自然の流れに沿って楽しく明るく命を生きたい・
おはようございます
生命という器の中にある命
その命を生き抜き、そしてよく死ぬ
命を愛することを探求しているとある看護師です。
今日は、今までの私のnoteの記事を
私の生き方の転換、ちょっと振り返り評価
してみたいと、思いました。
それはなぜか。。
特に前々回中今の記事を読むと
今の迷い、葛藤が過去と未来をつなぐ中今となる。|命に向き合うとある看護師 (note.com)
なんだか自分の記事なんですが、少し息苦しく
感じるというか、少し違和感も感じていたんです。
私は何のために記事をかいてるんだろう。
私自身が苦しんで、耐え忍んで、頑張って
生きている。
私は頑張ってきたんだ。。という主張、
つまり認めてほしい、という欲求も織り交ざって
なんだか少し痛々しいような気もしたんです。
もちろん大切なことを
中今は、過去と未来の自分のエネルギーが注ぎ込む
この只今瞬間なんだということを
伝えたいその目的であることは間違いない。
ですが、それは
もっと違った生きる姿勢で
自己表現して
伝えるメッセージがあるんでないか。そう思いました。
その一連の気づきを書いていこうと思います。
1)とある、セミナーで言われた言葉。
最近勉強会に参加する機会がありました
そこで、その相談した方から言われたんです。
明るく楽しく命を生きることを伝える。。
え?!
そもそも自分の人生の中で、
わくわくする、面白いそんなことがあっただろうか。
自問自答。うーん、、ない、、いやある。。
その正直な答えは
あるといえばあるし、ないといえばない、でした。
今の現実はかわらない
今ある私の命も生き方も、、魔法のようにはかわらない。
今まで生きた歴史を否定することではなく
私もそろそろアップデートしないといけない
昭和の幼稚園のとき、よく見てた
アタックNO1ののりで
頑張る。努力する。やり抜く。そんな感じも
踏ん張るときというのが、人間にはあるからそれもありです。
でもそうでなくて軽やかに
楽しんで、面白く、工夫できうるのではないか。
2)やり抜かないといけないという観念
そもそも、目的望む結果とかに向けて行動する
やりぬくこと、その生き方は大切で必須です。
でも
人生は楽しむものです
その出来事、行為そのものを楽しむこと
うれしく感じること。
それが、日々の中で
結果に目を向けて経過を楽しまず
時にそれが、自分のみで自分が、自分が、、と
なっていなかったか。
そもそも頑張っているやりぬいてるというが
それは有効で結果がでているのか
ただの独りよがり、空回りのときもあるのでは?
(ほぼそうかもしれない)
3)やり抜く、行動する、それは主張するものではない。
そもそも、生き抜くうえで
苦労した、頑張った、つらかった
ということは
そのつらいとき、心が苦しいときは
助けてをこぼしても
いいかもしれないけれど
今更
過去を振り返り
あえて並べ立てることはないのかもしれない。
その頑張る、やり抜くをいかに、
視点を変換し、楽しく、面白くできうるか
人生を楽しむ視点を持つこと
そして、楽しめて、かつ効率的に
進めるように工夫すること
それが大切
その変換した視点、工夫を伝達することが
大切なのかもしれないと思います。
また下の石川真理子先生の記事にもありますが
潔い心|石川真理子 (note.com)
こんなふうになれるものならなっていきたい。
行動は当たり前
それは伝えるものでなく息するように
していくもの。
そうなのです。
水面下では必死で、水かきをかく鳥のようでも
それを楽しんで
それで笑顔で、明るく
皆とつながり
私が、私がという自己ありきから
ゆだねる、手放す、そして自然につながる自分へ。
そんなふうに自然に事を進める。
自然に生きる
それが大切なのかもしれない。
そんなあり方で生きる
そして命を伝える
そんなアップデートをしていけたら。。
そんなイメージで、これからは少し
方向転換しつつ
でもやり抜く姿勢も書きつつ
伝えていけたらと。
~今日は、私のnoteを書き続けた
記事を読み返す中で、
そして生きていく中で
気づいた自分の生きる姿勢を記しました
今日、皆さんが
周囲の皆に生かされてそして生かして
自然の流れの中で
明るく楽しく命を輝かせる、光らせて
幸せであることを祈っています。
よき一日をおすごしください。
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