『侍タイムスリッパー』を観た
SNSなどで話題となったインディー映画の本作である。なんとなく観たいな観たいなあと思っているうちに1ヶ月が経ち、ようやっと今日観ることができた。タイトルからは想像できないほど実に様々な物語を有した本作は、まさに笑いあり、涙あり。インディー映画特有の、良い意味で予測不可能なドキドキハラハラ感がクセになりそうな、そんな素敵な作品だった。
本作は、偶然京都の映画撮影所にタイムスリップした江戸時代の侍が、激変した日本の時代劇業界で斬られ役として懸命に生き延びようとするお話である。タイムスリップして日本の様々な変化に驚嘆、感動する侍の姿や、不器用で生真面目な彼を明るく支える京都、時代劇業界の人たちの人間模様などに、ときにほっこり、ときに心揺さぶられる、そんな映画である。
※以下、ネタバレ(甘口)に注意してください
武士が現代日本にタイムスリップするということで、展開は大分読めると思うのだけど、個人的な雰囲気で言うと、『クレヨンしんちゃん嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦』に近い雰囲気の映画だったと思った。本物の侍が現代日本人との交流を通して、彼も葛藤するけれど、彼の真っ直ぐな姿に我々もどうしても心を動かされてしまう。 フィクションとは分かっていても、本当にご先祖さまからそう言われるのでは?と想像し、グッときてしまうのだ。
本作の途中で、主人公の侍がやるせない現実の前にうちのめされかけてしまうシーンがある。酒に酔って商店街を歩き、惨めな仕打ちを受けてしまう。自分は何をやっているんだ、と自問する。その後、彼は出演する時代劇で「真剣」を使用したいと申し出る。ここに身に沁みるメタファーを感じた。
そうなのだ。我々は一瞬一瞬に真剣に生きていたはずなのだ。それが時代が移り変わり、平和となった。真剣を使わなくて良い時代になった。だけど、時間やお金、コスパやタイパなど、江戸時代からすれば割とどうでも良さそうなことに追われるようになった。これは本当に世の中が平和だからなのだと、映画を見て改めて思ってしまった。別に、現代が悪いと言いたいわけでは決してない。
ただ、この映画を見ると、「真剣」の元来の意味を思い出させてくれるようだった。模擬刀や竹の剣ではなく、真剣で勝負をすること。生死をかける必要はないにせよ、それほどの気迫を持って最近生きていただろうかと、観客の多くは劇中に自問したに違いない。
色々な感想はあるにせよ、自分が思うに、この映画は「真剣とは何か?」「君は何かに真剣か?」ということについての映画であり、真剣に生きる人がどれほど魅力的か痛感させられた。ああ、僕もそうありたい。刀ではないが、ペンと剣道に真剣でありたい。この映画は真剣さでそんな自分を見事に貫いてくれた。