信号
その町には赤信号がなかった。
町中にある信号はすべて青信号で、みんな好き勝手に道路を渡るのだ。
歩行者も自転車も自動車も、とにかく自分の好きなタイミングで信号を渡るものだから、あちこちで交通事故が起きた。
先日、その町に赴任したばかりの市長は、現状に見かねて赤信号の設置を提案した。
そうして町中の信号が、赤と青の二色になった。
これで事故も減少するだろうと考えていた市長だが、変わらず町のあちこちでは事故が多発していた。
「一体どういうことだ!」
市長は不思議になって町へ飛び出した。
町の皆は、赤信号でも変わらず道路を渡っている。
どうしてルールを守らないのかと、市長は赤信号でも道路を平然と渡っていた一人の男を捕まえて問い詰めた。すると男は不思議そうにこう答えた。
「赤信号? ああ、確かに色鮮やかになりましたよね、信号機」
男は赤信号の意味をまるで知らなかったのだ。市長は慌てて説明をする。
赤は止まれ。青は進めだと。しかし男はまるでわかっていない様子で、首を傾げた。
「それって誰が決めたんですか?」
そう言われると、市長は答えることができなかった。
「国ですか? あなたですか? どちらにしろ、俺たちはそんなこと聞いてませんよ。聞いてもいないことを守れと言うんですか?」
市長は言葉に詰まり、結局何も言い返すことはできなかった。
「それに俺たちには必要ありません」
最後にはとどめの言葉を言われてしまう。
ついに市長は何も言い返すことができないまま、とぼとぼと帰るはめになった。
その帰り道、トラックに跳ねられた。
当たり前のように赤信号でも進んできたからだ。
市長の体は大きく飛んでいき、ぐしゃりと音を立てて地面に叩きつけられた。
それからしばらくすると、むくりと体が起き上がる。
市長は、あらぬ方向へと曲がってしまった首や腕を、バキバキと音を立てて元に戻すとまた平然と歩き始めた。
「いくら不死身だからって、ルールは必要だよなぁ」
ぼやくような一人言は、迫ってきた車の音にかき消されて聞こえなかった。