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001_大会まで行われた、おそらく世界で一番安上がりだったブーム「紙ヒコーキ」

みなさんは、一枚の紙があったら何をしますか?
私は、紙ヒコーキを折って飛ばします。

こんにちは。トレトロです。名前のとおり、レトロが大好きです。
フリーランスのWebディレクター兼デザイナーをしています。

レトロ好きの仲間の飲み会で、よく昭和50年代(1970年代後半)の話をして「なつかしい!」と、皆で盛り上がっています。

そこで、勝手にレトロなお裾分けということで、
昔の話をnoteにまとめることにしました。

子どもの頃に、突然やってきたブームについて書いていこうかと思います。

あくまで、私の周辺の狭い話となってしまいますが、楽しんでいただけますと幸いです。

さてさて、今回のブームは・・・

紙ヒコーキブーム

私が小学3-4年生の頃、紙ヒコーキブームがやってきました。
なぜ流行ったのか、いまでもわかりません。(覚えていません・・)
皆ノートをビリビリと切り離し、思い思いにヒコーキを折って、休み時間に飛ばしていました。

最初は、速度を競うような、ダーツのような的当て的な遊びが主流でした。
そのため、ヒコーキは細長く、先っぽが尖ったような形が主流で、飛ばすというよりは、投げるに近い感覚でした。

よく見る形だと思いますが真っ直ぐに飛ぶヒコーキ / 刺さると結構痛いです
上のヒコーキの別ver / 先端が折られて少し重くなり若干速く飛びました
ウラ側から見るとセミの顔のようにも見えるため「セミ(型)」とも呼ばれていました

そのうち、徐々に滞空時間を競うようになり、ヒコーキの形も変わっていきました。
どうすれば、より長く飛べるのか、自分なりに研究する者も現れはじめ、ただの遊びが競技っぽくなっていきました。

一号機の誕生

紙ヒコーキは自分のクラスだけかと思いきや、どうやら、上級生の間でも流行っていたようで、放課後、近所のお兄さんにどうすれば長時間飛ぶのか、お互い子どもながらにディスカッションをしていました。

そのときに、上級生のお兄さんに見せてもらったのが、ツバメ型と呼ばれるヒコーキでした。
ところどころ、指でちぎった異形のヒコーキ。嘘みたいに早く、滞空時間もそこそこある!ほんとにツバメのように飛んでいるのが印象的でした。

残念ながら、作り方は教えてもらえませんでした。
お兄さん曰く、「オレが考えたヒコーキだから簡単には教えられない」

いま、ネット検索すると結構な数の記事がヒットするので、実は全国的に有名な部類に入るヒコーキかもしれません。

さて、家に帰れば、父親ともヒコーキ談義。
よく新聞の折り込み広告で、あーだこーだとヒコーキを折っていたのを憶えています。

そしてある日、ようやく一折のヒコーキが完成しました。

当時、私たちの間では一号機と呼んでいました。
そのヒコーキは、これまでのものと比較にならないほど、よく飛びました。

一号機の折り方覚えてました

一号機以降、紙ヒコーキブームはさらに加熱し、一号機に続けとばかりに、紙を折る日がしばらく続くのでした。

ますます加熱するヒコーキ開発

いままでは、休み時間に折っていたヒコーキでしたが、授業中にも折り始める者が出始め、試験飛行させる者まで現れました。
当然その都度授業は中断され、罰として廊下でビンタや太ももを竹ざしで叩かれました。(当時は普通に体罰がありました。)

また、テストの答案用紙返却の際には、その答案用紙をもヒコーキにする強者も数人いるほどでした。

紙ヒコーキ大会

日々、ヒコーキ体罰が当たり前になりつつあったある日の授業中のこと。
いつもにも増して、ヒコーキでクラス内がザワついていたと思います。

そして、誰かの飛ばしたヒコーキが黒板にあたり、全員が「あ・・」となった瞬間、黒板に向かい何かを書いていた先生が教室の方を向き、
ひとこと・・

「授業はやめます!そんなに飛ばしたいなら好きなだけ飛ばしたらいい!」と、急遽、紙ヒコーキの時間になりました。

今まで自由気ままに飛ばしていたヒコーキ野郎たちが
「なら、紙ヒコーキ大会やろうぜ!」と言い出し、
滞空時間を競う大会をすることに。

ルールは簡単。
2Fにある教室のベランダからヒコーキを飛ばし、地面に着地するまでの飛行時間を競うというもの。先生が体育で使うストップウォッチを持ってきてくれ、先生の掛け声とともに飛ばします。

5分後に開始ということで、参加者(ほぼ男子)は席について思い思いに自分のヒコーキを折り始めました。
いろんな形のヒコーキが出揃い、皆ベランダからヒコーキを飛ばします。

私は、一号機を飛ばし、見事クラス一位になりました!
確か、90秒近く飛んでいたと記憶しています。うまい具合に風に乗ってゆらゆらと飛んだんですよ。
先生にほめられました。

Xデーは突然に・・

紙ヒコーキ大会のあと、うそのようにブームが去っていきました。
皆各々、自信を持って開発していたヒコーキの性能が、突然、数値として評価されて満足してしまったようでした。

私は大会後も、ヒコーキを折って飛ばしていましたが、
「ゴミ投げるなよ」と一号機がゴミ扱いされるようになっていました。

あの異様なヒコーキ熱はなんだったんだろう?

多分、子どもの頃には、よくある話だろうと思います。
熱しやすく冷めやすい・・。

親の財布には非常にありがたい、安上がりなブームでした。

(おまけ)当時の生活環境など

ドラえもんに出てくるような空き地はけっこうあったように思います。(土管はなかったです)
草ボーボーで整備がされていない空き地がほとんどでしたけど。

ヒコーキもそんな空き地で、上級生に混じってよく飛ばしていました。
私の住んでいた場所はいわゆる住宅密集地域で、まわりは畑に囲まれている程よい田舎でした。
どれくらい密集してたかというと、自分の部屋の窓を開けると隣の友人宅の窓が50-60cm先にあり、お互いに窓を開け、夜な夜な窓越しに話ができていたくらいです。

近所にはたくさんの子どもで溢れかえっていて、放課後ともなると、キャーキャーという声が飛び交います。
(いまなら、「うるさい!」と言われるかな・・?)

ピアノの練習音が聞こえてきます。
アニメの歌を歌う、どこかの子どもの声も聞こえてきます。

皆、そこらへんの道で、キャッチボールや野球をしていました。
もちろん、使うのは、中身が空洞の柔らかいゴムボールです。
バットはプラスチック製。

モータープール(駐車場)では、野球したり、駐車してあった軽トラの荷台に乗ってママゴトしたりしてました。
特に怒られたり、咎められたりしたことはなかったです。

いまでは考えられないような環境でした。良くも悪くも寛容・・。

そんな町に、ある日、事件が起こるのですが、それはまた別の機会に・・。

自然と地域の皆で子どもを守ろう、育てようという考え(?)があったように思います。よそのお母さんがよその子どもを叱ったり、怒ったり、おやつをくれたり、家に呼んでくれたり、地域で家族という感じでした。

その後、モータープールに駐車している方からの苦情が相次ぎ、モータープールへの立ち入りは禁止となりました。(まぁ、当然ですよね・・)


今日のお話はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。

次のブームでまたお会いしましょう!


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