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考察:UIテキストにおける「馴れ馴れしさ」と「無機質さ」の境界線
生活保護間近のマーケティング覚え書きです。
UXライティングについて、覚え書きを書いていきます。
私たちは、ATMやiPhoneのSiriなどのデバイスに日常的に「語りかけ」、デバイスのほうも私たちの要求に応答します。このようなやりとりは、私たちが命令を出し、機械がそれに応じるというただの処理にしかすぎません。
しかし、パーソナルアシスタントなどのテクノロジーは、このような無機質な関係ではなく、同僚や友人のような親しい関係を作ろうとしています。たとえば、映画『her/世界でひとつの彼女』では、スカーレット・ヨハンソンが演じる魅惑的なOSが、生身の人間のような感覚、擬似的な愛を実現させています。
テクノロジーが普及し、膨大な量の個人情報にアクセスしている中で、私たちは人間と機械の良好なコミュニケーションをどのようにデザインできるでしょうか? UIにおけるテキストは、人間の会話の抑揚や流れ、文法に近づけるべきでしょうか? それとも、人間のような話し方は、親近感ではなく上辺だけの親しさを作り出してしまうのでしょうか?
答えは、もちろん状況によります。多くの人は、自動音声のシステムを一度は使ったことがあるでしょう。自動音声システムのなかには、人工的な感じを減らそうと、人間の話し口調に近づけようとしているものもあります。多くの場合、自動音声は女性の落ち着いた声で、明るい口調で標準語で話します。ですが、自動音声を人間らしくすることは、リアルな人間ではないという事実を強調します。
ファーストネームを呼ぶコンピューターは、ユーザーを喜ばせることもあれば、気味悪がらせることもあるでしょう。人間らし過ぎるロボットに対して不気味さや嫌悪感を感じてしまう不気味の谷現象のように、馴れ馴れしすぎるUIは人を遠ざけてしまう可能性があります。
つまり、UIにおけるテキストは機械的すぎず、人間的すぎず、ちょうど良いバランスを保つ必要があるのです。(UIテキストにおける「馴れ馴れしさ」と「無機質さ」の境界線より引用。以後同様)
難しいテーマ!アンドロイドは人間であるべきか機械であるべきかみたいな内容。
つまりユーザーは、製作者側をどう認識しているかで答えが変わってきそう。
少し考えてみて、つまりユーザーの欲する対応がどのようなものかを把握する必要がありそうと考えた。これは心理学と深く結びついている。
例えば、先日池袋駅内では駅構内のナビゲーションAIが試験運転していた。駅側からしてみると、満を持しての試験導入といったところだろう。しかし、それに寄り付く人はすごく少なかった。もちろん私もそのAIからは離れたいと思った。これはAIのデザインの失敗例だと思う。
そのとき、なぜここには人が寄り付かないのか?と考えた。すぐに分かったことだが、実際に見てみると、いかにもロボット的なデザインで、馴染みの薄い顔が動いていた。この事例を考えると、人は人らしい人に頼りたいのだと思う。
「馴れ馴れしさ」と「無機質さ」の境界線はどこか?
「OK Google」と話しかけることは、無理矢理やらされている感があるかもしれません。私は個人的には、より実用的にするには、この方法よりも「◯◯さんに電話して」または「近くのタイ料理レストランを探して」という感じに、ダイレクトに命令できるほうが良いと思っています。
「OK Google」は、まるで私たちが巨大な検索エンジンと仲良しであるかのように聞こえるので、奇妙に感じられるのです。Googleは、このフレーズを使うことで、「1つの企業」ではなく「頼りになる友人」のような立場に立とうとしています。
Googleは根本的な信念の1つとして「ユーザーを重視する」ということを掲げています。しかし、この「ユーザー」という言葉には、Googleと親しくなりすぎず距離を取りたい人も、依存したい人もどちらも含まれているでしょう。私はどうやって、同じ企業に対して友人であると同時に単なる「ユーザー」となることができるのでしょうか?
確かに。前々から思っていたが、「OK Google」だとコミカルな感じなのは、このことだったのか。腑に落ちた。
じゃあどうすればいいのか?
小さな言葉が示すコミュニケーションの形
「言葉」は社会情勢を表し、そして権力闘争を強調し、親密さや距離感といったものにスポットライトを当てます。インターフェースに関するライティングでは、短い言葉ほど、関係性や動機、感情を明らかにします。
ボタンに記された小さいテキストは、コミュニケーションを変えることができます。ボタンを「了解」または「続ける」のどちらにするとしても、それは情報伝達以上の働きをします。「了解」は、ある特定の信用や親しみやすさを暗示しており、インターフェースがユーザーの代わりを務めることを連想させます。また、「了解」は、ユーザーに対して次の段階へと移動する前に、単に「続ける」の意思を表明するのではなく、提供されたあらゆる情報の包括的な理解と了承を求めているのです。
ボタン1つとってもコミュニケーション。ここにいかにUXライティングが重要か書かれている気がする。
ユーザーのことを聞き、感じ、会話をしなければ、UXライティングは成立しないのであろう。つまるところ、UXライターには心理学の知識やコミュニケーション能力が求められる。
言葉を意識するということは、UI上のテキストを機能的なものにするということではありません。短く簡潔なテキストを使い、適切に配置されたコピーを作ることができれば、UXに喜びと魔法を追加してくれます。
Virgin Americaの人口音声は軽薄でおかしく、そして失礼な感じさえします。しかし、このようなアプローチは、空の旅が苦しくてしんどいものではなく、スリリングで高級感のあるものであった、初期の時代を復活させているのです。同社は、フライト予約のような面白くない作業に騒々しいユーモアを取り入れています。
Virgin Americaのユーモアあふれる雰囲気は、ちょっとしたところに表れています。座席のアップグレードにかかる費用について説明している、上記の画像のようなダイアログボックスにもあります。ダイアログでは、了解のボタンは、一般的な「OK」ではなく、「I understand, Let's do this(了解、そうしましょう)」という言い回しになっています。
ユーザーがフライトを予約する際に名前を入力する場合、入力画面は「Hey there.(やあ、こんにちは)」というようにユーザーにおちゃめに挨拶します。このような絶妙な言い回しは、馴れ馴れしく感じさせず、インターフェースを人間らしくすることができます。しかし、不気味の谷現象のように、人を遠ざけてしまうほど馴れ馴れしい口調になってはいません。
テキストは読み手に情報を与え、サポートをし、それが終わったらすぐに消えるべきです。優れたUIは、主張しすぎることなく、UXに浸透します。Webに関するライティングには、詩的な美しさがありますが、これはWhitman氏の長々とした文章のようなものを指しているのではありません。むしろ、これは正岡子規の無駄を省いたスタイルの俳句のようなもので、とてもに簡潔なため、ほとんど見過ごされそうになっているのです。
なるほどなるほど。ちょっと整理しよう。
Virgin Americaのユーザー体験の狙い:単なる移動手段ではなく、フライトを楽しんで満足あるものにしてもらう
→だから言い回しを事務的なものではなく、まるで友達感覚のようにする。しかし、要が済んだらすぐに消える。馴れ馴れしすぎない。
地味に思えて実は洗練されたデザインに思える。ここに行き着ける企業、そうでない企業色々あると思う。Googleでさえ苦戦しているのだから。
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