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死に向かい生の限りを尽くし体当たりをするそれが命の輝き

こんばんは
生命という器の中にある命
その命を生き
そしてよく死ぬこと
それを考え生きている
とある看護師です。


 日々生きている中で
今あなたの命がここにある
今私は確かに、私の命を生き抜いている
その確信あなたは持ってますか。
それは何パーセントくらいですか
私の命を生き抜いている
つまり
あなたがあなた自身を生きてる実感
心が静かでも、熱くてもどちらでもいいのですが
確かに私は今ここに存在して
自分が自分を見つめて
自分らしく生きている、本心から自分がここにいると
いえる感覚
その命の確信度 何パーセントですか。


 命の確信度
それは高い方がいいと思ってます。
その命の確信度
それをあげるのは、
何か。

それは、目に見える
幸せ
健康
お金
そういうことでなくて

きっと命を燃やし切って生命燃焼できているか
そういうことなんだと思うのです。
そんなことを記したいです。



1)その目の輝きと笑顔に、命が輝きに、力を頂く瞬間

 私は看護師として働いている中で
ずっと言わなかったけれど
心の底で想っていた疑問があるのです。

生まれつきの重度に心身障害
難病
徐々に、どんどん筋肉が弱っていく難病
重症筋無力症
そのような重症度が高い
呼吸器を装着しながら家族全体でその方を
守り、看護師必死で生き抜いている
そんな方との出逢いもあります。

もともと体も弱く
食事も食べれない。
栄養は経管栄養。胃瘻、
鼻腔から胃管が挿入されて
そこから。
呼吸は24時間呼吸器装着して
ご両親、もしくは御家族が
夜間日中問わず見守り
そして、生きている、最大限で今を彼らは、生き抜いている。


 私は看護する中で
たくさんの方の笑顔を観させていただいている。

その笑顔の中でも
心が洗われる、泣きそうになるものの一つ。

それが、上記の重症心身障害をもつかた、難病の方たち
その方の生きているその姿そして表情。
この本当に苦しい、一見みると
つらい境遇、想うようにいかない身体を抱える
重度心身障害児とよばれる方々。

体をふいたり、何かケアをして
声かけすると
屈託のない笑顔を
刺激によって目がひかる一瞬。
その笑顔、目の光が本当に輝いていて
誰よりも純度が高く感じられ
心が打たれる。揺さぶられる。
これはなぜ。。そう思うのです。


2)生きる意味、目的とは何なのか。

 生きる意味とはなんなのでしょうか。
人は言います
幸せになるため
成功するため
長生きして、家族を見守るため
その人、その人それぞれあるでしょう。

私の生きる意味、目的
それが満たされたとき
命の確信度それがあがるのだろうか。
そうではないと思うのです。
幸せになってるから
結婚しているから
仕事がすばらしくうまくいってるから
長生きしている
健康だ。。

そういう目に見える何か
それで命の確信度合が決められるのだったら
つじつまがあわないのです。

時に大きな難病を抱え
生まれつき重度心身障害を抱えて
そんな方の表情、笑顔、生きる姿こそ
まさに命が輝いていて
そして命の確信度、今まさに命を生き抜いている実感を
私は感じるから。心で感じるから。
まさしくこの方の命は燃えている、日々を生き抜いて
生命燃焼している。そう思うのです。


 ですがその方々は
多くの方が考える生きる意味
幸せになる
仕事、恋愛、などで自己の実現をする
長生きする
そういう達成する何かとは、真逆の
現実を生きている。
今日今命が呼吸状態が不安定の中なんとかつながれた。。。
話しもできず、目もあわない、その中で横たわっている。
食べることもできず栄養はミキサー、液体のものを注入。。

一見見ると酷な現実。
 看護師をしはじめて救急で働きだした20代前半。
私はこの方々の
生きる意味は、なんなのだろう
この方々が存在する
理由は何を意味するのだろう。。そう考えあぐねた記憶があります。

3)今、私が認識しているその命がある意味について

 20代前半救急センター就職したときに抱いていた
心の中の問い。
重度心身障害や難病をかかえ、意識も障害もあったり
呼吸もままならない、寝たきりの状況をみて、
『あのつらい状況で、ほぼ意識もない、呼吸もままならず
それでもベッドに横たわり生きているあの方
その生きがいはなんなのだろうか
そもそもその生きる意味はなんなのだろうか』

