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それぞれ命の神話を作りそれを皆でつながり引き継いでいる。
こんにちは
生命という器の中にある命
その命を生きる事
そしてよく死ぬ事それを考え、生きてる
とある看護師です。
私は、『生命』と『命』は違うという解釈の元
生きるってどういうことなのか
そしてよく死ぬってどういうことなのか
自らの命を使って
探求し、行動する日々を記していくこと
命が引き継がれることを
想像して創造しようそう想って
このnoteを書き出しました
命は引き継がれる。
それが意図していても
意図していなくとも
その命の燃焼が、人の心を打ち、
語り継がれ、そしてまた誰かの命を燃焼させる。
そして命の灯がつながって語り継がれ
命の神話となる。そんな確信があります。
1)私が想う神話。
そもそも、神話とは何か。
神話って、その国、その地域に語り継がれる伝説。
それは国造りのその命が語り継がれたものもあるし
そこにまつられた神様の命が語り継がれたもの
大きなもの、自分とは関係ないものという
視点がある。
そこには、神話は自分の日常とはかけ離れた、
古典のような、もの。
そんなイメージが私にはありました。
ですが、今は
でも、実は、今ここにある日常、
そして個々の生き様、生きた証が
神話となる。
そんな気がするのです。
だから、私はその人が生き抜いた、生きている『生きた証』
それが、語り継がれて、また誰かの命の灯となるとき
それは『命の神話』と
自らの心の中でこっそり名付けてます。
2)命の神話は意図せず語り継がれてできあがる。
その人が、命を燃やして
自分の生命の終わりが来てしまい
悔し涙をのみながら、無念。。と思って
死んでいったとき。。
それでも私は、その命が語り継がれて
そして子や孫、そして後世に語り継がれたとき
それは、命の神話が生まれている。そう思います
大きなところで言えば、
芸術や歴史上の人物でも生きていた時は
脚光を浴びず、もはや逆評価されていても
やり抜いて、自分軸ぶらさず、表現し続けて
そして死んだその後に
その生き抜いた証が、皆が語りつぎ
そして命が引き継がれる。
これが意図せず、生まれる命の神話。
またその亡くなった方を愛し、想い、慕う心が
その命を輝かせ
周囲に、皆に波及し
そしてその命が、また語りつがれて
そして思わぬところに広がって、
神話となっていくこだってある。
2)自らの命を燃やし伝えよう、そう決めて生まれる神話たち。
自分が命を生き抜く中で、
未來に、後世に、伝えていきたい
いや、伝えなければならない
そう思ったときに、
そう決めた時に
その生き様が、そのメッセージが
神様の計らいで、様々な形となり
表現されて、そして伝わっていく。
そんな形もあると思いました。
そしてその表現自体の内容も含めて
その表現の過程が神話のように語り継がれる。
もう今を生きつつ、視点は未来を生きているような視座。
100年先に残る想い、
100先に語られる、その生き様
その死に様
それが命の神話となる。
そんなことを体現しようと表現した本や作品
そしてその生き様。
そんな本との出逢い
人との出逢い
動画や作品との出逢い
それも一つ一つ
私自身もそれなりに懸命に生きたから出逢えた。
その出逢いとそこから生まれた、引き継がれた
私の命の灯も、明日から
一つ一つ、時々記していきたい
そう思います。
語り継がれて
今まさに、体現している
命の神話を。
~今日あなたも十分生き抜き
その生きた愛が、日常の中の関係性が
いつか、語り継がれていく。
大切な誰かの心の中に引き継がれていく。
そんな方がいない、そう想っていても
その触れ合った思わぬ方から広がっていく。
だから
あなたが今日も生き抜いてくれて
ありがとうございます。
私はそう思うのです、
あなたは今生き抜いてあなただけの命の神話を作っている。
今日のあなたの命にありがとうございます。~