メリー・モナークin大原田 第二話
「もしかして、フラッシュモブがやりたいの?」
なんですぐそう思ったのかわからない。
隣で真咲がフラッシュダンスに吹き出してフゴフゴ言っていたけれど、お父さんはいたって真面目な顔だった。
改めてお父さんは頭を下げると
「頼む、一緒にフラッシュモブをやってくれ」
と言い直した。
「フラッシュモブ!?」
ようやくピンと来たらしい真咲が大きい声を出したので、頭を平手で叩く。
「お母さん起きるでしょうが」
「だって、フラッシュモブってあれだろ? プロポーズとかする時に周りが一斉に踊り出すっていう、くっそ恥ずかしいやつ」
もう一度、平手で頭を叩くと
「見てるこちらが照れてしまう上、プロポーズを断れず追い込まれる女性を見守るダンス?」
丁寧に言い直しているが、そういうダンスではない。
「あんた少し黙ってなさいよ」
睨みながら言うと、真咲は肩をすくめてみせた後、フラッシュモブと検索を始めたので、とりあえず無視してお父さんを見た。
「お父さん、なんでフラッシュモブなの?」
お父さんは、私を見つめるでもなく、コタツの隅の方を見て何か考えていたけれど、意を決したようにコタツの天板をずらし、そこからノートを取り出した。
それはピンクの大学ノートで、お母さんの字でわざわざ丁寧に『日記』と書いてあった。
「ちょっとお父さん、お母さんの日記勝手に読んだの? 信じられない! そういうのはせめて亡くなった後に読むのがマナーでしょ!?」
つい大声を出してしまった私に、今度は真咲が私の肩をこづいた。
「母さん起きるし、亡くなった後とか言うなよ」
思いの外真剣な眼差しだったので、それは素直に謝った。お父さんが口を開く。
「情けない話だが、本当に、俺は母さんのことを何も知らなかったんだ。母さんが何をしてほしいのか、母さんが何をしたいのか。母さんが日記を書いているのは知っていたから、ヒントになればとつい、読み始めてしまった」
お父さんは、昭和感満載の絵に描いたような亭主関白を貫いている人だった。家事、子育ては手伝わない、一度席に着いたら決して立たない、口に合わないものは食べないし、それらのことについてお母さんがいくら不満を言っても「ごちゃごちゃ言うな」の一点張り。生真面目で、酒も飲まず、ギャンブルや浮気をするような浮ついたこともしなかったが、だからと言って協力的なこともしなかった。
家族旅行に行く時も、基本はお母さんが全ての日程を考えて出かけるのだが、旅先でお母さんが行きたいと言っていた店には寄らず、「こっちの方がいいだろう」と勝手に予定を変更してしまうような人で、そのたび家族が振り回された。
俺の言うことが正しいんだ。口にこそ出さないが、顔や背中にはいつもそれがくっきり書かれていて、幼い頃はすごく頼りがいのある父親だと思っていたが、年頃になると鬱陶しい以外の何物でもなく、私はよくお父さんに反発していた。
それでも、お母さんに悲壮感みたいなのはなくて「お父さんはこういう人なの」と、半ば諦めていたのか、それともそれを楽しんでいたのか、我が家にジメジメとした空気は全くなかった。だから、家族の誰もがこれが幸せの形だと信じていたし、お母さんも幸せなものとばかり思っていたが、実際『日記』と書かれたものが目の前に置かれると、お母さんの本音がどんなものだったのか、急に不安になってきて手を伸ばせない。
恨みつらみが溢れていたらどうしよう。
「恨みつらみだ」
まるで私の思考を読んだかのように、被せられたお父さんの言葉に、どうしようと思ってたはずの私は思わず目を剥いた。
「いや、こういう場合、実はお父さんが昔プロポーズにフラッシュモブをしたとか、お父さんとたまたまフラッシュモブに遭遇してお母さんが感動した、とか書いてあるパターンじゃないの!?」
お父さんは動揺するでもなく、淡々と言う。皺っぽい両手を揉んでいるあたりが、実は動揺を窺わせてはいるけれど。
「フラッシュモブは最近知った。俺もそれなりに覚悟を持って読むことにしたんだが、まぁ、思った以上に割と……いや、かなり恨まれていた」
隣で真咲が、またブホッと鼻を鳴らしたが、笑ってなどいられない。意を決してそっと日記に手を伸ばすと
「え、マナー違反じゃないの?」
と言いながら、真咲もにゅっと首を突き出してくる。読む気満々である。
コタツの天板に挟まれていた日記は、ほんのり温かかった。そのぬくもりに反して恨みつらみが書かれてあると思うと、むしろ生温かいおどろおどろしい温度に感じるから不思議だ。
私たちは、ゴクリと喉を鳴らしてページをめくった。最初のページに2009年とある。私が10歳、真咲が5歳のあたりだ。
お父さんが、かいつまんだらしい付箋を貼ったところに目を走らせる。
「いや、父さんこれはエグいわ……めっちゃ嫌われてるじゃん」
真咲が声に出して言った。
正直、私は声も出ない。