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人間関係の話。『嫌いな人』っているの?

こんばんは、とっちょです!

『嫌な人』とか、『嫌いな人』って、本当にいるのだろうか。今日、ふとそんなことを考えていました。

この人嫌だな、嫌いだな、関わりたくないなって人って、わたしにはいます。
でもそれって、その人のある一面を見て、『嫌いな人』にカテゴライズしただけのことであって、それ以上でもそれ以下でもないというか。
なんかそんなふうにふと気づいたんですよね。

嫌なことを言われたり、ひどいことをされたりすると、その人のことを嫌いになりますよね。
その人との関係性を考えるうえで、『嫌なことをされたから』またしてくる可能性があるし、もうされたくないからだから関わりたくないから、『嫌い』と決めて、『嫌い』だから『仲良くしない』と決める。

でも実際は、最初嫌だなと思っても意外と良い人だったり、逆に最初は無害だと思っていても案外難しい人だったり、人に対する評価ってわりと変化していきますよね。

なにが言いたいかというと、本当のところは、『その人のことが』嫌いなんじゃなくて、自分の心がその人とのやりとりする中でどう感じたかだと思うのです。

わたし、職場で苦手な人がいるのですが、その人すごく社交的な人で、いつも誰かと話してる。
でも、わたしはその人と話していてなんかこの人ちょっとめんどくさいなと感じることが度々あって、あんま好きじゃないかもと思って、その頃ちょっと避けてたんですよね。そしたら、その人、すごくわたしに嫌われているって気にしてしまったようで、彼女の感情が爆発してしまったことがあって。まあ、そういう地雷を察知していたから避けてたのだろうけれど、それ以来ますます緊張感のある関係性になってしまったのです。

で、今日シフトがその人と同じ時間だったから、ちょっと嫌だなぁと思っていたのです。
そして、朝出勤するときに、そのたびに嫌だなって気にかけてるのはどうなんだろうと考えてみました。嫌だと思うこと自体が嫌だなと。

そう考えたときに、ふと、彼女は、すごく人間関係に執着心があるんだろうなと思いました。
そして、わたしは、彼女のその執着心が、嫌なんだろうなと思いました。

そして、わたしが、『人間関係における執着心』が嫌だなと思っていることは、自分自身の課題だなと思いました。そしたら、彼女のことがわりとどうでも良く感じることができました。

つまり、『その人』が嫌いと考えると、自分の課題に落とし込めないけれど、その人の『どういうところに心が引っかかるのか』を紐解くことができれば、自分の人間関係に応用がきくんじゃないかと思うのです。そのときに、個人レベルの話ではなくなる。

もちろん相手が攻撃してくるような時はもう逃げるのがいちばん手っ取り早いですが。

人間関係のトラブルは、だいたい同じことが繰り返し起こると思っています。
職場、友人関係、恋愛、家族。

ひどい場合は、加害者と被害者という関係性が繰り返される場合もあると思いますが、自分が加害者にしろ被害者にしろ、もし、同じことが繰り返し起こるのであれば、なにか自分がリピート機能を持っているのだと思います。
そのリピート機能を見つけて手放さないと、同じことが繰り返し起こる。わたしがそうでした。

そのために人間関係を見直すというよりかは、自分自身の人に対する接し方とか、人に対する気持ちの持ち方を見直すことが大切だと思っています。
そして、自分の心に対する接し方、自分の心に対する気持ちの持ち方も、人間関係のひとつだとわたしは考えています。

自分自身に対して、こうじゃなければならないとか、こんなんじゃダメだとか、こうあるべきとか思い込みが強いと、他人とのコミュニケーションの取り方も偏ってしまうように思います。

難しいように感じるかもしれませんが、他人との関係性にぐるぐる悩むより、自分の思い込みと向き合うほうがはるかに健康的です。

わたしで言えば、元夫と結婚、離婚した一連のこともそうです。
夫との関係性にぐるぐる悩むのをやめて、わたし自身の、パートナーとの依存関係をやめると決めました。夫だけじゃなく、もう2度と誰ともそういう関係性になりたくないと決意することができたからこそ、結婚と離婚を通して自分にとってすごく学びがあったと思っています。

振り返ると元夫は面白い人でした。
わたしが依存関係のリピート機能を発動していなければ、面白い関係性になっていたのかななんてタラレバですよね。今でも思い出すとムカつくこともあるけど、それだけでなく、本当に楽しかったこともあります。
わたしはわたしの課題に向き合って、また新しい人間関係を築いていきたいと思います!








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