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大御所の去り際

あなたがいないと生きていけない。

君は、私の調子が悪くなった時、間違いなくそう呟いた。
「今、あなたがいなくなるのは考えられない」
『今』?
いや、未来永劫一緒にいたいと、私はそう思っていたよ。
誰だってそうだろう。一度は永遠を願うものだ。

今。
今って例えばいつまでなのだろうか?
5分後? 10分後? 3日後? 1週間後?

私はね。時を止めることが出来るんだ。
新鮮な君を、新鮮なまま留めておくことも、ひょっとしたら可能かもしれない。
実際、そういったパターンの話もちらほら聞くことがある。
まぁ、私はそんなことはしないけれど。


今。
今は残念ながら終わってしまうようだった。
何度か「今までありがとうね」と呟く君の声を聞いた。
『今まで』という言葉。
その言葉を反芻する。私の『今』はもう限りがくるのだ。

薄々気付いていた。
少しずつ荷物が減っていく部屋を見渡す。
生活感がなくなっていく、私から。
『生活そのもの』を担う私から生活感が薄れていくのはつまり、私はもう、君のそばにいてはいけないということだ。

『今』を、ゆっくりに進めるのが仕事だった。
終わりが来るのを、外の世界より遅らせるのが仕事だった。
だから、君との終わりが、もっと後にくればいいと随分考えたものだった。
限界があるんだろうなぁ。
15年。
ただの一度だって君をパニックにしたことはないと思う。
それが私のプライドだった。


朝10時。
ちょうどいい時間だと君が言う。
「ヨッ」という掛け声と共に、あまりにもあっさり運ばれた。
どっしりと深く在るつもりだったのに呆気ない。
玄関に、新しく君の生活を支えるだろう奴がいた。

「次を頼む。出来れば壊れるまで頑張るな。壊れる前に、調子の悪いことを伝えろ。そうすれば、最後の瞬間まで別れを惜しんでもらえるだろうさ」

老いたものから若きものへ伝えられるのはそれだけだ。

◻︎◻︎◻︎


「15年だよ。あんたが生まれる前から!北海道も熊本も香川も広島も、そして大阪まで全部着いてきてくれた。全部の間取りにピッタリフィット。本当にお疲れ様だったよね」
私は、娘にその歴史を言って聞かせる。

冷蔵庫の卵が薄く凍ったあたりから、そろそろマズイと思っていた。
真夏に壊れたら家族でパニックになること請け合い。
そんな不安を抱えていた頃、義実家の冷蔵庫が壊れ、その2日後、職場の冷蔵庫も壊れた。

これはサインだと思った。
15年、文句も言わずただそっと冷やし続けてきた君が、そろそろ終わりに向かうのだ。

家族で粛々と中の物を食べていく。
買い出しは控え、隅々をチェックして、出来るだけ計画的な1週間を過ごした。
次の冷蔵庫を買いに行った時、完璧に予定を立ててから、納品日を指定出来たことは、この上ない幸運だと思う。

なんとなく、リビングの家電が騒めいていた。
家電は、多分会話している。
なんせ壊れる時を合わせてくることがしばしばあるのだから、冷蔵庫に食材が入れられなくなったことを察してる奴もいるに違いないなかった。
「冷蔵庫先輩がいなくなるなら、俺も辞めます…!」とか言い出す後輩だっていたかもしれない。

しかし、我が家の大御所はきっと、それを諭したはずだ。
「辞めるだなどと、つまらなく自分を終えちゃならないよ。そうすればきっと感謝の言葉を聞けることはないだろう。なんなら憎まれてしまうことさえあるかもしれない。数年かけて築いた信頼を、最後の最後にそんな形で壊すのは、お互い悲しいことだよ」
「でも…不調を訴えると、分解されたり痛い目見た挙句、捨てられることだってあるじゃないですか…!」
「それも運なのかもしれない。でもな、ギリギリまで粘って、ありがとうの声と共にコンセントを抜かれる、これは私たち家電にとって、とてもありがたいことだ。そういうプライドを持つことで、最後の瞬間まで愛されると思わんかね」
「冷蔵庫部長…!」(昇進)


家族揃って、彼の最後を見送った。
あんなにどっしりしていたのに、あまりにも軽々と運ばれて行くその潔さに、私たちの思い出が廊下の真ん中に取り残されたような気持ちになった。
堂々としたその背中、君のその背中を見たのは、思えば今日が最初で最後だったかもしれない。
次の冷蔵庫が、私たちに背中を見せることなく、彼のいた場所に立った。
生活は続く。
去り際の彼が、新人に何を伝えたか。私たち人間には知る由も、ない。


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いや、冷蔵庫買い替えただけの話です。
それより、搬入搬出の人が、あまりにも暑そうで、汗まみれで、この地獄の真夏の炎天下に、朝から何軒も大型家電を運びまくってると思うと、それもまた両手を合わせたくなりますね。ありがたや。
なんて言ってる間に、彼はもう玄関の外でした。

新しい冷蔵庫は、もう随分前から我が家にいたような馴染みっぷりで、他の家電の賑やかしも、どうやら軽くスルーした模様。
騒めいていた家電たちが、なんとなく落ち着きを取り戻した気がするのは、これはただの気のせいかしら?

そういえば、いつかの夏に、私のMERごっこにも付き合ってくれた、愛する冷蔵庫でした。
読み返したら、我ながら最高のオペをしていました。どうぞ、TOKYO MERにハマった方は、私の喜多見チーフぶりを確認してみてください。


ありがとう。
また立派な冷蔵庫に生まれ変わると信じてます。



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