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生きた証をたどる事で、愛されていることに気づくのかもしれない。

 こんばんは
生命の中にある命
その命を生き、そしてよく死ぬこと
そちらを考えながら
いまは『愛』について考えております。


 一昨日は、『愛されていないと想うあなたへ』という題目で☟記事
~愛されてない。。という想いを抱えるあなたへ~|命に向き合うとある看護師 (note.com)
この記事にも書いた
周囲をみる視点を大きく変えた転機の事例を記します。


 


1)このまま、意識が回復しないかもしれない。そう送り出した事例。

 私が、2年目の秋ごろに担当した事例。
突然朝、倒れたという状況で救急搬送。40代前半女性。
その時彼女は、娘様の遠足のお弁当を作っている途中で幸い
御家族が傍にいたためすぐに救急搬送されました。


 疾患は脳動静脈奇形があったことによるその破裂による脳出血でした。
脳動静脈奇形については以下を
脳動静脈奇形|病気について|循環器病について知る|患者の皆様へ|国立循環器病研究センター 病院 (ncvc.go.jp)

 その患者様は突然、料理中に、後方へ倒れ意識がなくなった状況
救急搬送されたときは脳出血、くも膜下出血となっていた状況で
入室してすぐに緊急開頭手術となった方でした。
実に集中治療室で3回、手術を重ねました。


 集中治療室、その当時面会時間がありました。
必ず誰かが毎日面会に来てくださいます。
御家族 御主人様を中心に、3人の娘様がおられまして
時間が空いた娘様が御主人様とともに
面会に来ていました。
上が中学生で小学校高学年、低学年で、
面会に来ても、何もできず、ただ母を
凝視する姿に、私も心が痛みました。
『今日もお母さんが目を閉じている。。起きないの。』
そんな言葉を発している。


 ~この患者様の変化を
限られた面会時間でも子供たちがわかるように
看護師と、御家族で交換日記をしよう~

1御家族の特にお子様が、
学校の用事様々あり、連日面会に来れない
そのことを鑑みて。。
2また1時間の面会時間では、患者である母が、頑張っている
その経時的変化がみれない。
そこについてわかってもらいたい。。
お母さんも、24時間、頑張っていることを伝えたい。
それが動機で、私自身から発案して先輩にも相談し
患者のオーバーテーブルに、設置しました。


 普通の一冊の大学ノートに、無理せず看護師が書き込んでいきます
プライマリーナースであった、私を中心に、皆が書いてくれた。
記入する内容は日々の何でもないことです。
その日のちょっとした変化、
~今日は目がうっすら開けてくれましたよ~
~今日は、脳の管が1本抜けました~
~今日は、呼吸器の管が抜けました~

一言がんばって。。
お母さん。。
など言葉が娘さんも書き込まれていた。


集中治療が終了し、ICUからHCUへ移行しても
引き続き、
娘様と交換日記は続けるようにしていました。
一緒に車いすに患者様と散歩にいったり、
足浴したりしました。
娘様たちはその都度『おかあさん、おかあさん』
と声かけてくれて、刺激してくれて、あきらめず
面会にきてくれていました。


ですが、
病態からも、非常に厳しいところに病巣があり
意識の回復は、難しいかもしれないという
厳しいご説明もされており、
リハビリ病院へ転院となるのです。
看護サマリーを作成しながら
『この患者様は、娘さんの顔もこのまま識別できず
胃管から栄養をとりながら、生きていくのだろうか。。』
私はそう考えこんだことを覚えています。


2)その後会いに来てくれた患者様とご家族。

 それから2年近くたって、
とあるさんに面会だよと、言われ、廊下に出た時、
娘さんが背後にサポートしながら
車いすを麻痺をかかえつつ、片手で押しながら
こちらに向かってくる患者様の姿を
私は、今でも忘れることはありません。


 『あのときあなたに一番お世話になったから。。』
というお礼の言葉に、私は思わず質問するのでした。
 『なぜ、私が担当していたとわかったんですか。』
その返答が
『私は全く記憶もなく、意識もなく、気が付いたら
違う病院にいた。
どうしてこうなってるんだろう、
何が起きたの。。
その時に
このノートを観て、自分のことがわかって、
自分がどんなふうになったか、わかって
そして頑張れた。
今日はそのお礼に来ました。
私は、動けるようになったの。ありがとう。
ありがとう。。』
泣きながら、手を握ってくれた。

私はその回復に驚き、
そして心の端っこで
『このまま回復しないかもしれない。。』と頭によぎった
自分を激しく恥じました。

このとき、
私が、一人の看護師として、
自分がしたこと、種をまいたことが
後々になって
大きく育っていく事
それが無駄かもしれないと思っても
それは確かに、つながっていくことを
感触として気づくのでした。
そして、
私にもできうることがあることを
教えてくれた感謝と、

退院してもずっと覚えてくれていたこと
そしてわざわざそれを伝えに来てくれたこと
そこに私は
いやいや、看護師として力不足の中
担当させてもらって感謝してるのは
私の方だと思い、
私を支えてくれた、協力してくれた先輩、皆のおかげで。。
と思い、

このとき、一人で頑張って報われないと思っていた視点から
愛されていたし
支えられていたし
恵まれすぎていたと
気づくのです。
この感動をありがとう。
元気に回復してくれてありがとう。
本当に、これからも、元気で。。その気持ちで
いっぱいでした。
そして今も。。

今でもこれを語ると涙が出てきます。

3)そして愛されていないと思っているあなたへ~

人間として、今あなたもそこにいて、周囲の誰かもそこに存在し
生きています。
その人間は
皆解剖の人体の絵のように、皆同じように
人間を組み立てる組織、臓器が、あるわけでなく
その人
その人それぞれです。
中には、上記のように生まれ持って、
脳血管に異常を持っている人もいて、命の危険をさまよう人もいる。

中には、突然死する方だっております。防ぎえない死がある。

そんな人もいるなかで、日常の中で当たり前のように
今あなたの心臓が動いて、そして今、生きている
それはすごい奇跡なんです。
そしてその命は、
誰かが必死で、つないできてくれた人生のつながりの中で
今ある命です。
あなたが、気づいてないけど
あなたが生きた証、つまり愛されたもしくは愛した証が
どこかにあるかもしれません。
それがなくとも、今ここにいることが、もう愛されていることなのですが。。。

それはご両親がつけていた育児日記かもしれない。
母子手帳かもしれない。
毎日のように子供を想い、ご両親が、記してくれている
保育園や小学校の連絡帳なのかもしれません。

~ちなみに私は、
小学校4年生の担任の先生が私の親にあてた
メッセージ、お手紙を
今でも大切に持っていてそれが生き抜く支えでした~

あなたがどうやって生まれたのか
どうやって、育ったのか
どうやって、今ここにいるのか
今一度、実家に帰って
ちょっと、気持ちが構える家族と話すのも一つなのかもしれません。
自分のルーツをたどってみることも
一つ自らの視点を変えることになるかもしれません。。
それはあなたの愛された印であり、そして生きた証を
見出すことにつながるので。。

愛されていると感じてても
愛されていないと感じていても
皆愛されていて、
その愛に小ささも、濃度も、レベルもないと
個人的には私は今はおもっております。
(あくまでわたしの考えですのでご了承を)

皆、かけがえのない、あなたです。

~今日は、私の人生の転機となった事例であり
そして看護をやり抜く一つの決心にもつながった事例を
記しました~
今日もあなたも、私も
今この時代に、呼吸をして
命があり
生きていること、つまり愛されていることに
感謝して、今日も、よき午後をお過ごしください。~






 



 


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