見出し画像

動画配信サービスをはじめて

こんにちは、小清水志織です。

先日、アマゾンプライム(アマプラ)の月料金をコンビニで払ってきたんですけど、手数料こみでも千円いかないものに、(おっきなお札を崩したいから……)というよこしまな魂胆で店員さんに万札を手渡した不届き者がここにいます。店員さんごめんなさい。この場をお借りして懺悔いたします。嫌な顔せずちゃんとお釣りを出してくださったあなたは聖人です。今度大きいお金を崩すときはセミセルフもしくはセルフのレジにしますね、はい。

とまあ、いきなり罪の告白から始まった今週の note ですが、アマプラに加入して早くも四か月たとうとしていることに気がつきました。「動画配信サービス」、今更ですがなんだか凄いサービスですよね。現在は珍しくなくなりましたけれど、十年くらい前はメジャーでなかった気がします(私が世間知らずだった可能性もありますが)。
噂に聞いていたとおり、蓋を開ければコンテンツ、コンテンツ、コンテンツ! のオンパレード。「この世界はコンテンツで出来ている」なーんて思ってしまうくらい、膨大な数の動画が用意されていて、しかも、これですべての動画を網羅しているわけでないのですから、まったく大変な時代になったものです。

「文化」というものは、大体において独占から共有へとベクトルが進むものだと考えています。
ざっくり言うと、それまで「支配者層/エリート/プロフェッショナル」が私有していた文化が、時代の流れとともに「被支配者層/非エリート/アマチュア」に裾野がひろがっていく、ということです。言語、文学、宗教、美術、音楽、映像……。事例を挙げればきりがありません。

今世紀に入ると、既成作品へのアクセスが容易になるだけでなく、「創作」という行為すらもハードルが低くなりました。初音ミクの登場は、自らが音楽の作り手になりうる「相棒」を与えたという意味で非常に画期的だったと思います。また、ニコニコ動画や YouTube は、若い文化の担い手が作品を発表する「場」を提供することにつながりました。

こうしたコンテンツ普及にまつわる環境が整った延長線上に、動画配信サービスがあるのかなと思います。

そう思うと、こうして note を書いているのも、アマプラを視聴しているのも、「いま」という時代ゆえの現象なのでしょう。数十年後、「じいさんの若い頃はアマプラっちゅうものが人気でな」なんて会話が成り立つのかもしれませんよ。

それでは、今日はこのへんで。
ありがとうございました。

小清水志織




いいなと思ったら応援しよう!