004_ロボット+トモダチでロボダッチ!!子どもたちが目指した夢の島、ロボッ島!
人間だったらトモダチだけど、ロボットだから
ロボダッチ!!
こんにちは。トレトロです。名前のとおり、レトロが大好きです。
フリーランスのWebディレクター兼デザイナーをしています。
レトロ好きの仲間の飲み会で、よく昭和50年代(1970年代後半)の話をして「なつかしい!」と、皆で盛り上がっています。
そこで、勝手にレトロなお裾分けということで、
昔の話をnoteにまとめることにしました。
子どもの頃に、突然やってきたブームについて書いていこうかと思います。
あくまで、私の周辺の狭い話となってしまいますが、楽しんでいただけますと幸いです。
さてさて、今回のブームは・・・
ロボダッチブーム
イマイのイマイのロボダッチ〜♪
この歌を歌える人は結構いるのではないでしょうか。当時TVCMでよく流れていました。
ロボダッチは、今井科学(イマイ)が発売したプラモデルシリーズです。1975年発売といいますから、私がまだ小学生になる前ですね。
でも、私が憶えているのは小学生になってからです。模型店の入り口付近で箱が色褪せた状態で無造作に置かれていました。
私が初めて買ってもらったのは、おそらくドリームマンションです。(うろ覚えです)
マンションと手のひらサイズのミニフィグ6体がセットになっていて、組み立ては簡単で、すぐに遊べるものでした。
近所のT君は、もっと大きな「大木」や「りんごっ木」を持っていてよく一緒に遊びました。
実は、私のまわりでは、ロボダッチにハマっている友人はそれほどおらず、ごく一部で流行っているという感じでした。
種類がわんさかごちゃまん
ロボダッチシリーズは種類が豊富にあり、
ラインナップは大きく分けて4つあったと思います。
・小型 → 4体セットシリーズ(4キットの箱がシュリンクされてました)
・中型 → ロボ単品シリーズ(上記のセット売りより大きめのロボ単体売り)
・大型 → 〇〇基地など(施設模型とミニロボ数体のセット)
・超大型 → ロボッ島シリーズなど(島ベース模型とミニロボ数体のセット)
小型と大型、超大型のものは比較的見かけましたが、中型のものはあまり売られているのを見かけませんでした。
キットを購入すると、発売中のラインナップチラシが入っていましたが、店頭で見かけないないものばかりでしたので、とても残念な思いをしたのを憶えています。ガマロボ欲しかったなぁ・・
当時、私は大型キットが好きでした。付属する施設模型がなんだか秘密基地みたいで子ども心をくすぐられたのです。
ガイコツ砦は、その中でもお気に入りでした。砦のトビラは、L字クランクを回すとゆっくり開くギミック付きでした。
ついに憧れのロボッ島へ!
そしてついに、憧れのロボッ島が!
誕生日プレゼントで「大島」を手に入れました。
ほんとにうれしかったですね。
作った後は、ひとりで妄想しながら一日中遊んでましたね。
翌年の誕生日には「宝島」も手に入れ、同様に妄想遊びに耽ってました。
近所のT君も持っていて、よくT君の家で2人で妄想遊びをしてました。
彼は、数少ないロボダッチ仲間のひとりでした。
いったん離れ、また再燃!
小3くらいまでハマっていたロボダッチですが、
一旦休止することになります。
ガンプラの登場です。
ガンプラにハマり、しばらくロボダッチから離れていましたが、
また再燃します。
ミニロボダッチセットの登場です。
ミニロボダッチが12体セットになったものでした。
中でも、スペース★ガウォークセットやプロレスセットは大人気で、私のまわりでロボダッチにハマらなかった人たちも買っていました。
ガウォークセットは、いままでとロボデザインのテイストが変わっていて、私はあまり好きではありませんでした。
私のロボダッチブームは、ここで終わります。
以降は、店頭でもほとんど見かけなくなりました。
認知度が気になるところですが、飲み会などでロボダッチの話をすると
「ああ!あったね!」くらいには、みんな知っていたようです。
大人になってから、あの合体マシンのアオシマから「宝島」が復刻されました。もちろん、買いましたよ。
当時勤めていた会社から徒歩5分のところの模型店へ、昼休みに買いに行きました。
かなり大きな箱ですので、帰りの電車では少し恥ずかしかったです。
買ったは良いが、キットも大型で、作ったところで置く場所がない・・
最近はこのような悩みが多く、趣味のものばかりを置いておける部屋を一室借りようか、検討中です。
ロボダッチマンガって知ってるかい?
2015年、ロボダッチのマンガが全2巻で復刻しました。
博物館と称しパッケージアートや貴重な資料がほぼカラーで紹介されています。もう、これだけで買いですよね。
表紙に描かれているのは、タマゴローです。(と、ロボZたち)
ロボダッチを知らない人でも、彼(ら)のことは知っている人はけっこういるのではないでしょうか?
(オマケ)おばあちゃんと私
私は昔からおばあちゃん子で、週末や連休によく泊まりに行ってました。
おばあちゃんは、私が寂しい思いをしないようにとプラモデルを買ってくれましたので、おばあちゃんちの2Fでもくもくと作ってました。
また、誕生日、夏休み、冬休みなど大きなイベントがあると高価格帯のプラモデルを買ってくれました。
そのときは、普段買えないような5,000円近くする大型のプラモデルや、
1,000円を超えるプラモデルを4-5個まとめて買ってもらいました。
おばあちゃんちの近くに駄菓子屋があり、泊まりに行くと必ず、100円をもらって一日2回通っていました。
駄菓子屋さんでは駄菓子はあまり買わず、1回20円のガンダムシールくじや、ファミコンシールくじなどをひたすら引いていました。
シールは一枚ずつ個別に袋に入っていて、シール裏面に「当たり」が出るとそのシールを貼るためのミニアルバムがもらえました。なかなか当たらないんですけどね・・
子どもの頃を振り返ると、おばあちゃんと過ごした記憶が圧倒的に多いです。子どもに必要な躾なども、おばあちゃんから教わりました。
おばあちゃんは、10数年ほど前に亡くなりました。
お通夜でおばあちゃんの死顔を見ましたが、不思議と涙は出ませんでした。
ところが、お葬式が終わった翌日、出勤すると急に悲しくなって涙が止まらなく、声を出して職場で泣いてしまいました。
以降、仕事が何も手につかず、結局その会社を辞めてしまいました。
きっと、おばあちゃんなら「なにを情けないこと言ってるの!ちゃんと職務を果たしなさい!」と言っていたでしょう。
いまでもおばあちゃんの夢を見ます。
何もしゃべってくれませんが、にっこり笑って立っています。
現在、おばあちゃんの家は取り壊されたため、ありません。
たまに、かつてのおばあちゃんちの近辺を歩きに行きますが、かなり景色が変貌していて驚きます。
よく通った模型店もありませんでした。
ネットで調べると、マスターはだいぶ前に亡くなり閉店されたそうです。
仕方のないことだとは分かっていても、
なんだかちょっと寂しい気持ちです。
今回のお話はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。
次のブームでまたお会いしましょう!
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