見出し画像

初めての。昔の話 海外編9

朝、目覚めて顔を洗うのも、歯を磨くのも直のメコン川!みんなそうしていた、、、水浴びしてる方もいた。
歯を洗うのはむりーーーー!そのままでいい。
メコン川で全てのことが足りているのだなぁ。
みんなお腹壊さないのね。
でも、日本は全てが綺麗すぎるから、アレルギーになったりするとかよく言われますからね。
でも、無理。メコン川の洗礼を受けたとはいえ、火を通した料理だから食べられた。生はまだまだ自分にはハードルが高すぎる。

そんなこんなで、朝からプノンペンへ向けて
出発。帰りの下りは流れに逆らわないから、1時間で着くとのこと。
なんと!カンボジア軍のモーターボートに20人ぐらいひしめき合って乗り込んだ。
もちろん、セーフティーベストなんてない。そんなにスピードは出ていなかった。
進行方向じゃなく横向きで気持ちが悪くなってくる。
銃を構えて立ったままの兵士さんが二人前後に乗っていた。
ボートの舳先に。あ、日本だと絶対ダメだけど、舳先に座ってもいい?とかなんとか日本語とジェスチャーで聞いたら、いいよ!って言ったかわからないけれど。一番気持ちの良い舳先に胡座をかいて座った。すごく楽しかった。泥々の透き通ってないメコン川を独占しているような気持ちだ。僕の後ろには銃を持った兵士さんがピッタリ立ってくれて、何この状況、面白すぎます。普段できないことばっかりして、気分はまさしく川口浩探検隊。ヘルメットとか欲しいーーー!頭の中では、嘉門達夫の行け!行け!川口浩が流れていた。
前に下見で訪れた人は、豚の死骸とかが流れてきたとか言っていた。
でも、ボートの気持ちよさ、川下りが楽しすぎた。一人でぼーっとしてるうちにあっという間に、着いてしまった。もっともっと乗っていたかった。
あとで聞いたのだが、そのあたりはポルポトの一派が隠れている基地があったらしい、、、、なので、銃を持った兵士さんが二人もついてくれていたのか!と納得するとともに、撃たれるなら、一番前の能天気な自分が最初に頭を撃たれていたであろう、、、ウキウキのおバカな日本人は生贄だったのも知らず、のんびり川をみて川口浩を歌っていたのだ。ほんと、ばかなの?ねえ、バカなの?
自分を叱りたいことばっかりしていた。
能天気はたのしいー、能天気万歳なのだ。
今生きてるから言える。

次の日にはベトナムでの公演があるために、移動しなくてはいけない。もうゴージャスな明石邸を出なくてはいけない。最後に明石さんがガーデンパーティーを開いてくれた。
外で食べるお料理、お肉がいっぱい。
あんまり食欲がわかない。みんなお腹を壊していたのもある。が、とにかく味が口に合わない。郷に入りては郷に従えとはいうものの、とにかく別の味が食べたかった。
バナナもあったが、コンポンチャムのバナナには負けるのだ。他にも南国フルーツの30センチはあろうかというパパイヤや50センチぐるいのジャックフルーツ、星型のスターフルーツ、星型のスターフルーツはまあまあ美味しかった。程よい酸味であっさり。
ジャックフルーツは一房づつもいで食べるのだが色も食感も沢庵を食べているようだった。
テレビでこれ美味しいとか言ってるの見ると、えーー!まずかったよーーってテレビに向かって言ってしまう。パパイヤに関しては、香りも味もう○こそのもの。南国フルーツ、苦手かもしれない、、、。
しかし、ここでの経験がものをいったのか、その後外国に行っても、日本食を食べなくても平気になった。なんでわざわざ外国行って日本食を食べなきゃいけないのか、その国のものを食べなくては!という気持ちにさせてくれたのは、全てこの国のおかげ。いや、メコン川のおかげ。
今書いていて、自分の根底にはメコン川がしっかりと刻み込まれているのだなぁ。と思った。しつこいようだがメコン川よありがとう。

20代前半にカルチャーショックを受けるのは本当にいいことだと思える。知らないことを知れる、興味を持てる。

ベトナム国境までを書きたいと思っているのだけれど、またこの二日間がびっくりな驚きと経験の忘れられないことばかり。

まるで日記のように書いているこのnote。良い時代だなぁー。楽しいなぁー。スマホでピャーっと書けるしアップできるから。

まだまだ


つづく

いいなと思ったら応援しよう!