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日本人は”絶滅”に向かっている・・・という記事を読んで。

日本が絶滅に向かっているという衝撃的なタイトルが気になったので紹介します。

昨日、みんなの介護の賢人論から別の記事『”ひずみ”を正し働き手を増やす』の紹介をしたのですが、その時にこちらの記事も気になっておさえておきました。

https://www.minnanokaigo.com/news/special/takehikokobayashi/

良くなることがないのが介護のつらさ

みんなの介護 本日はお忙しい研究の合間をぬって取材に応じて下さりありがとうございます。早速ですが、先生は介護についてどんなイメージをお持ちですか?

小林 つらいイメージですよね。私は介護と子育て両方経験しました。子育ては成長が見られますが、介護は最終的には亡くなることになる。それはすごくつらいですよね。

みんなの介護

年をとっていずれは亡くなる。
当たり前の事で、人間ってやっぱり年々衰えていくわけで、そこのサポートをする介護の仕事ですから、どうしてもネガティブなイメージになってしまいますよね。

僕ら介護職も、関わってきた利用者さんが亡くなったりすると心的なダメージは大きいですが、同時並行的に多くの方のケアにも関わっていますので、そこはプロとして割り切って別の対応で平常のパフォーマンスが求められますから、そこは一つの専門性だと思っています。

そういう事に慣れるにつれて、自分の人間性が麻痺していっているのではないか・・・と不安になった時期もありましたし、実際、もしかしたら麻痺しているのかもしれないな・・・なんて思っています。

だからつらいとかそういう感覚はないんですけど、こういう麻痺が、世間の常識が介護の非常識にならないように気を付けていたい、とは思っています。

小林 妹とともに母の介護をしていました。老健に入っていたのですが、そのうち病院に移りました。老健で転んで足を骨折したことが良くなかったです。

病院へは頻繁に食事の介助に行きました。でも、だんだんごはんが食べられなくなっていく。それを見るのがつらかったですね。担当医に「お母さんもうごはん食べられないんですよ」と言われたときはショックでした。だって、もう永久に食べられないわけだから。

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転倒して入院になってどんどん低下していく、老いが進んでいく・・・というのはよくあります。

なので本当に骨折せずに過ごせるかどうかが非常に重要です。

特に女性の骨は結構早い段階で骨粗鬆症が進行しますので、びっくりするくらい簡単に骨折します。
戦前戦中の世代で本当に元気な方は、農作業や若い頃に子供や兄弟を背負ったりして山を歩いたり畑仕事をしたり家事をしていた経過があるので、骨格や筋力がしっかりしていて最後まで歩いて過ごせていたり、在宅で長く過ごされるケースが多かったです。

たぶん、足腰の骨格の構造とかもちょっと違うかったんではないかと思います。結構変形していても元気に動いておられて、歩行状態もふらつきが少なく重心も低く重心の動きも小さくて転倒の心配がないくらい安定していました。

だんだんと食べれなくなる、歩けなくなる・・・目に見えて衰えていくのは本当にご家族としたら辛いですよね。
そういう本人や家族の心情にもきちんと寄り添った対応が僕たち介護職には求められています。

―― 生物学から見た老いや認知症などについてもお話を聞いていきたいと思います。先生は“老い”というものをどう考えていますか?

小林 老いというものは成長と同じ。最初からプログラミングされていることだと考えています。

人間は中学生ぐらいになると思春期を迎え、成人する頃には性的な成熟を迎えます。そこから中高年になって白髪が生えるのは、成長期に声変わりが起こったり、髭が生えたりすることの延長だと思います。

成長し、老化し、死に至る。その過程すべてが、遺伝子に刻まれたプログラムです。

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遺伝子だかDNAだかのテロメアという物質がどんどんと短くなっていって死に至る、というのは聞いたことがありますので、そういう感じで老いについてプログラムされているのだろう、と思います。

老化自体が病であって、治療できるかもしれない、という説も聞いたことがありますが、すくなくとも今の現状では死を避ける事はできないので、老いて死に至るというプロセス自体は、誰にでも平等に訪れる成長の過程なんだと思います。

僕自身は、死に至るその時まで成長し続けていると思っています。
いろんな刺激を受けていろんな事を感じて常に成長していく、それが人生だと思っています。

運動ができたり勉強ができたりする事だけが成長じゃなくて、何でも感じたり思ったりする事が成長だと思います。
だから、生きているだけて日々成長していると思っています。

その中で、自分が納得できて後悔しない生き方をすればいいと思いますし、それは他人から強要されたり強制されたりするものではなくて、自分で決めて自分で歩むものだと思います。
なので、どんな世代でも自分のペースで自分なりに生きていける事が大切だと思います。

―― ちなみに、何をもって“死”だと考えますか?

