自らの中の悔しさから、生まれる原動力それが愛かもしれない。
おはようございます
生命という器の中にある命
その命を生き抜き、そして死ぬ
そのために、必要な基盤
愛することについて、考えていきました。
私は、看護師をする中でひそかに5年目にて決めたこと。
『本当の看護を考え続け
本当の看護とは何かをあきらめず
その軸をぶらさない。』
これは私にとっての本当を追求することで
それは、私にとってで他の方はまた別かとおもいます。
私は、
ベッドサイドへ出向くことそこでの
そこにいる人間、患者様との関わりと
聴くことから生まれる、ケアです。
今も問い続け、そして看護をし続けている。
今、10代の時にいつも心の傍らにあり
生活の中で流され、対面していなかった問い
『本当に愛するとはどういうことか』
今それを考え続けながら、日々を過ごし
生きています。
何かを突き詰める追及すること
その中の気づきと、習得度合、実践度合いは
その時の自らの生きる姿勢、生きる真剣度合い
つまり
生命の燃焼度合いと比例するのかもしれません。
そしてその生命の燃焼度合いは、どこから生まれるのだろう
それは、私にとっては前向きな夢、目標、志もなのですが
それより、深い原動力が
やりきれない無力感
悔しさ、怒りにもにた、もしかすると
負の感情が心の中にあり
それが、私を突き動かし、私の命の真剣度が増してきた。
その共にした時間の中で自分の最大で判断行動しても
愛せてなかったかもしれないと思った悔しさ
その共にした自らの看護の中で、自分の判断と行動が
いつも、未熟で情けなく、退こうかと考えながらも
必死で、食らいつく日々、
その中であるのは
ほとんどが、くやしさと無力感と、情けなさ、
その自らへの怒り。
特に20代は、自らが許せなく、眠れなくなることもしばしばだった。
~一見認めたくない
負の思い、感情
そこを直視すること
そして、またそんな自らに自らで、背中を押し続けること。
それが自らを愛すること~
~そして立ち上がり後ろを振り向くこともあるけれど
また進むことを決めること
それが命を生きること~
私の背後にも
あなたの背後にも
今は袂を分けたもう会わないけど確かにある
たくさんの、出会った人の心
出会ってくれた人の恩、愛、行動がある。
~それを忘れずに、必ず、また
ありがとうとお礼をどこかで、次の機会に
次の人生でいえるように、
次どこかでお会いできるようにまた
生き抜こう、命を繋いでいこう。
そう思いました朝です。~
今私もあなたも命があって生きていることを
感謝します。
あなたの今日にいってらっしゃいませ。
そして今日も、少しでも昨日より深く、愛を探し
愛に生きていこうと思います。
今日もいってきます。