愛おしい辿ってきた時間

たとえばラジオ
無線通信:無線電話
送受信する機能・機械
音声送る:電波届く
AM放送:FM放送
アナログ:デジタル
BS/CS

1900年代~現在(Wikipedia 見ながら書いてます)

同じようにテレビの変遷、電話の変遷、、

時代だね~って感じで、いまは、聞く!見る!ことのチャンネルは多様化し、発信する人々もまた、芸能人とか限らずプロアマ関係なく多用に発するし、24時間365日、時間枠・時間軸も越えて、ヒトや組織の枠組みも超越して、これまでのいろんな境界線・誰かが構築した壁が溶けてゆくような感じある。これも人類の選択であり進歩として進んできたことだと思うんです。

自由に時間を選んで、自由にチャンネルを選んで、なにを/どのように/いつ/届けるか。受け取るか/受け取らないかの選択。

表現や芸術の在り方と同じように、誰かの独占や一部の方の楽しみや幸福のためにだけ存在するものではなくて、多くの人々と分かち合いましょう!って進んできた流れがあるのだと。どんどん身近になってきた今があるし。まだ進歩の途中なのだと・・

wiki見てるだけでも、そうした変遷の時間を多くのご先祖様が先人たちが、それぞれにその時代を豊かに生きようと想像・創造してきたのかと想うと、なんて愛おしいか、涙。ですね。

これまでは、ラジオやテレビも限られた時間の中でその時間を多くの人が目撃する傾聴する時間があって、たいがいのニュースや番組内容や人物なんかを多くのひとが知っていて共通認識していた感じ、それは、ある意味では似たような出来事を多くの人で共有して似通った思考思想の集合体として括られるようなイメージもある。捻くれた面で言えば意識操作のような感じもする。けれど、そんな時代もそんなには続かなくて、どんどん人類は抜け出して突き抜けてきたんじゃないかなってゆうのが今かなと思うんですね。

時代の歩みとしてはやっぱり自由や個々の豊かさへの探求が希望が大きく時代創造のエネルギーとなって今日まで進めてきたような感じがします。

radioで流れてくる音楽にみんなが惚れ惚れして誰もが知っていてみんなで歌える!って時代も確かに素晴らしかったんですよね、、昔の映像とかみると多くのひとが魅了されて夢中になって失神して真似っこしてワーキャーしていたような時代。

ちょっと冷静になったのかな。。実際、世界中に音楽やアーティストは溢れていて、ランキングにのっかるだけじゃないもっともっと世界が広いことは今は知れているし、好きな音楽を求めてどこまでも領域追えるほどたくさん作られています。だから、アーティストさんや商売する人たちにとっては苦悩も当然あるだろうけども、小さな枠組みに向けて発信するだけでなく、遠くの国々の方にも身近に感じてもらえたり興味や好意を抱いてもらえたりとゆう、飛ばす!届く!通じる!ってことの挑戦する場が広がっただろうし、景色が広がるってことでもある。

インターネットラジオの登場でも2000年、、だいたいそれ以降の時代創造をいまの人たちで共有しているわけだから、まだ時としては浅いのかな。1900年くらいから創られてきた感性とか決まり事とか、これまでの感覚、現時点において今いるヒト達の思考・思想の枠組みのなかで、既に価値づけられてしまうことによって、操作されたり邪魔されたり消されたしまったり、その価値観が全てではないはずなのに、当然のように未来へ引き継がれない事情とゆうか都合とゆうか、悲しいことだけど。永久性や確実性が弱い。いつまでも在るわけじゃないとゆう喪失感や迷子になってしまうこともある。簡単に失くしてしまうような危うさもあるってことを深く慎重に受け止めておかなければならない。

でも、、同時代の挑戦は続くし、これからのことを創る未来へ繋ぐ人たちで同時代を共有しているのだから、信念とゆうか強く想い想像し創造してゆくことを諦めずに、これまで作ってきた人たちよりも、より豊かになっていくエネルギーにしなくちゃね!って思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?