他の動物の死については生物学で考えられるけど、人間の寿命は最終的には社会が決めます。だから、寿命が短い国もあれば長い国もある。食糧や医療が十分出ない国は短い傾向があります。

日本では多くの方が病院のベッドで亡くなる。あるいは誰かに介護されながら自宅で亡くなる。かたや、戦争で亡くなる人が多い地域もあります。人間の死に方というのは社会が決めている部分も大きいと思います。

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死に方を社会が決めている・・・というのは、ちょっと衝撃でしたが、そういえばそうだよなぁ・・・と思います。

自分の死にたい場所で死にたいように死ねる方って少ないと思います。
出来るだけそういう思いを大事にしたいので、在宅介護であっても契約の際に終末期までのイメージをしてケアに入るように指導はしてきましたが、現場職員の中にそこまで意識して実践している職員はほとんどいませんでしたね。
そういう意味では、やはりリーダー層になれる職員は、割とそこまでの話もすんなり理解した上で実践できていました。

―― 認知症になるメカニズムについて教えていただけますか。

小林 多くの場合は老化が原因です。身体の機能が低下してくると避けられなくなる。85歳以上の4分の1が、認知症あるいはその予備軍ですからね。

しかし、認知症もがんも、老化が原因だとわかったからと言って治せるものでもない。なぜなら、がんの原因が遺伝子の変異ということは、50年ほど前からわかっています。治せるがんは増えましたが、治せないがんもまだたくさんあります。

認知症もがんも老化が原因。そう考えると、長寿の人が増えたことで、それらの病気になる人が目立っていると言えるでしょう。平均寿命が50歳ぐらいだった時代には、認知症になる人は少ないですから。

認知症の人の割合やがんの人の割合が増えたのは、寿命が延びたことが原因の1つと言えるかもしれません。でも、老化研究自体は進んでいるが、認知症の治療薬は効果的なのはまだありません。

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老化による身体機能の低下が認知症に繋がっていくという事ですね。
ですので、要介護状態になるまえから運動習慣なりをしっかりと習慣づけしておく必要があると思いますし、ご近所さんや集会には積極的に参加していく習慣もつくっておいてほしいですね。
地域とのつながりや人とのつながり、外出する事による自然からの様々な刺激や有形無形のコミュニケーションによる脳への刺激は、本当に認知症の予防に効果があります。

―― 先ほど「プログラミング」という表現がありましたが、そうすると「人間も認知症になるようにプログラミングされている」と言えますか?

小林 それは少し違いますね。プログラミングで考えると、人間は(認知症になる前に)心不全など循環器系のトラブルで死にます。

長く生きるほどに血管や心臓に負荷がかかる。だからこそ使用期限が迫ってきて、脳の血管が切れたり、心臓が止まったりして、最期を迎える。それはプログラミングされていると言ってもいいかもしれません。

でも人間の場合は、なぜかやたらと心臓が丈夫になった。野生の動物のように心臓が止まることが原因で死ぬ人は、かなり減った。がんや認知症で亡くなる人が多い状況は、社会環境が生み出したと言えます。

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ここ不思議でした、人間って心臓が強くなったんですね。
”なぜかやたらと心臓が丈夫になった”という表現は面白いのと、そうだんだ、という感じで衝撃でした。

心臓が強くなったが故に、がんや認知症になる人が増えた。
社会環境が生み出した病気ともいえる、という事ですね。

―― 人間は社会的な生き物だというお話がありましたが。人間以外で、一匹になると弱い動物はどんな動物でしょうか。

小林 群れで行動する生き物は概してそうです。一匹になってしまうとダメですよね。

また、昆虫も同様で、アリにも社会性があって役割分担がある。一匹で飼ったらすぐに弱って死んでしまいます。でも集団で飼ったら結構長生きです。群れで生きる魚もそうです。要するに集団で一つの個をつくっているようなものです。

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ここすごく大事だと思うんです。
なので、どんなケアの場面でも、その小さな集団の中での社会を構成するようなケアの手法が重要だと思っています。
その手段の一つとしてユニットケアがあるのですが、これが制度要件を満たすだけの手段が目的になっている現場も結構多いのかなぁ、なんて思います。

