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鳳凰のかたち(「瑞祥のかたち」展 雑感)
先日、東京に行く用事があり、三の丸尚蔵館で開催中の「瑞祥のかたち」展を見てきました。
週末ではありましたが、それにしても大勢のお客さんが入っていて驚きでした。
(ちょっと前にテレビで紹介されていたので、その影響??)
展示は、鳳凰や龍・虎・亀などの瑞獣の造形美に注目する内容で、所蔵の瑞祥画や工芸品が一堂に会す見ごたえあるものでした。
近世・近代の日本の瑞祥画を見て思ったのは、あらためて瑞獣の「かたち」って大事だな、と。
というのも、瑞獣というのは、ただその生き物を描けばいいというものではないんですね。
今回は、鳳凰を例に述べてみます。
鳳凰のかたち
鳳凰は、殷代から漢代まで、基本的には地に足をつけ、羽を閉じた姿で表現されます。
これは、『詩経』大雅に
「鳳凰于(ここ)に飛ぶ 翽翽(かいかい)たる其の羽 亦た集りて爰(ここ)に止まる」
と詠まれるように、鳳凰が降りてきて止まるのが瑞兆と考えられたためでしょう。
しかし今回の展示に並んでいた近世以降の、とくに絵画作品では、羽を広げた鳳凰や、飛翔する鳳凰の表現が多く見られました。
おそらく、鳳と凰という雌雄一対の瑞獣をあらわすために、左右で差をつけ、雄は飛翔し、雌は地からそれを眺めるというような構図が確立されたのでしょう。
瑞獣の取り合わせ
では、そのような「取り合わせ」がいつ頃行われるようになったのか。
鳳凰の雌雄一対の表現自体は、すでに前漢時代には見られますが、鳳凰のみの表現は確認できず、龍×2と鳳凰、あるいは、鳳凰と麒麟、というように、2×2の取り合わせとなります。
(『秦漢遺宝 —器物に込めた願い』〈黒川古文化研究所・研究図録シリーズ6、2019年〉に載せている泉屋博古館所蔵の「盦(アン)」の蓋の図像が典型です)
天をあらわす蓮華や糸巻形の紋様の間に配されることが多いので、天の四方を示すと同時に陰陽を調えているのでしょう。
その後、後漢時代の画像石(墓石の彫刻)に鳳凰を左右に向かい合わせに配した図像があり、一対であらわすことが始まっていたと知られます。
そして、中唐期(756-826)の「対鳥鏡」と呼ばれる鏡の背面図像にも、鳳凰を左右一対にあらわす表現が踏襲されています。
少し羽を拡げてはいますが、地に足はついていて、やはり止まった表現となっています。
なお、今回は出展されていませんでしたが、三の丸尚蔵館所蔵の伝銭選「百鳥図」(明・16世紀)は、鳳凰をほかの様々な鳥と一緒に描いたいわゆる「群鳥図」です。
これについては、後漢時代の王充が『論衡』講瑞のなかで
「或る曰く、孝宣の時、鳳皇上林に集まるに、群鳥の之に従うもの千万を以て数う。其れ衆鳥の長にして、聖神に異あるを以て、故に群鳥附き従う。如し大鳥来集し、群鳥之に附うを見れば、則ち是鳳皇なり。・・(中略)・・書に曰く、簫韶九成に鳳皇来儀す、と。大伝に曰く、鳳皇列樹に在り、と。群鳥従うを言わざるなり。豈に宣帝の致す所の者異ならんや」
と批判するように、『尚書』には「鳳皇来儀す」という記述があり、その注釈書にも「鳳皇列樹に在り」と言うのみで、群鳥が従うとは言っていないのですが・・・
それはさて置き、三の丸尚蔵館の「百鳥図」では、雌雄一対の鳳凰が、羽をやや広げてはいますが、ちゃんと地に足をつけた様に描かれています。
鳳凰の飛翔表現
では、鳳凰の飛翔表現はいつ頃から見られるのでしょうか?
![](https://assets.st-note.com/img/1738735842-J8YiBKcIdZnGQPzVM3syxAoD.jpg)
唐代中頃の「吹簫飛鳳鏡」(泉屋博古館蔵)は、下記の『列仙伝』の故事に基づき、簫を吹く人物と飛来する鳳(上図)を左右に対置する図像をもっています。
「簫史は秦穆公の時の人なり。善く簫を吹き、能く孔雀・白鶴を庭に致す。穆公に女あり。字は弄玉。之を好み、公遂に女を以て妻らす。日び弄玉に鳳鳴を作すを教え、居ること数年にして吹けば鳳声に似る。鳳凰来たりて其の屋に止まる」
晩唐期(827-907)には、「双鸞鏡」と呼ばれる二羽の鸞(鳳凰の一種)を配した鏡があります。
![](https://assets.st-note.com/img/1738826169-iAKOY0c2xsjbf1DgZv9hqayp.jpg)
鈕を中心に線対称に配された二羽の鳳凰は、羽を大きく広げ、飾り羽をなびかせ、太極図のように円形の空間を旋回しています。
鏡背を一枚のキャンバスに見立てた絵画表現であるとともに、陰陽和合を強く意識した構図でしょう。
このように、図像の背景となる思想や故事が画題に採り入れられる過程で、鳳凰のかたちや瑞獣どうしの取り合わせが決まっていったと考えられます。
中国の元・明時代や近世日本の絵画の瑞獣表現も、唐代の文化・思想を受容し、古典に学び、洗練され、それぞれの「かたち」が確立されていったのではないでしょうか。
鳳凰と桐、鶴・亀と松など、瑞獣とその他モチーフの取り合わせがいつ頃はじまったのかも調べてみたら面白そうですね。
三の丸尚蔵館の「瑞祥のかたち」展は3月2日(日)までです。
瑞獣の「かたち」と「とりあわせ」の面白さをぜひ体感してみてください。