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初めての。昔の話 海外編11

そんなこんなで、一泊目は検問所まであと2時間ぐらい(うろ覚え)のホテルに泊まることになった。夕方にはついていたはず。
危ないから暗くなったら外出ないでねーってよくよく言われたので、先輩たちと近くのレストランに行ってみた!
メニュー。ぜんぜんわからないけれど英語も書いてあったはず。
その中でオムレツっていうのがあって2ドルぐらいだったので、みんなでそれを頼んだ、他のメニューはさっぱりわからなかったからだ。数分後、やってきたオムレツを見て驚いた。一人前、卵十個使ってるんじゃない??っていうぐらいデカ盛りオムレツがやってきたのだ。主食は頼まなくて正解!!
みんなでシェアすればよかったねとか言って爆笑していた。
でも、このオムレツが綺麗な形で、今までに食べたオムレツの中で一番美味しかった。
カンボジアでそんなんばっかり言ってますね。
でも、本当に卵がただ濃いだけじゃなく、味が深かった。もう一度食べたい、オムレツNo.1はあなたです!はい、きまり!
カンボジア軍のバゲットとこのオムレツがあったらもう他に何もいらない。
そして、明日はベトナムに行っちゃうんだなぁーとか思いながら、その日は床についた。ベッドはまたもやダブルベッドを二人で使うみたいな感じだった。ま、この頃にはそういうのに慣れてきて、一人じゃなくてもぜんぜん平気になってきていた。どこのホテルでも蚊帳はピンク🩷薄いピンクじゃなくて、ショッキングピンク。
そして次の日、朝早くから出かけて検問所、国境へ行った。

だが、そこで待っていたのは、書類が足りないから通れませーーんっていう、映画とかでよくあるあれ。
わわわ、ほんとにあるんだそんなこと。

その書類にハンコをもらうために、別の団長と英語できる通訳さんが、車でプノンペンへ逆戻り。
ほんとにひどい、、、。
我々はバスでひたすら待ち時間。アンタックの車も数台あった。釣りをしてるどこかの国の軍人さんが居たりした。

近くには2軒ぐらいお店があったり、子供たちの売り子がやってくる。なんでも「ワンダラー」1ドルで売ってあげるーーーってやってくる。コカコーラの冷えたのやスプライトなどをもってやってくるのだ。
冷えたジュースは美味しい。缶を氷水に入れて冷やしてある。この辺りの子供達は商魂逞しかった。でも、なにより笑顔が素敵なのだ。
みんな可愛かった!男の子も女の子も10歳ぐらいだと思う。言葉なんて通じなくてもオーライって感じで、異文化コミュニケーションが自然にすんなりできてしまう。

籠いっぱいのウズラの卵のゆで卵を売っていた女の子がいた。
20センチ✖️10センチぐらいの紙袋にいっぱい詰めてまたもやワンダラーって売っていた。
ウズラの卵のゆで卵、500個ぐらい??いや、もっと入っていたかもしれない。心優しき先輩は「もう少し入れてもう少し」と、また拝んでいた。その先輩は何か買う時は必ず拝んで値切って成功していたからだと思う。
すると、何を思ったのか、子供達は食べ方がわからないんだと思い、剥き方指南してくれたのだ。他の子供たちも剥いている、白い卵があっという間に子供たちの手垢で茶色になっていく、それをにっこり笑って我々に渡してくれるのだ。ええ、渡されたら食べますよね、食べましたとも。どこ行ってもこのパターン。塩胡椒の入った小さな袋もくれて、塩胡椒のバランスがまた絶妙で空腹の胃を満たしてくれる。20個ぐらいは一人で食べたと思う。
卵ばっかり食べてるな、、、自分たち。
あのウズラの卵もまた食べたい。一気に20個とか普通食べないですよね。でも、食べられちゃうんです。今もスーパーでウズラを見るとあの日の光景が脳裏を横切る。わー、ふたパックかってゆでちゃおっかなぁー、なんて。
子供たちから、なんどジュースやウズラの卵を買っただろう、、、。
ほんとに売りにきてくれてありがとうたまご屋さん!ジュース屋さん!
あの子たちが今も元気でお父さん、お母さんになってたらいいなぁーー。

あとは天気が良くて、バスの屋根の上で日光浴して、焼いてみたり、バスの中に住んでいたネズミさんを探したりしていた。動いてるバスの中でネズミが出てくるんですよ?
不衛生かもしれないけれど、とにかく目に映るもの全てが楽しかったんだろうなぁ。あの時の自分。

そんなこんなしてるとプノンペンへ行った団長が戻ってきた。
しかし!また書類が、ハンコが足りない!と言われたらしい。
えーーー、なんで一度に言わないんだ!ほんと意地悪してるとしか思えない。
明日はベトナムのホーチミンで公演なんだよ?しかし、その願いも虚しく国境はクローズされた。
その時、アンタックで来ていた日本の自衛官さんが話しかけてきて、いろいろ説明すると、
「こういう国なんですよ、あの夕日に向かって一緒に走りましょう!」と青春ドラマの熱血教師さながらに走っていった、、、。
あの自衛官のおじさんもどうかちゃんと日本に帰って幸せにいてほしい。

我々は仕方なく、前のホテルまで戻って次の日にかけることにした。自分たちは暇だったけど、何にもない楽しさを満喫しまくっていた。あの子たちのおかげで。

団長はこれからまたプノンペンまで戻って、書類をもらいに行く、そして朝一番でベトナム入れば間に合うかもしれないとか言っていたように思う。ちゃんと公演をすることを真剣に考えていたに違いない。
しかし、通訳さんが「この先暗くなったら、ポルポト派があちこちにいて、射殺されるから、絶対ダメだ、朝日の出と共に出発しましょう」と力強く言っていた。
とにかく毎日が、死と隣り合わせ。
だけれど、そんな緊張感も実はあんまり感じていなかった。ただただ楽しいーーってはしゃいでいたように思う。
ほんとバカだなぁ、、、、。

この辺りで

つづく

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