―― 人間もグループ行動を取る生き物に近い。

小林 その権化のようなものです。家族を中心としたコミュニティの中で進化してきました。でも社会に生かされているというのが、都市部を中心に今の人たちはわからなくなってきています。

昔は、家族や地域のコミュニティに属していないと必要な情報やものを得ることができなかった。そういうことが今はないじゃないですか。

今の社会にはコンビニもあって、食べ物をどこでも仕入れることができる。スマホを叩けば情報もすぐ出てきます。それで済むのであれば、無理して他人とコミュニケーションを取らなくなくても生きていける。一人で生きることができると思ってしまいます。でもそれは、すごく危険です。

若いときから一人でファーストフードばかり食べてきた人は、60歳、70歳になった自分をイメージできますか。なかなか難しいんじゃないかと思います。

若いときはそれでよくても、健康に対して自信がなくなってきたときにどうするか。人との関わり合いが少ないと生きる元気が無くなってくる可能性がありますよね。

生物学的に考えても、一人でいることを良しとする風潮は危険だと思っています。

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僕自身が転勤が多く、友人知人が一番多い関西から北海道に移住し、その北海道の中でも転勤を繰り返して知り合いが居ない状況で、実際に本当に危ない時期がありました。
介護の目線も全然違うチームを指導していた時は、近くに共感してくれる同僚も知人もいませんでしたので精神的にも非常に危うかったと思います。

だからといってはなんですけど、noteでいろんな人の書いている内容を読んで共感したりする事が励みになりましたし、そこで僕自身も発信する事で、その記事にスキが付く事で、仕事でも頑張っていく事ができたと思います。

デジタルのこういった繋がりでも、ちゃんと承認されて意見が言えて、その発信を受容してもらえる環境というのは本当に大切だと思います。

僕自身、若い頃は今よりもアルバイトで収入が多かったので、お金さえ稼げれば一人で生きていける、なんて思ってた事もありましたが、今ではそうじゃないなと思います。

小林 人間は社会の中でしか生きていけない。それなのに、今は一人で生きることを選ぶ人が増えています。実際に婚姻率もどんどん下がっていっているし、少子化も進むでしょう。明るい要素はあまりない。高齢社会がますます進み、人口は減少していく。このままでは日本人は絶滅に向かっていると考えても大袈裟ではないかもしれません。

そうは言っても、絶滅するということは、大変なことです。どんどん人が減っていく過程でいろんなインフラが間に合わなくなる。特に高齢者の比率が高い一次産業つまり食料の供給が足りなくなる。最後は物の奪い合いで戦争になるかもしれません。

それって最悪です。それに、人間が絶滅する環境は、他の生き物もかなりえらいことになります。絶滅する種に依存して生きている生き物も絶滅します。絶滅のドミノ倒しが起こるのです。

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そうはいっても絶滅までは・・・とは思いますが、どんどんとこの少子高齢化が進み人口が減っていけば、行き着く先って・・・物の奪い合いとかになっちゃいそうですけど、きっとその前にアメリカに併合されたりするのではないかと思ったり。

いずれにせよ、日本の人口を増やす事ができない以上は、国として存続も難しくなるだろうと思います。
ただ、減った人口で日本の総人口を賄う程度に全労働力が農業なりに従事していくような農業国みたいな感じで食料自給率を高めていけば何とかなるのかな・・・なんて思ったりもします。
経済とかそういうのではなく、農業や観光で生きていく感じですね。
資源がないといわれている日本ですし人口も減り続けるわけですから、どこかのタイミングで背丈に合わせた国づくりは必要と思います。

今の状況って、どこか無理して先進国だか世界何位とかになろうとしているからいろいろと無理がきているんじゃないか、なんて思ったりもしています。

―― どうしたら絶滅を止めることができるんでしょうか。

小林 情報化社会においては得した感がないとダメです。結婚したり子供を持ったりすることにメリットがなければダメですよね。いくつかの先進国がやってるのは、とにかく養育費・教育費はただにして国が補助金を気前よく出す。

例えば2人目のお子さんには月5万円、3人目以降には一人につき月10万円を18歳になるまで差し上げたらどうでしょう。3人以上産んだらとりあえず働かなくていい感じになります。もちろん産む/産まないは自由です。それぞれの価値観を尊重しなければいけません。

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これもすごく大事な視点なんだと思います。
得した感。

本当に子育てにお金がかかる事と、子育てしにくい社会環境をなんとかしないとダメだと思います。
たとえば仕事したいけど出産育児でキャリアが止まってしまうとか、本当に男の都合で出来た仕組みだと思います。

