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死に際で魅せる、忘れられない命の神話

こんばんは
生命という器の中にある命
その命をよく生き
そしてよく死ぬ
とある看護師です。


 今『命の神話』と題して
その人が生きた証
それが死しても語り継がれること
またはその亡き命を愛おしむ方の
その愛、つまりその亡き命を想う心の波が
私達の心の琴線に触れて
その忘れられない愛を語り継がれること
それは、一瞬でもよく
立派なものでもなく
日々の家族、周囲の誰か
私達の日常の中にある命の神話を
記しています。


その中でも
死に際が忘れられない
あまりにもあっぱれで
忘れられない
そう想って書いた残した命の神話があります。
その記事がこちらです。☟

https://note.com/toarusekitomo/n/n72986c862d82

 今も時折思い出すのです。

最期に、この患者様である彼女が座ることもやっとなのに
正座をしようとして
とめようとしても辞めずに
そして言った言葉。
お礼。

妹が面会、そのとき
彼女は、息をきらしながら、姿勢を正し
なんとか、正座をしようとしていた。
そしてこういった。

『今まで本当にお世話になりました。
後は、自分のことを。
本当に、、ありがとう。ありがとう。』

そして深々とお辞儀をした。

妹の手を握ってそういった。

忘れられない場面死に際



そうすることで、彼女は
何を示そうとしたのか。
何を伝えたかったんだろうか。
~きっと彼女が伝えたかったのは
妹様への計ることができない
感謝と、妹様の今後への
想い願い~

そして私はなぜこんなに忘れられないのか。
~それは彼女があまりにも
この言葉が語弊がありますが
圧巻だったからです。
その覚悟に
その愛情に
その感謝の強さに
私は圧巻だったんだと思います。~

 この時彼女が投与していた酸素投与量は最大限。
ちょっと看護師が、マスクを動かすなどでも
酸素飽和濃度が下降し、
ちょっとした冷風などの刺激でも
呼吸パターンが変化する。
いつもいつも、死との瀬戸際です。

もちろん、呼吸を楽にして苦痛をとる
お薬も持続投与されております

そんな中で、正座をしようとする
それは言い方を変えれば
命がけ。

その想いと意志と、
そして命を懸けても
最期と思い、深い挨拶、最期の御礼をしようとした
その心の姿勢に私は
心が貫かれたのだと思います。
だからこそ、他人なのに
日常の仕事の日々の中で
もうこの患者様は20年以上前のこと。
それでも私は忘れられない。
そして私の死に様を生き様を、
考えさせてくれる出逢いです。

 



1)命を生き抜くことは、目を背けるほどの苦しみも伴うそれが、真実なのかもしれない。

 生きていくにしても
死の経過をたどり最後まで生き抜くにも
人間って本当に
『楽(らく)』『軽々(かるがる)』という言葉が結びつかない
そう思います。
時に上記の忘れられない事例のように
最期をさとり息も絶え絶えで、その中でも
決死の覚悟で、
守りたい人に大切なことを伝える生き抜く方もいる。

 そのつらさ、苦しさは
もう楽にしてあげてほしい。。
そう思わせ、
それでも、やはり生き抜いてほしいとも
思わせ、
こちらもやりきれない、苦しみ、重圧感を感じ
そしてなぜ神は人に、死を与えたのだろう
そんなふうにも、思います。

幸せに生きていこう
楽しさ、幸せに目を向けることは非常に大切
でも、その中でも
必死で、命の終焉と向き合う
時に大きな制限が病があり、
日々命の危機と向き合いながら生きる方もいる。
そして、その何気ないに日常さえ
送れずにいる方々がいる現実。
大きな視点で言えば、災害や、食糧難、飢饉。

それを感じようとせず、視界に入れようとせず
ただただ、幸せに目を向けるのは
空虚な幸せだと思うのです。

いずれあなたにも私にも
現実として、死がやってくる。
その時に、息も絶え絶えになること
それだってあるかもしれない。
安らかに息をひきとったとしても
その死を自覚せず、その死後に
著しく後悔して、彷徨ってしまうかもしれない。

