11/27 胸ポケットにカントリーマアムがいる

よくもまあ寝たなと思う。
ふて寝してそのまま眠り続けた。
起きると5時半、そのまましばらく布団の中であたたまり、諦めて身体を起こす。
日記を書いて過ごし、子どもたちが起きてきた。
いつも通り、普通に、「ねぇおかあさん」と話しかけてくれ、わたしもなに?と普通に返事をする。
何か思うところがあるのだろうな。
娘は「あ!きかずだ!」と指さし、わたしも「あ!きかず!」と指をさしあい、ぎゅーーーーっと抱き合った。
(きかずって普通に使うけど方言なの?調べてみると方言みたく、やんちゃ、わんぱく、強情という意味らしいです)
わたしは子どもと同等に感情を出してしまう、どうしようもないお母ちゃんであるけど、さっと謝って、うじうじ引きずりゃしないよ。
そんなの当たり前だろって話なのかもしれないけど、わたしの周りのいわゆる「家族」ってひとたちはわたしに謝ることなんてなかった。
謝られたこともないし、わたしが叱られた時はわたしがごめんなさいと話しかけるまではその当日を超えて、次の日もまたその次の日も平気で無視し続けられた。
わたし以外の者たち(おじいちゃんと父は除く)で結託し、わたしだけ疎外されて過ごし続けるのだ。
そういう家だった。そういうのが家族であった。
本当に自分は家族に対することは拗らせてるなとつくづく思う。
家族以外のひとに対しては付き合い方がだいぶ身についてきたとは思うのだけど、家族に対してはてんでだめだ。
あんな家で育ったからといったらそうかもしれないけど、それを理由にはしたくないという意地もある。
考え出したら次々と溢れてきてしまう。
断ち切って、外に出る。
仕事なんだけど、本当は規則としてはいけないのだけど、利用者の方にカントリーマアムをもらった。
お腹すくでしょ、これ食べて頑張ってね。
その気持ちが嬉しいという綺麗事みたいなことも本当のことではあるが、なにより、カントリーマアム大好きである。
いただいたカントリーマアムを胸ポケットに入れた。
入れて働いて、働いているとカントリーマアムの存在に意識がいかず忘れている瞬間瞬間はあるのだけど、かさっと袋がすれる音がするたびに、その存在は呼び起されてわあ!とときめく。
わたし、今カントリーマアム持ってるんだった!
胸ポケットにカントリーマアムがいる。
それだけで強くなれるんだ、わたしたちは。
一仕事終えて、有難くいただいた。
学校から帰ってきて息子が、今日は「ダジャレ言っていい?」ではなくて「上から読んでも下から読んでも同じ言葉言っていい?」と言ってくるので、お願いします。
「わたしまけましたわ」
ただ、聞いただけじゃ回分になっている実感が得られなくて、え~本当~?と言いながら紙に書いて確かめてみると本当だ。
「学校で習ったよ」と言っていた。
夜ごはんは豚汁。困ったときは豚汁。
食べ終えて、テレビを観ていると、子らが当たり前のような顔をしてわたしのひざに座ってくるから「お母さんはベンチではありません!」と言うとウケた。
とうとう二人同時に太ももの上と伸ばした足の上に場所を作り座り始めて、わたしは本格的にベンチ化した。
時間になり、目覚まし時計から時間ですよ~とヒーリングミュージックが流れてきて子どもたちは眠った。
子どもたちと然程揉めずに(然程ということは多少は揉めてる)一日が終わった。
そういう日は安堵がすごい。

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