愛するとは切っても切れない因縁にそれなら、逃げずにつながろうと思うこと
こんばんは。
生命という器の中にある命
その命を使い、生きて、そして死ぬに向かって
今を生きてる、とある看護師です。
今、愛することについて考えながら実行して
そして、それが愛だったのか、振り返り
そして愛とは何かを考えています。
愛については
私自身が人生の経過の中で、
逃げていたところかもしれません。
今、ある程度、年齢を重ね、
私なりの解釈で人のつながりと愛について
以下とおもっています。
何気なく、出会う人、たまたまであった人
家族含め、深い縁で結ばれていると思う人
どちらもきっと
ずっと前、生まれる前、違う前の人生で
出会っている。
そしてその出会いは
自らが求める求めない関係なく
おそらく、意味がある。
数えきれない、魂の循環の中で、
今この瞬間めぐり合えていると考えると
それは、
自分が想像している以上に
きっと前の、そのまた前の関わりで
強い想いがあったのだと思います。
その、深々と、脈々と
何回か生まれ変わっても
出会い続けるこのつながり
自分では気づきたくなくても感じる
御縁に
静かな覚悟と勇気をもって
まっすぐに目を合わせ、見つめ、
つながろうと思うこと
それが愛する事なんだろうなと。
もう会わないし、話さないと思い
時に憎み、疎ましく思い、
距離をおいても
いつのまにか繋がっている。
自然に考えて、気になっている
そして、そんな激しい葛藤も
いつの間にかそれさえも
宝物。
私は、大切な家族に
今そんな感情を抱いています。
そして思うのです
『そうか、私はこの方を、選んで
出会い、愛するために生まれてきたんだな』と。
~だから、今その目の前にいる方々
それは、逃げても、向かい合うのも、私自身が
選ぶ事。
でも おそらく
どちらにしても、深い脈々とつながるご縁のもと
出会っている事実はかわらない。
それならばその御縁を
天からの授かりもの、いや、自分が生まれる前に選んだ宝物だと
解釈して
大切にして、逃げずに、日の光をあてるように、慈しむこと、思うこと。
それを自分のできる範疇で
行動する事それが愛なのではないかと思います。
そして、生まれてきて、否が応でも何らかの御縁で今
生かされていることそれはきっとかけがえのないチャンスをもらっており
愛されていることなんではないかと思います。
今日は、
どう頑張っても、なかなか、つかず離れずつながっている関係性について
考えていく中で
自らの家族の関係性を考え
愛することと繋がりました。
今何周目かの人生を皆様が
きっとたくさんの想いを乗せて、今生で
誰かとつながり、出会っていることに
感謝します。
そして、このとりとめのない
私の文章を読んでくださっている、このつながりに
私はあなたとの、つながりに感謝してます。
ありがとうございます。
今日もあなたと、私の、命にありがとう。
そしておやすみさい。