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愛は錯覚。でも思い込んで、もっともっと好きになったら本当の愛。
こんにちは
生命という器の中にある命
その命を生きる
そしてよく死ぬことを考える
そして幸動する
とある看護師です。
命の奥からの叫び、声を聴く
私は誰もが
命の奥底で、
愛したい、愛されたい
関わりあいたい
そして自分の中での相対するものを統合するだけでなく
他人とのかかわりの中互いに統合していきたいと思ってる
そう思っております。
でも、それは
暖かい不変の友情、固い絆
運命の赤い糸とか
愛することがさも
その人その人で、
決められている
すでにそれぞれの
命の奥底によって
決められている
そういうことでは
ないと思っています。
心の奥底で愛したい、愛されたい
そう思うのは、
生命の、種の保存という
生物の性質がそうさせる、
自らの生命を引き継ぎたい
そこも一つの大切な要因として、
そのあると思います。
ですがそれだけでないそう思っております。
種の保存のみであれば、
極端な表現であれば、
特定の方と結ばれる
特定の方を大切に愛し続ける
そういうことはない。
それをできるのが人間をはじめとした
つがいとなる鳥、動物達。
特に人間は
お互いが思いあい人生を共にする人を
運命の人との出会い
赤い糸でつながっていた人
なんて表現してます。
時に
ソウルメイトとかいう言葉も。
そんな愛でつながる御縁
それは定められてるんでしょうか。
本当にそんな大切なつながり
心の奥底できめた思いつながり
それはあるのでしょうか
それはあるといったらあるのかもしれません。
ですがないといったらそれはない。
~でもそんな視点で特別なつながり
運命という視点で
人がつながる相手を探している。
心の奥底で決めている
誰もがつながりたいそう思っている~
そんなふうに解釈しますと
今現実にいるこんな人達。
それはどう解釈すればいいんでしょうか。
~本当の友人、本当に家族と通じ合えてない~
~運命の人に会いたくても会えない
いつもいつも、結ばれない~
~出会ったんだけど、別れてしまった
離婚してしまった~
~浮気がやめられないつまり、
本当に大切な人と決めた人が
嘘のように、心が通わなくなる~
実は言いづらいですが、
そんな人も今世の中に
溢れているような気もします
私もその一人。~
じゃあそれは、どんなふうに
その壁を越えてけばいいんだろうか
~私は結局うまくいかない~
~どうせ父、母に言っても伝わらない~
そしてその感覚は、ずっとずるずる引きずって
私は大人になっても関係性の中で、言わなきゃいけない職場でも
~私なんかがいっても伝わらない~
~どうせ相談しても、本気で答えてくれない~
そんなふうに思ってました。
そんなときでも
大切な出会いがあったり暖かい仲間、同期、先輩
学校の先生、その出会いに気づき
何より私の場合
患者様の生きる力、その家族の絆
共に関係性を作る中での、まだまだである私への
心からの感謝、応援、頼ってくれて信じてくれた。
その愛に気づき
『つながることができるかもしれない』
から
『人は心の奥底で誰もが愛し愛されたい
関わり合いたいそう思っている』
という確信を今は感じてます。
でも愛とは何でしょうか
愛は見えません。
そして、ある人にとっての愛と
この人にとっての愛
それもとらえ方はそれぞれ。
つまり
愛はあると思えばあるし
ないと思えばない。
つまり愛は錯覚。
従って
運命の赤い糸もないし
ソウルメイトも現実ないのかもしれない。
でもそれは
あなたの解釈、あなたがある!と思って
思い続けて
行動すればある。
つまり
それは意志力、言い換えればよい思い込み
信じぬくこと、いい意味で疑わない。
自分の未来も相手も。
それは良い錯覚を持ち続けること
そして、みずからの脳に
ずっとその錯覚である、まぼろしである
最初に思った初恋のときのような
ときめき、ありがたい感謝
好き!という気持ちを
持ち続けること
幻滅しそうになったり
顔も見るのも嫌になったときも
それでも
あのときの初心を、もう一度
あの素晴らしい愛をもう一度、思い出す
イメージする。
そのひとと、どういう未来を創るのか
その人との絆で何をなしえるのか
その対象(会社や取り組もうとした物事)との出会い初心
そこを、思い出す
イメージする。
~その人と出会った絶頂の時、何のために出会った!
そう確信しましたか~
~その職業、その会社にご縁があって、つながり入ったとき
何をするぞ!そう思いましたか~
そのゴールを
色鮮やかにイメージして、なりきって
その幸せを味わう。なんてすばらしいんだろう
ああこの人と金婚式まで一緒にいれて、なんて深い縁なんだろう
その幸せな感情を抱いて
そしてできるところから動いてみる
ちょっと声をかける
素敵なささいなところ、(いやそんなに素敵でなくても無理やり見つけて)
素敵だね!そう言ってみる。
その繰り返しの中で
もしかしたら、関係性が思わぬ方向にかわったりすることもある
もっとその人をその仕事や物事、対象を好きになることもある
そうしたら、小さな可能性を信じて、その好きを大切にして繰り返す。
だってそのために
最初に決めたんですからその縁とつながることを。
小さな行動が小さな関係性の変化を起こし
その中で
その人だったりその仕事だったりその取り組む何かを
もっともっと好きになることもできる。
熱中してフォーカスしてコミットすることができたとき
それが
本当の愛。
だから赤い糸もソウルメイトの糸も
目に見えないし
ないんだけれど錯覚だけれど
あると思ったらあるし
ないと思ったらない。
そして
愛は錯覚。でも思い込んで、もっともっと好きになったら本当の愛。
逆もあります
愛は錯覚でも思い込んで、もっともっと嫌いになったら本当の距離、隔たり
私は愛に不信感を感じ、愛はないと思ってました。
だから逆そちらが多かった。
でも今は思ってます。
『人は心の奥底で誰もが愛し愛されたい
関わり合いたいそう思っている』
という確信を今は感じてます。
同じ錯覚だったら
幸せな錯覚を
信じることを大切に。。
あなたも私も小さなすきを
もっともっと好きに変換できる日々を
重ねることを
信じてます。
今日もあなたの命があって
あなたが生きていることを
それが私は全力でうれしいです。
今日のあなたと私の命にありがとうございます。