それに私は今、こう考えています。
 今そこにあるその命
それが一見、話もできない、意識もない
そう想っているのは、目に見える現実のみで認識している

そう解釈するのは、ちょっとずれてる。
それは目に見える一部の世界。
その重度の障害をもちながら、意識障害もあるようみえながら
その体の感覚はその方の中で働いている
その方の脳は、うごめいていて、周囲の環境を周囲のこころを
察知している。
その方の身体は、絶妙なバランスでいつもある身体ハンディからくる
危機と付き合いながら、命を生き抜いている。

まさしく、今そこで必死に存在してくれている
その存在そのものが、周囲に強烈に愛を気づかせ
時に課題を気づかせてくれ
絆、つながりを気づかせてくれ
存在そのものが光、生きる意味。

そしてこの看護を長くやったのち
今出逢ったこの本。
執行草舟著:超葉隠論

その本のこの言葉でその見解に確信を、もつのです。
今目に見えると一見、障害をもち
時に命の危機にさらされるような身体のハンディをもつ方々
その方こそ、
まさに命を燃焼している、命の確信度が高い。
その葉隠論において
生命の本質についてこのように述べられております

だから本質的に、自己の生命を本当に生かしたければ、体当たりが最も正しい生き方になるということになるだろう(中略)
ランボーは、その『地獄の季節』の中で、『我々は聖霊に向かっていくのだ』とうたっている。
死に向かって生の限りを尽くす体当たりの貫徹ということである。

まさに、彼らは
死にに向かって生の限りを尽くして
命の限り
体当たりで今を生きている。
その最大限の命の生き抜く力を私達周囲にも
表現してくれている。見せてくださっている。
その命を、生き抜く姿、魂を目の前にして
私はその一瞬の笑顔に
輝く力、魂を感じて
そして心が、揺さぶられ、私の命が
震えるのです。

4)役に立てなくなったら、動けなくなるなら、生きている意味がないそう思うあなたへ

この私が、仕事を通じて
重度の障害や難病を抱え
ベッド上の生活を24時間余儀なくされる
その方の生き抜く姿を目の前にして
誰にも言わず
心の奥底で思いあぐねた問い
『この状況でいきる意味はあるのか。』
そこについて長年働き続ける中で、こう答えたいです。


『意味を問うことそのものが、ナンセンスで
死に向かって、今命を生き抜こうとして、
生の限りを尽くして体当たりしている。

それが命の輝きである』

幸せか不幸か
短命か長生きか
成功したか失敗したか
そんなことは、
目に見える人の観方、時代によって
その都度かわる、
上っ面の指標でしかないのかもしれません。

あなたが心の奥底で
生き切った、、体当たりした、、
そう心が感じれれば
失敗しようが成功しようが
どうでもいいのかもしれない。

自らの心の奥底に正直に
今できうる範疇で
精いっぱい息して、存在している
もうそれだけであなたの
生きる意味はあって命は輝いている。

だから今つらくて
普通に動けなかったり、ままならなかったり、
自分が、世話になるばかり
誰の役にも立ってない
誰ともつながっていず孤独で
自分の存在価値がないのではないか
そんなことを想っていても
その中で精いっぱい
いずれくる死に向かって必死で
息していてくれる
今ここにいてくれている。
もうそれがあなたが生きている証。
そして命の輝きです。
そして、少し元気がある方は
失敗か、成功か、人がみてどう思うか
そんなこと気にせず
いずれ死がくる、終わりが来ることはかわらない
その死に向かって
自分の心の奥底からの声を聴き
本気で生きていけばいい。

今日もあなたが生きてくれてありがとう。
今日は長年
私自身が、重度の障害を抱えそれでも生き抜いている
そして難病を抱え、生き抜く方々との出逢い
その中で抱いていた
疑問を
一つの文献、本との出逢いによって
確信が持てた持論をのべさせていただきました。

あなたが、ちょっといずれくる死を見据えて
自分の今ある生に人生に
挑戦を
体当たりを
一緒にして行けることを祈って。。
秋の夜長、ちょっと夜更けに書いてしまいました
よき夢をみてくださいませ。
おやすみなさい。


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