


 東海道歩きもついに滋賀県に入りました。否が応でもまもなく京都だなと言う感覚が湧きあがってきます。米原まで新幹線で行き、米原で近江鉄道に乗り換えて水口に向かいます。数年前までは小さな集落が縮こまっていた米原の西口駅前には、いつの間にか市役所の立派な建物が出来上がっていました。近江鉄道への乗り換えるには60分近くも空き時間があって、待ち時間の間に市役所の屋上に登ると、はっきりと琵琶湖は見えないけれど、その方向に広くて明るい空が伸びている。近江鉄道わきでは、貸し自転車のスタンドがあって、そこそこ賑わっています。米原を起点にして琵琶湖一周コースならサイクリングにはちょうど良い距離かもしれません。この日はとても天気が良かったので、かつての薄暗い米原駅との対比が印象的でした。近江鉄道の車中はそこそこ混んでいて、地元の人が乗ったり降りたり。乗ること1時間30分くらいで水口石橋駅に到着します。あらためて眺める水口の宿場町は、思った以上に大きくて、水口宿も土山宿も大きな宿場町で、いったいどこからどこまでが範囲なのか判然としないところがあります。中山道の宿場と比べても大きくて、それはたぶん両者の交通量の差がそのまま宿場の大きさにも反映してるのでしょう。


 宿場を抜けると田園が広がるようになりました.松並木があったそうですが痕跡はほとんどありません。それよりも田園風景と遠くに広がる低山の連なりが見晴らしが良く気持ちの良い景色です。田圃の脇に流れる用水路にはとても綺麗な水が流れていて、水口の街道脇には造り酒屋がありました。しばらく歩くと野洲川のほとりにたどり着きます。どうやらここは渡し船でわたった場所のようですが、その跡と橋のある位置はいまの道からは離れています。
 橋を渡るとまもなく、JR草津線の三雲駅のすぐそばを通ります。この先では東海道に寄り添うように草津線が伸びています。ここで昼食をとります。JR草津線の踏切を渡ったりするところの道がわかりづらく、迷いながら行ったり来たりをくりかえします。沿道が何の変哲もない住宅地になっていて、道を間違えたことに気がつく。旧い街道沿いが微妙に道と家並みが蛇行しているのに比べれば、新しい道と家並みは直線に伸びています。その些細な違いから間違いに気がつくことが多いです。道は曲がっていても自動車の通行や人通りが途切れていなければ、そうあまり間違うことは少ないです。


 しばらく歩くと、平らな土地に突然のようにトンネルが現れます。三雲城跡の看板が掲げられたあたり、大沙川隧道と呼ばれるトンネルです。潜るのは高速道路ではなくて河道です。これはいわゆる天井川と呼ばれる地形で、土砂の流入と堆積を繰り返した末に、周囲の地面よりも川面の位置が高くなった川のこと。この辺りではこうした河道のトンネルをいくつか潜ります。天井川の他にこの付近の集落で特徴があるのは、軒下にところどころたぬきの置物が鎮座しているところ。置物の産地である信楽はすぐ近くです。大きいものから小さなものまでアレンジされた狸が鎮座しています。そんな景色を楽しむうち、石部宿に到着です。


 石部宿にも造り酒屋があって、ここでも街道脇を流れる水はとても清らかに見えます。ただ、あまり旧い宿場のたたづまいは残っていないようです。途中で道は折れ曲がったりしていますが、車や人通りが明確なのでそれほど迷うことは有りません。石部宿を過ぎるといったん集落は途切れます。近くに低い山が見えてきて、新幹線やら高速道路、JR草津線が近くに寄ってきます。京都を手前にしたこの場所が交通の大動脈を束ねる場所でもあることを示す景色です。その反面で路面の景色の方はちょっと殺風景ですが。同じような街道歩きの人が前方に見えました。近づいたり離れたりしながら歩いている。これまでなら、同好の士であればごく自然にあいさつを交わしていたところですが、コロナ禍を経た後の歩きでは同好の士に会うことも少なくなり、見かけてもあまり挨拶を交わすわけでもなくなりました。在宅で家に篭ることが多くなってから、少しづつ人と人との距離は遠くなっていく。


 殺風景な場所を過ぎて、東海道は草津川の堤防の脇を歩くようになります。ここでも川は天井川になっていて、川面よりも周囲の住宅地は低くなっています。途中には、室町9代将軍の足利義尚の陣跡とされる場所があり、石碑がポツポツと立っている一角があります。応仁の乱のあと下克上の時代に変わっていき、足利将軍の存在感は薄れていきます。この足利義尚は反乱を征伐しようと京を出て出陣したのですが、京に戻ることなく客死しています。この石碑に刻まれた多くの歌の中には、将軍が京に戻ってきてほしいという意味合いの、当時の帝から送られた歌が書かれています。まだ足利将軍もそれなりの権威は持っていて、天皇も足利将軍の権力を頼りにせざるを得なかった。そのことがわかるような歌碑です。


 続けて草津川の川沿いを歩いているうちにあっけなく草津宿につきました。中山道を歩いた時には、旧い宿場町の街場は人通りも多くて活気が有りましたが、その時よりも静かな印象を受けます。前回は気がつかなかったのですが、この街の真ん中には天井川が鎮座しているのでした。草津川の旧河道跡で、いまは整備された公園に変わっています。市街地からは、天井の川の様子は見えないので、旧河道の公園の場所と堤防下の市街地とは空間が切断されていて、その別々の空間がそれぞれ共存しているとおう、ちょっとふしぎな空間です。もっとも、公園そのものがその不思議なロケーションを活かしているわけではなく、ありきたりのスポーツ施設や、レストランなどが建てられています。ちょっと勿体無いなと思います。
 さて、今日の歩きはここまでです。いよいよ明日はいよいよゴールの京都です。草津から京都までの道は中山道の歩きから2度目ですが、たぶん前回とは全く違った感じ方になるでしょう。

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