納棺師が体験した魂の話
自死の方のご自宅や安置の場所に行くと時々、
音を立ててくれる人がいます。
生暖かい風の吹く日、私たちは、お寺の脇のプレハブの建物に案内されました。
死因は、ご自分で飛び降りてしまった26歳男性の方です。その男性は、プレハブの建物の中心で安んでいました。
高いビルから飛び降り、頭から下に落ちてしまい、頭部から口元まで大きな裂傷のあるご状態でした。
お身体全体のご処置も必要なので、私はお足元から、男性スタッフは、頭部から処置を各自始めました。
その時、しばらくするとプレハブの周囲を回っているかの様に、
『カーン、カーン』と音がし始めました。
何の音だろうと男性スタッフが見に行っても、
音が鳴るようなものはなく、さっきまで吹いていた風もやんでいたようです。
それでも、『カーン、カーン』という音は、プレハブの周りから場所を変えながら聞こえてきます。
私たちは、お互いに顔を見合わせて、
『綺麗にするので、待っていて下さい』
と心の中で伝えながら、ご処置を行ないました。
ご家族は本堂で、打ち合わせをしながら、
ご面会できるのを待っています。
急いでご処置と復元を行うのですが、時間を頂かないと、難しいご処置になります。
(ご処置の話はまた今度しますね。)
その間故人様は、ずっと音を立てていらっしゃいました。
『僕はここにいるよ』と伝えているかの様に・・・
幽体離脱という言葉がある様に
身体と心=魂は離れます。
身体が壊れてしまっても、何も無くなってしまうわけではありません。
内側にある、
心=魂は、在り続けます。
このようなことは、はじめて起こることではありません。
時々、亡くなった人がいることを伝えてきてくれる方がいます。
きっと亡くなるとは無になることではないのです。そう感じることが本当にたくさんあります。
私は、この仕事を通して、人の身体と内側の魂が存在することを改めて知りました。
昔から、不思議に思っていた、魂の話は決して幽霊の話やお化けの話ではないのです。
生きている身体と心=魂の話です。
具体的にどういう風にとはお伝えできませんが、
確かに存在していた身体と内側の心=魂はひとつになって命として生きている、そんなことを私は感じさせて頂いています。
その方のご施行も終わり綺麗になると、安心したかのようにその音は鳴り止み静けさを取り戻しました。
どうぞ。
安らかにおやすみください。
私たちは、手を合わせてその場を離れました。
人は見える形で存在しています。
魂は見えないけれど存在しています。
亡くなってしまったらご縁がなくなるようで
悲しいですが大切な人たちは
きっと、近くで・・・
そっと、遠くから・・・
大切な人たちを見守っていてくれているのだと
私は思っています。
大切な人や大好きな人を喪うのは、
会えなくなるし、触れることも出来なくて寂しいですが
そんなとき私は
大切な人を思い浮かべながら
空を見上げて心呼吸をしています。
「私、今日も元気で生きてます」
「大丈夫だから、安心してね」
「いつも、見守ってくれて、ありがとう」
「今日もありがとう」
そうやって心の声で伝えています。
湯灌納棺・特殊修復の有限会社統美
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