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一人一人がそれぞれみている世界

少し前に、「私」という存在はひとりじゃない?っていう記事を書いたんだけれど、世界も同じで、ひとりひとりがそれぞれみている世界があって、同じ世界をみているようであったとしても全く同じっていうことはない。

それは結局のところ人はそれぞれ自分のみたいように世界を見ているからなんだけれど、

ある日とあることが起きて私はそれを痛感させられた。

あー、人は世界をその人の色眼鏡を通してみているんだー!って理解した。

これって当たり前と言われれば当たり前のことなんだと思うんだけれど、

私がそんなことに氣づかされたエピソードはこちら!ジャジャン。

ある日の夜、玄関の扉をトントンと誰かが叩く音がした。

ちょうど夫がいた時間帯だったので夫が出たんだけど、

その人は以前、近くの家の庭の手入れの仕事に来たんだけどドタキャンされてしまって、せっかく道具もあるし、よかったらあなたの前庭のお手入れ○ポンドでできるけどいかがですか?ってやってきた人で、

ちょうど子どもが小さくてそこまで手がまわっていなかったので(汗)じゃぁお願いしようかしらってお願いしてみたらそれはもうすごくいい仕事をしてくれたあの人だった。

その人が突然夜中に今度ちゃんと返すのでお金を貸して欲しい、

と言ってやってきた。友達と出かけるのに出てきたんだけど、お金がなかった、だか、お財布を忘れてきた、だか

そんな事だったと思う。

夫はいいよ、ってすぐお金を渡してその人はお礼を言って帰っていった。

私はその後、なぜだか恐怖感でいっぱいになった。一度しか会った事ないけど、丁寧に前庭を綺麗にしてくれた人で、今度ちゃんと返すって言ってるのに、なぜかそういう想いが湧き出てきちゃったのだ。

全く知らないも同然の人にお金を渡しちゃって大丈夫だったのかな。また来たらどうしよう。もっとお金をたかられたらどうしよう。今度来たとき私一人だったらどうしよう。怖い、怖い、怖い。また何かあったらどうしよう。そんな風に思ってしまったのだ。

説明のできないあまりの恐怖心に、夫に怖いって言ったら、

不思議そうな顔で、

なんで?まぁ実際お金が後で返ってくるかどうかはわかんないけど、別にまぁいいんじゃない?!怖いことは全然ないよ、って。

その時

ハッと!

氣づいた。

全く同じ体験をした(と思ってた)けど、夫と私では全く違う世界をみてたって。

全く違う体験だったって。

あーーー!

そういうことかー!

それぞれがそれぞれの経験や、産まれ育ってきた環境や、考え方や、ものの見方や、いろんな要素が混ざり合った色眼鏡をかけて世界をみてる!

あーーーー!

これは私にとってはとても強烈な経験だった。

人はそれぞれがそれぞれにみてるんだな〜。

この氣付きは私にとってとても大切な大きな氣付きとなった。

なんでこんな反応するんだろう、なんであんなこと言うんだろう、

そんなことを思う時、この人にはこの人の世界観があるって思うと捉え方も少し変わってくる。いろんな感情は相変わらず出てくるけれど🤣

あと私は世界を、世間を、「恐れ」の目で結構みていた事に氣づいた。

「恐怖がいっぱいある世界」の住人になりがちだったと氣づいた。

そんなの嫌だ〜!

って思ったので、出ようと思った。

今でも正直時折そちらの住人になりかける時がある。

そんな時は、「楽しい世界や優しい世界」へ意識的に移動する。

もちろん恐怖心や恐れだって必要な時もあるから全て無くすというわけではない。

でも不必要に持つ必要は全くない。

どうせなら楽しい優しい世界の住人でいたいしね!

何にフォーカスするか!これが大切なのだ✨


ちなみに例の人はあれ以来一度も姿を現さなかったー😆

そして何も起きなかったから今こうして書けているわけなんだけど、私に大きな氣付きを与えてくれたエピソード✨

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