ほたるのひ
今年も父の日に、家族で蛍を見に行った。
なんとなくここ数年、父の日に見に行くようになった。
今年は、私と夫と、娘と息子の4人。
日が沈み、あたりはだんだん暗くなっていく。
小川のしげみや、山の木々に目を凝らしながら、ちいさな光を探す。
今回は、直前に雨が降り、肌寒い日で、蛍の観察ができないのでは…?とも思ったけれど、
20分ほど散策をしながら待つうちに、ほんのりと小さなあかりが灯りはじめた。
ああ、今年も会えたねと、うれしかった。
父に会えなくなって、2年が経った。
お別れも言えないまま、去ってしまった父のことを、どう受け止めればいいのだろうと、
何度も思いながら、月日を過ごしてきた。
ふとしたときに、
かなしさが身体の中を、静かに流れているような、なんともいえない気持ちになることがある。
大好きな人と出会って、
幸運なことにいまは夫婦となり、
子どもも産まれ、今年は家族4人で蛍をみた。
まだ話せない1歳の息子は、不思議そうに蛍を見つめ指さしながら、とりおり笑顔を見せていた。
昨年は、こわいと目をつぶっていた4歳の娘も、今年は「光っているね」と見つめていた。
小さな2人と手をつないで、4人で歩く。
私は、いま、とてもしあわせだと思う。
そして、
無邪気に父と母が蛍を手にのせ、うれしそうな顔をしていた、あの蛍を見に行っていた日は、もう2度とないんだなとも、しみじみ思うのだ。
わたしは、このまだ小さく儚い光のようなこどもたちの命を大切に守りたい。
もうこの先が、限られている母の光もできれば絶やさずにいたい。
夜の闇をまとった木々を眺めながら、あの日の父のことをおもう。
いずれ絶えるのが定めならば、より純粋な流れに身をゆだね、小さくても光を灯すことをあきらめずにいたい。
来年の私は、蛍を見て、何を思うのだろうか。