メリー・モナークin大原田 第十話
「花乃さんの家は、夜に洗濯するんですね」
和室の隣の縁側にあたる廊下で洗濯物を干していると、友也くんが和室の入り口から申し訳なさそうに首を出して話しかけてきた。
「うん、お母さんがフルタイムしてた頃からの名残で。ここに干しとけば、日中も日があたるしね。ていうか、どした? 入っていいよ?」
そういうと、
「いや、洗濯物はお手伝いしない方がいいかなって」
照れくさそうに、細い目の際を掻いている。ポワポワだった髪の毛がしっとりしていた。
「やだそういうの、逆に照れるから。凝視しなかったらいいってば」
思わず噴き出してしまう。変わったタイプだな、と思う。友也くんは、失礼しまーす、と言いながら、和室の隅にそっと座って言った。
「あの、こないだすいませんでした」
なんのことだろうと思っていると、彼はそのまま続ける。
「花花のこと、はしゃぎすぎちゃって。俺、ずっと2人が踊ってるの見てたんです。だけど、いつからか、映像が出てこなくなって。つい最近、プア・ハウオリのSNS見つけて、花花の人だ! ってすごい嬉しくて。だけど、1人しかいなかったから、なんでだろうってずっと……。あの日、真咲の携帯で話した日、花乃さんの髪の毛が短いのを見て、フラ、本当にもう辞めたんだって気づいて、それで、あの……すいません」
洗濯物を、パンッパンッと広げる。こんな風に、自分の知らないところで、花花の存在がずっと踊りつづけていることを知る。今までとは違う不思議な気持ちだった。嬉しい、恥ずかしい、忘れて欲しい、忘れて欲しくない。どの感情も本当だった。
なんと返事をしていいか分からず、無言で何枚かの洗濯物を干してから声を出す。
「ねぇ、そういえば、友也くんってなんでそんなに家事や料理が得意なの?」
彼は、心からホッとしたような笑顔をこちらに向けた。
「うち、母親がフラの教室やってて。あ、すごく小さいんですけど。やっぱり、学生さんや社会人の人は夜のクラスが多いし、休日もイベントが多くて。だから、食事や家事は、各々でできるだけ頑張れってスタイルで。兄貴が2人いるんですけど、これがまた、よく食うし、よく汚すんで、とにかく、全員が効率的に動かないと、大変なことになるんです」
くくくと楽しそうに目を細める友也くんに、私は驚いていた。彼は続ける。
「昔からお弁当箱も各自が洗うことになってるんですけど、洗うの面倒で、なんでもおにぎりにして中にぶちこむってスタイルで、だから家事も料理も得意ってわけじゃ全然ないんですよ」
「なんでも?」
つい、つられて笑ってしまった後、私は驚きと後悔のためいきをついた。
「同じフラをやっている母親でも、家族の協力があるとないとで、こんなに変わるんだね。うちは、母がフラをやめるっていう選択をさせちゃった。友也くんちは、本当にいい家族なんだなぁ」
お母さんが病気になってから、お父さんや真咲ばかりを責めていた自分を思い返す。
お母さんがステージに立てなかったのは、理解を示さなかったお父さんのせい。フラもスイミングもサッカーも、次々飽きては習い事を変えて、その送り迎えや準備で時間をかけさせた真咲のせい。私は? 私は、お母さんが喜ぶフラを、体力の限界まで頑張っていたんだもの。
自分を正当化して、家族を責めて。お母さんが1人、家の中を走り回ることを当然と思っていたのは、私だって同じじゃないか。挙句の果てに、私はあっさりフラを捨てた。
「変わりませんよ?」
ため息の終わりを掬うように、友也くんが言った。
「え?」
「あの、大変な時にごめんなさい、でも、おばさん、今、めちゃくちゃ幸せそうで、しかも、真咲も、花乃さんも、おじさんも、おばさんのためにこんなに一生懸命フラッシュモブの準備してて。すごい、いい家族だなぁって俺、思ってます」
『いい家族』ただそう言われただけなのに、鼻の奥がツンとしそうになった。慌てて洗濯物を手に取ったとき、真咲が「うーい友也、風呂出たぞーい!」と和室の障子を突然開け、それから微妙な空気を確認するかのように、私の顔、友也くんの顔、私の握っている洗濯物を順番に見た。
「あ、姉ちゃんのブラジャーに照れちゃってる系? 気にすんな、姉ちゃんのはほぼユニクロだ」
「それに照れてるわけじゃねぇよ!」
「ほぼユニクロじゃないわよ!」
2人で同時に叫んだ。後で真咲をしばき倒そうと思う。
翌日、かねてより約束をしていた円花の家に、3人で向かうことになった。到着するなり、真咲が、すげえ、すげえ、とウッドデッキの上ではしゃいでいる。前にきた時より、潮風の香りがほんの少し濃くなっている気がした。
「あれから、練習進んでる?」
円花が笑いながらコーヒーを持ってきた。友也くんが恐縮しながら受け取る。友也くんは、もはやアイドルのファンミーティングに参加している様相だった。昨日、はしゃいですいませんと言っていなかったか?
「お2人が揃ってるところをまた見られるの、感無量です……!」
円花は私と真咲に「ん? こないだ大学行った時、彼、こんなキャラだった?」という顔で確認してきた。話すと面倒なので、揃って頷いて返しておく。
「基本ステップはかなりいい感じに仕上がってます。あと、友也の親父さんの先生からも、ダイナミックに見えるフォーメーションとか教えてもらえることになってて」
嬉しそうに答える真咲に円花が頷いた。
「まさか、里野先生の教え子さんが、友也くんのお父さんとはね!」
フラの世界は狭い分、横のつながりが強い。イベントや大会に参加すると、各教室の先生たちが驚くほど繋がっているのを知ることがあった。
円花は、里野先生と連絡をとってくれて、今回のカネフラの練習の段取りを整えていた。「やっぱり、私にカネの迫力は伝えきれない部分もあると思うから」と迫力満点のレッスンをした後に言っているのがおかしかった。
「お父さんも、思った以上に練習してる。今朝も男3人でよく踊れてたみたい。円花、本当にありがとう。レッスン代のこととか相談させてね。お礼程度になっちゃうけど」
プア・ハウオリの生徒さんもフラッシュモブに参加することになっている。勢いで始めてしまったけど、想像を遥かに超える人数が動き出していた。自分の給料で、できる限りのことをしなければと思いつつ、私は少し震えていたが、それでも感謝の気持ちでいっぱいだった。
「それね、まぁ、気にするなって言っても気にするとは思ってるけどさ。それより、花乃の練習は進んでる?」
そう言われて、お金のことを考えるのを一旦置いておく。
「うーん、勘が戻ったってほどではないんだけど、動けるようになってきたよ」
私も、プア・ハウオリのみんなと踊ることになっていた。仕事と家事の合間に練習に参加する時間と、自主練をする時間を作るのが、どれだけバタバタするかを思い知っているところだ。大人しかいない家族でこれなのだから、お母さんはあの頃、どれだけ大変なことだったのだろう。
お母さんは、不思議と何も聞いてこない。まさかフラッシュモブについてはバレてないと思うのだけど、家族が何かやっているとは薄々気がついているだろうなと思う。
「じゃあ、はい、これ。これ、完璧にできたら、お礼なんていらない」
お母さんのことを考えながら、練習の楽しさを思い出していると、円花は、一枚の紙を差し出した。真剣な顔をしている。
それが何か、本当はすぐわかるのに、私はわからないフリをして動きを止める。