少し、暗く、鬱々としますが
その現実を感じながら
それでも幸せを光を見出すとき
その幸せが本当に感じれると思うのです。

2)命を引き換えにしても、死んでも守りたい想い、あなたにはありますか

 私がよく生き、よく死ぬ事を考えていきたい
そう伝えると、
よく言われたのが、言ってくださるのがこんな言葉です

『よく死ぬってことを考えるって、
死にたいって思ったりしたことがあったんだね。』
『死を考えるより、楽しく今を生きることに焦点を
あてたいね。』

 死を美化しているわけではないんです。

死に直接向かうことも、多い中で
人の死に直面した時
どう頑張っても、死が予測できず
計画的には、円満に実行できるわけでもなく、
時に苦しく、身をもだえるように命を削ぎながら
命の灯を落とすこともある現実を観ます。

それでも、その死に様の中で
私は、心を打ち、
私自身が魂をたたき直され、時に鍛えられたことが
ありました。

そして実感したのが
死に際になんにも持ってけないということです
お金も、地位も。
必死で取得した、その職位も
タイトルも

ですが一つ残せることがあるとしたら
その死に際に、最期まで生き抜く姿に
その脇役で見ている大切な誰かに
家族でもない誰かにも
忘れられない何か、大切な魂を
伝えることができるということです。
その死に際で魅せることができる。
生き抜き、最期の死に際まで走りぬき
その中で、家族も、友人も
そして一瞬傍らにいさせていただく
赤の他人のこの私医療者でさえも
その後の未来を考えさせることがある
そういうことです。

そしてその死に際で、
誰かの命の、支えになったり
誰かの命を守ることもある

そしてだからこそ
自分もよく死ぬ
つまり
死に際に命をかけて何かを守ったり
何かを引継ぎ
そして、最終的に天国にいったときに
自分が自分に
『まあまあ、頑張った、よくやったわ』
そう言いたいわけです。
だから、私が冒頭に
よく生きとともに
『よく死ぬ』を連ねました。

幸せに安らかに顔面が笑顔で死ぬということではなく
ときに
自分の運命と格闘し
ときに
息も絶え絶えの中
その中でも、清々しく、
その中でも、覚悟を決めて
守るべきものを守り、
心を、澄ましてその時を迎えたい。
そう思ったわけです。

生命の終わりは、動物も、人間も皆
苦しみや悲しみ、戦いのような壮絶の現状があり
表面上不幸かもしれません。
ですが、
もしかしたら、
死それは、覚悟を決めた時
息も絶え絶えの中
正座をして『ありがとうございます』
そう言えるほどの、
心の充実が伴っているものなのかもしれません。

だから皆様にも私にも共に自問して考えたいです。

『今、あなたが、命をかけても
あなたの大切な守る人
あなたの大切な守る想い
それはありますか』

重いテーマ。。そう思うかもしれません。
でも日常の中で常々
自分の命同様、それ以上に大切なこと
大切なもの
大切な人
それを明確にしておくと
非常時にも慌てることなく決断できるし
自らの死も、建設的にイメージしてそして
よく生き抜きよく死ぬ事ができると考えます。

 今日は重い言葉が多かったですが
とても大切なことを
今伝えられる自分の能力の限界を
記させていただきました
また私自身が
人生を命を燃焼する中で
メッセージの深さが変わり
もっと適切に伝えられることを
目指していきたい
大事なテーマ『よく死ぬ』
ここまで読んでいただきありがとうございました

今日もあなたが生きてくれてありがとうございます
今日も確かに、生命の灯が消えて
その命を見送り、引き継がれた命がある
そこにも、深く頭を下げて
そして、敬意と感謝を贈らせていただきたい
そう思います。
あなたの命にありがとうございます。




 

 

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