🎧桜
まだ咲かない。
丸裸のような木を見上げながら「本当に春は来るのかしら」と、不安になることがある。
硬い蕾は押し黙ったままで、そこにふんだんにエネルギーを溜め込んでるにもかかわらず、その素振りをいっさい見せない。少しぐらい「大丈夫、信じて待ってて」と言ってくれてもいいじゃないか。
若かった私は『春を待つ』ということに怯えていた。世界を信じるのが怖かったし、何より自分を信じていなかった。このまま春は来ないかもしれない。少しの希望を持つより、このまま防寒対策を練ってやり過ごそう。そう考えた方が救われることだってあるのだ。
しかし半信半疑でいることに飽きた頃、ふと見上げると、満開の桜はそこにある。
まるで最初からその姿をしていたように。信じていなかった自分が馬鹿らしくなるほどに。
あれは合図だ。
『春と共に希望がくる』そういうものじゃない。
どういう風に生きようが、世界をどういう風に捉えようが、信じていようが、信じまいが。
あのこんもりと命に溢れる桜は、季節が巡ったことを唐突に知らせてくる。
誰が見上げなくとも、誰に信じられなくても、きっと桜は知ったことではない。
ただ平等に、誰にでもどこにでも季節は巡っているという報せを運ぶ。
冬の間、まるでその存在を忘れさせるほどひっそりとしているのに、合図を出すその姿があまりにも毅然として華やかだから。
桜を見上げるとそこにやっぱり「希望」を見出してしまうのは、私の勝手で幸せなお花見だ。
教えてくれてありがとう。
今年も胸にはサクラサク。
というわけで!
今回のすまいるスパイスは!
ビリカさん、紫乃さん、とき子による
ピリカ文庫『桜』朗読回、水曜特別配信です!
みなとせはるさん
『桜がちったその後に』
朗読 ピリカさん
桜と聞くと、出会い「入学」のイメージが幼い頃にはありました。
年々咲くのが早まって、ここ最近は、別れ「卒業」のイメージになってきたような気がします。
そして、ここに登場する姉弟が、今まさに別れの時を迎えようとしています。
大人の目線で読んでいると、悲しみと理不尽さが胸に迫ってしまうのですが、ふと、姉弟の目線になった時、そこには別れの淋しさだけではない強さが迫ってきます。
彼らはこれからこの先、幾つもの季節を、幾つもの経験を、幾つもの理不尽さを乗り越えていかなかければいけない年齢です。
桜が散ったその後にも、希望を持ち続けなけばいけない。
大人の目線で読んでいた私は、そこでハッします。
彼らは、私たちよりずっと多く知っているのかもしれません。
桜のあと、立夏がくる希望を。
別れの中にいながら、姉弟の強い絆に、彼らがこれからの巡る季節に幸せでいられるよう、願いを込めたくなる作品です。
ピリカさんの、姉と弟の声色の変化、悲しみを爆発させた後に見える絆。
朗読によってさらに、姉弟の今後の希望が見えた気がしました。
しめじさん
『桜の木の下で』
朗読 紫乃さん、とき子
夢と現の間を行ったりきたりしているおばあちゃんの儚げなシルエットが浮かびます。この世で一番愛する人が不在になった世界に取り残された時、おばあちゃんに見える景色は、私たちの見ている世界とは全く違った色なのかもしれません。
ただ、確かなのは、満開の桜の色。その中で愛おしい人の面影を待つ心の彩。
「早く迎えにきて」その一言は、見守る孫にとっては切なく、胸が締め付けられます。
おばあちゃんの手を優しく引きながら、それでも自分の手ではなくおじいちゃんの手を求めるおばあちゃんと歩く桜の景色は、彼女にとって何色に見えたのでしょう。
命は必ず巡ります。
その一巡り、彼女たちの愛情の中で過ぎていった季節を見せてもらえた気がします。
そして、ラストにまた桜の下に立つ孫の彼女に写る桜の色。
その鮮やかな優しい色が、目の前に桜吹雪となっているような作品です。
そのおばあちゃんの声を朗読してくださった紫乃さんの、儚く今にも崩れそうな、それでいて愛情の芯はいっさい弱っていないという声に引き込まれます。
打ち合わせをせず挑んだものですから、圧倒されてうっかり自分のパートの出だしを取りこぼしそうになりました。
紫乃さんの声によって、おばあちゃんがこの世から去る切なさと、巡っていく季節の希望を感じることが出来ます。
私も、まだ見ぬおばあちゃんにとってのおじいちゃんを夢見る20代女性をイメージしての挑戦でした。きっと祖父母に見守られる彼女には、サクラサク未来が待っていますね。
スタエフしかどうしても貼り付けられませぬ。聞けない場合は、ピリカさん紫乃さんのページへお願いします!
気がつけば、大阪の桜は、ほとんど散ってしまいました。
満開の期間はあっという間ですね。
だからこそ、こんなにも心に強く残るのでしょう。
「また次の季節、必ず会いましょう」
私たちはそうやって、毎年一歩踏み出しているのかもしれないですね。
あっ、毛虫の季節もやってくる!(笑)