初期記録:表現は希望
幸せな表現者が増えること。
幸せな表現者による表現が増えること。
自分のなかの、他人のなかの、感情や感覚を何かしら得て知って感じて養ったりしながら、心の豊かな人々と日々、分かち合い今時代を生きる。多くの方々と、この時(時代)を共にする喜びとする。表現は希望です。結構、真面目に願っています。
でも、表現分野、芸術分野。その大きな枠組みからコレ!とも選べず、ドコ!とも関わるでも混ざるでも積むでもなく、表現に拘って、ここ数年。拘るというか、探究探求しがいがあるテーマみたいだ。拘る理由やキッカケは色々あるけど、マネージャー兼事務という形で関わった音楽業界での経験は大きかった。ほんの数年でしたが普通ではお会いできない方々とも接する機会がありましたし、華やかな現場にも立ち会い、アーティストとお客様との後ろや前や横に立ち、見える景色というのは、素晴らしくも面白くとても貴重な時間でした。それが今も継続されていないということは?それなりの原因はある。自分が良い!好い!と思うものを誰かの判断に委ねる、どう偉いのか審美眼あるのか、その辺もわからない相手に伺いをたてる、途中経由して敗北する、を繰り返す。そうして、才能ある人間の可能性も若い芽も潰すようなことをしたし、なんの実績も成果も自信になることを残せなかった。出会えば出会うほど属するモノ以外にも興味や気になる事が多かった。最後は組織を嫌い面倒くさいクサイ!ヤダヤダと鬱々として、関わることを避けるようになった。
そんなワタシに、幾度か年月を掛けて、お仲間に誘って頂く機会がありました。鬱々したまま、なにひとつ絞れずふらふらとしてるワタシには外側で観ているだけでも充分でしたし、何かしらの情報をちょっと早めに知れたり周りにお知らせできたり、そんな感じの繋がりでも良かった。何度かの対面、近況報告、お誘い、じゃぁ、またね!と、うやむやにしては再会するを繰り返してきました。が、このたび、毎度のようにうやむやにも逃げられない雰囲気を感じ取り、決めないことが欠点だと諭され、これは決めねばなるまいという流れに…。とうとう、なにか始まる。その一歩踏み込むところにきたようなので、これは物事が始まる初期的エピソードとしても記録せねばならない、そんな気も致しましたので、ここに書いています。
誘っていただいたけれども、あちらも、ワタシがこのまま即戦力にならないことはお見通しだ。何ができて何をしてほしいからこれをやってとか、具体的になんの役に立つのかすら何も見えていない。どんな自信なのか、なんの期待値なのか?、そのうち、すぐにバレて、なんだ!こんなもんか!イラナイ!ってなるかもしれない。それくらい現時点ではマイナス要素だ。それでも、あちらは不思議なもので大丈夫!!と申します。まったくもってわからない(もっとだって他にいるでしょ~!!)。わからないけど、ワタシが勝手に潰れたくらいで一緒に沈んでしまうような彼らでもない。それは解る。そこは信用する。
まだなにも具体的に、こーですどーですと言えないけれど。何らかに関わることが始まります。そして、この動きや流れを察知していたかのように、我が母が東京にくる!ちょっと観光にくる!という次元じゃない。一緒に住むことを決めてくれた。サポート体制としても大変心強いし、気合い入れて働かねばならない。ワタシが動き出したというよりは、そうした周りの反応や動きによって、始まることを始める。関わるといっても生活に密着する収入が発生するとかお約束はしていないので、他のバイトもしつつですけど。今までと違うのは、そこに関わる時間を定着させることかな、まずはそこから。ちょっとリハビリを始めるような感じでちょっとずつ。
見ているだけで良かった分野へ、ずぶずぶ深みに嵌るのかしら、景色はどんなかしら。これは履歴書の無いはじまり。理想的で不思議でありがたい、事の起こり。実は音楽業界への入り口も、こんな感じでふらっと舞い込んだ履歴書の無いはじまりだった。こういう機会って有るものなのだなぁ。さて、試される場を与えてもらって自分を試すこと。未知で無知な分野だ。いつしか堂々と御披露目会できますでしょうか。
というわけで、また、何か動きがありましたら書いてみますね。では、時共にお楽しみまショー。
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