11夜 根本的な原因はどこにあるのか(その3)
経済の停滞,教育制度の限界,人口減少,生産年齢人口の減少,高齢化問題・・・提示しようとすれば,枚挙にいとまがないこの国の問題点.
労働力不足を補うための措置として特定技能2号の拡充が現実になるようだ.そもそも,技能実習制度がいびつな状況であることから制度廃止の方向に向かっている今,とはいうものの建設,介護,製造,農業などあらゆる場において技能実習生を抜きに生産を語ることができなくなっている昨今,制度廃止にともなう別の制度設計が,当然の事として指摘されるものの,外国人労働者制度は,その始まりから時を経て,年金制度同様に複雑怪奇なものになってしまっている状況では,新たな制度を組み入れることなどもはや不可能に近い状態なのであるから,2号拡充という考え方の検討は自然の成り行きなのであろう.
この国では,いわゆる発展的解消という言葉がよく使われる.廃止という言葉に難色を示す人々は,前任以前が設計した制度を否定せず,あくまでその制度を尊重したうえで,新たな制度や枠組みを構築しようとする.
しかし,問題は現状変更をおおっぴらにせず,部分修正によって解決をはかろうとする行為そのものであり,そこには方略の検討や反省は決して公にしてはならない,つまり否定する行為はご法度なのだ.
だから,何かをやめる,という事には非常に大きなエネルギー消費を伴う.あくまでやめるのではなく,発展的に解消するという耳障りのよい言葉を用いて,現状変更をしようとするのである.
いったいいつから,この国の中枢部分は素直でなくなったのだろう.問題の本質は,誤りを誤りと公明正大に認めない文化になってしまっているということなのだ.この失敗を認めない文化こそが根本的な問題なのである.
多くの人たちは,そのことに早くから気付いているはずだ.その証拠に芸術,文化,スポーツといった,ともすれば善悪,勝敗などのような二項対立がはっきりしている事象に対しては,認めるも何も眼前に明確な結果としての事実が突きつけられるために,説明する必要がないから,そういった分野に,そのようにできない現状の自分を一時でも開放するために熱中するのである.
このままでは,あらゆる物事が複雑怪奇な状況に陥ってしまう.
青臭い意見といわれるかもしれないが,お隣のGDP世界2位になった大きな国が,改革開放路線に舵を切った頃の指導者は,自国の技術や生産力が我が国よりも劣っていることや,だからこそそこから学ぶべきということを素直に自国民に説いていた.また,明治維新期に現れた各界の指導者にしても,この国が置かれている状況を素直に認めて,外国人の指導者から教えを乞うた.その結果,お隣の国も明治期以降の我が国も繁栄できたのである.
どうすれば,現状変更を許容できる社会を,私たちは手にすることができるのだろうか.
この問題は,もはや国民性に根ざす部分なのかもしれない.そうであるならば,日本人としてのアイデンティティそのものを変えていく努力をしなければならないだろう.われわれのアイデンティティ以外の外国人の日本への帰属を進めることで,国民性そのものをアップデートする可能性をさぐるしかないのではないだろうか.
もちろん,たくさんの弊害が生じるだろうし,日本人としてのより良いアイデンティティが損なわれるかもしれない.しかし,いくら制度や組織を変えたところで,そこに居る人間そのものが変容しなければ,変わることはないだろう.
大切なのは,この国のすべての分野で開かれた社会を目指すために,何が望ましいかを考え選択決定できる環境をつくるあげることではないだろうか.