社会にとって、子供が生まれてすくすくと育つという事は、将来の顧客が増えるという事だし、将来の職員が増える事にもつながりますので、そういう将来の可能性を見た時に、女性従業員に対して、生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう、という制度がなければだめだと思います。
少なくとも出産前の役職は維持した上で、出産手当とかとは別に給与アップとかすべきだと思います。
今は女性だけで子育てしているケースもありますので、子育て中の従業員については、育休をとった上で収入をアップさせるような仕組みは必要だと思います。

しかし、これって本来なら国がやる事なので、ちゃんと国の施策としてそういう子育て中手当などを支給したりすべきだし、子育て中や育休をしっかりとらせている企業にたいしての補助金なども国がちゃんと出すべきだと思います。

当然、子供の学費や医療費は無料にすべきです。
少なくとも僕は、そういう施策に税金をしっかり使ってほしいです。

あとは子供を産みたくても産めない人たちに対してのフォローも必要です。
そうでないと、子供を産んで育てられる人たちだけが評価される世の中になってしまいますので、そういう望んでも産めない人たちへの支援も充実させる必要はあると思います。

たぶん、そこまでちゃんとやらないと人口は増えていかないのではないかと思います。

―― 他に明るい兆しのある研究があれば教えてください。

小林 いくつかあります、私が直接取り組んでいる研究ではないですが、老化細胞除去技術という研究です。

老化細胞が増えていくことによって、フレイルという虚弱(ヨボヨボ)状態になっていく。筋肉にしても内臓にしても、老化細胞がたまって組織の機能が低下していく。

―― それを防ぐためにはどうすれば良いのでしょうか?

小林 老化細胞にうまくぶっ壊れてもらう必要があります。それを薬などでうまく促進するのが一つの老化症状を緩和する方法です。元々壊れるようにできているものを壊すだけのことです。何かを新たにつくることに比べると、まだ実現のハードルが低い。

そのことを可能にする科学物質がいくつか見つかっています。

マウスによる実験では、腎臓や肝臓の機能が向上して元気になります。筋力も上がる。同じことが、人間でもほぼできるだろうと考えられています。

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老化って老化によって入れ替わるべき細胞がうまく入れ替われなくてなっていくみたいですね。わかるようなかわらんような感じですが・・・。

とにかく”老化細胞にうまくぶっ壊れてもらう”研究がうまくいけば、もっと医療や介護の現場の負担は減るのかもしれませんね。

マウスの実験では元気になったみたいで、筋力も上がったとか。
筋肉っていつまでも鍛えれば鍛えられるみたいなので、高齢者でも出来る範囲での筋トレや筋肉をつける食事・運動はすごくいいと思っています。

実際に寿命が長い生き物ほどDNAの修復能力が高いということが、最近の論文でも発表されています。

寿命が2年ほどしかないマウスの場合、人間の10倍、DNAに傷がたまりやすいです。長生きする象はDNAが壊れにくいし、がんにもなりにくい。

―― 実現まで最低10年ということですが、すでにフレイルが進んでいる状態からその治療を受けたとして、症状は改善できますか?

小林 炎症状態が取り除かれたら症状が軽くなることは期待できます。炎症による腫れが引くようなものです。

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実現まで10年はかかる・・・それでも2032年頃には実現していると考えると、ちょうど高齢者の数がピークになると思われる2040年までには間に合う可能性もあっていろいろとケアの実践の変化もありそうなタイミングですよね。

今の日本の制度では、65歳までに多くの人は定年退職で職場を離れざるを得ません。人間は社会的な生き物だから、社会の中で役割がなくなった瞬間に元気がなくなるのは、自然なことです。

働くことに疲れた人は「これでラクができる」と考えるかもしれません。でも、生きがいを失ってしまう人もいる。65歳を過ぎても働きたいかどうか“本人の意思”で決められる余地が今の日本にはありません。

社会が年長者にどう役割を割り振るかが大切ですよね。

人口が減少し続ける中で年長者を社会から排除していたら、この国が持ちません。それは研究者の世界でも明らかです。入って来る人より出ていく人の方が圧倒的に多い。早急に定年制度を見直してもらわないと、日本の研究者がいなくなってしまいます。

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高齢の男性で認知症になったり、すぐに生活機能が衰えてしまうケースが本当に多いのは、こういう事なんですよね。

僕自身もそうですが、仕事以外に何をして社会に貢献できるのかわからないんです。
だから家で何もする事がない、何もできない、何も役割がない・・・という状況は本当に老化を進めてしまいます。

