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フルーチェ作れなかった事件|とべちゃんのレシピ
幼少期に自分を知ったり、教訓を得たりした印象的なエピソードがいくつかある。代表的なものは、保育園の年長時に起きた「すけすけお妃事件」なのだけど、思えばそれよりも前に、強烈に印象に残っている事件があったので書き残そうと思う。
その事件とは「フルーチェ作れなかった事件」である。
フルーチェとは牛乳と混ざるだけで、簡単にプルプルとしたヨーグルトのようなデザートが作れる商品のことである。
ジャムのような原液に牛乳を入れて混ぜるとほんの数秒で、みるみる姿が変わってデザートが出来上がるのが不思議で、大好きだった。ある日、大好きなフルーチェを作って食べるときが来た。
しかし、ここで事件が起きた。両親は家に遊びに来ていた親戚の女の子(私の1歳上)にボウルと泡立て器を渡したのだ。「お姉さんだから」という理由で。
その瞬間に私は絶望した。
「え?フルーチェは誰でも作れるものだから、みんなにチャンスがあるんじゃないんですか?手を上げるチャンスもないんですか?1歳違うと出来に何か違いがあるんでしょうか?(なぜみんなそれが当然という認識で合意形成できているのでしょうか?)」と疑問が触れ出していた。
今思えば笑い話だけど、頻繁に食べられるものじゃなかったから、人生でたった一度の(ように感じた)チャンスを納得のいかない理由で取り上げられたことに、当時の私は憤りを感じた(笑)
そして「私はフルーチェを食べたいんじゃない。フルーチェを作りたいんだ!」という気持ちが強いことを理解した。
私はふてくされて、出来上がったフルーチェを食べる気になれなかった。子どもなりの全力の意思表示だったが、その気持ちが周囲に伝わったかは定かでない。
このときほど、自分の生まれたタイミングを悔しく思ったことはない。今でも当時のシーンを鮮明に覚えているので、かなりインパクトの大きい出来事だったと思う。同時に自分の特徴をよく表しているのではないかと思う。「作る」と「自分でやる」は、今でもこだわりがちなポイントな気がするから。
大人になった今は学年で物事が決まることがほとんどない環境で生きている。自分の意思と力で勝ち取れることも増えた。だから子どもの頃より今の方がずっと納得感があって毎日が楽しい。大人になれてよかった。
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おしまい。
다음 너트에서 만나자!안녕~
とべちゃん: )