そういう意味では、そういう高齢者が活躍できる場所をいろんな会社で用意しておく事は重要かもしれません。

田舎のコンビニでは結構お年寄りの男性が働いていて、本当に慣れてないんだろうなぁ・・・なんて思う職員さんもいれば、すごくちゃんとした立派な接遇で対応してくれる職員さんもいます。
こういうの結構大事だと思うんですよね。

小林 日本は世界で一番寿命が長い国です。今から50年ぐらい前、100歳以上は130人しかいませんでした。でも、今は9万人いるわけです。要するにシニア人材が豊富だということですよね。今の日本にとって世界に誇れるのは、長寿ということです。そこの人材を有効利用しなかったら、逆に支えられる側として計上される高齢者の数が増えていく一方です。

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なるほど、と思いました。
これまで僕は、介護予防に力をいれて、要介護状態になるまでにしっかりと運動したりする機会を習慣化すべきと考えていましたが、そうですよ、ちゃんと働ける場をつくればいいんですよ。

シルバー人材センターとかこういう時に活躍すべきなんですけど、機能していないのでしょうか・・・。

若い人と同じように出来る作業・・・という事ではなく、高齢者向けの役割・業務というのを考える必要があります。

そういう点では、僕ら介護職の視点というのは一般企業のそういう業務分担の場面で役に立つかもしれませんね。

もしかしたら、介護職が活躍できる場面って広がっていくかもしれませんね。

―― 話は戻りますが。寿命が今のように長くなかった頃は、認知症で悩むこともなかったのですかね。

小林 ないです。人間と遺伝情報が似ている動物にチンパンジーがいます。チンパンジーの遺伝情報は、人間と98.5%一緒です。彼らは認知症やがんにほぼならない。50年ぐらい生きると、ピンピンコロリで亡くなります。

そしてメスは生涯生理がある。生涯子供が産めるのです。子どもが産めるということは、若い頃の身体の状態から変わっていないということです。

これが本来の大型霊長類の死に方なんだと思います。ゴリラもそうです。

でも人間の場合は、90歳ぐらいまで生きるじゃないですか。同じ大型霊長類に比べて3-40年は長く生きます。これは人間だけの特徴です。人間の場合、なぜ生物学的な限界を越えても生きているかといえば、理由は簡単。社会の中では高齢者が必要だったからです。

猿の赤ちゃんは、生まれた瞬間から自分でお母さんに抱きつきます。だから、お母さん猿は赤ちゃんがいてもフルに両手が使える。一方、人間の場合、自分でお母さんに抱きつくようになるまで数年かかる。その間、お母さんか誰かが赤ちゃんを抱っこしなければいけなくなる。

そうすると、元気なおばあちゃん・おじいちゃんがいた方が子育てに有利です。安心して子どもを育てられる環境があるから、子沢山になる傾向がある。

そのほかにも、後進の育成など高齢者が社会にとって必要な理由はたくさんあります。だから、生理が終わってからも生き続けるように進化したと考えられています。

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ここ凄いなぁ、知らなかったなぁと思って読みました。
チンパンジーの母親は生涯出産できるとか、ピンピンコロリとか。

人間も昔は人生50年と言われていましたので、医療や食の充実も重要な要素と思いますが、高齢者に役割があったから長寿に進化してきた、というのは初耳でしたし、それは凄いな、と思いました。

という事は、認知症になったりする状況って、核家族化が進んだから・・・という事も言えると思いますし、たとえば以前の記事でも僕自身は、高齢者は高齢者だけ、という事ではなく、高齢者も子供も障がい者も一緒にいて当たり前のケアの環境を作りたいと思っていますが、そういう環境下で高齢者が役割を発揮できる環境というのが凄く重要なんだろうと思いました。

高齢者にとって、社会に必要とされる、役割があることが当たり前である、と考えた時に、もっとも高齢者の専門の環境が整備されていなければならない介護の現場に、そういう要素がほとんどない、という事は、高齢者介護の実践としてはかなりまずい状況だと思いました。

そして、認知症ケアなどで先進的だといわれるような取り組みや、よい効果があるといわれる実践の多くが、認知症であっても高齢者の方々に、それぞれ自分らしい役割が発揮できる機会や環境をつくってケアを提供しているという事です。
そういう施設のほとんど全てが、利用者さんが主役、という事を徹底しているように思います。

やはりケアの実践の行き着く先はそこだよなぁ・・・なんてこの記事を読んで痛感しました。


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