006_突然やって来たコマブーム。ベーゴマと共に去りぬ・・
みなさんはコマを回せますか?
当時の私は、一日練習して回せるようになりました。
こんにちは。トレトロです。名前のとおり、レトロが大好きです。
フリーランスのWebディレクター兼デザイナーをしています。
レトロ好きの仲間の飲み会で、よく昭和50年代(1970年代後半頃)の話をすると「なつかしい!」と、皆で盛り上がります。
そこで、勝手にレトロなお裾分けということで、
昔の話をnoteにまとめることにしました。
子どもの頃に、突然やってきたブームについて書いていこうかと思います。
あくまで、私の周辺の狭い話となってしまいますが、楽しんでいただけますと幸いです。
さてさて、今回のブームは・・・
コマブーム
その日、おばあちゃんちの前でコマ回しの練習をしていました。
なぜコマだったのか?
・・・思い出せません。
おばあちゃんちの近所の駄菓子屋で、
100円で購入した記憶だけはあります・・
そのときは、特にコマが流行っていたわけではありません。
おばあちゃんに、紐の巻き方を教わって、その日はずっと練習。
結局その時は回せなくて、夜、家に帰ってから父にコツを教わり
回せるようになりました。
技の魅せ合い
皆コマを学校に持って来て、休み時間には渡り廊下で回していました。
最初はどれだけ長く回っていられるかという、耐久レースのような遊びが主流でした。
そのうち誰かが、「オレ、机の上で回せるぜ!」と机上で回し始めると、
「オレはイス!」「オレは本!」と回すフィールドが次々に変化していき、
最終的に、掌で回すのがスタンダードになっていきました。
いわゆる、手乗りゴマの誕生です。
その後、どれだけ高い位置から手乗りできるか?など独自の遊びが発展していき、皆、技を磨き始めました。
当時、皆が当たり前にできたのが、「手乗り からの 綱渡り」という基本技でした。
あの頃は、ただただコマを回すのが楽しかったですね。
ただナゾなのが、なぜあんなに流行ったのか?ということです。
記憶を辿っても、うまく思い出せないんですよね・・
やっぱり、ケンカだよね
誰かが、自分のコマを誰かのコマにぶつけたことで始まった
「ケンカゴマ」。
ルールは簡単、交互に相手のコマにぶつけ合って回転が止まったら終了。
回り続けていた方の勝ち。
ぶつけ方は、紐の両端を持ってピンと張り、その状態で自分のコマを相手のコマに向けてプッシュするという方法。
当時のコマは木製が主流だったため、意外とすぐに決着となりました。
軽いからです。
勝負ゴトとなると、やっぱり勝ちたくなるのが男子のサガ。
重量に目をつけた誰かが、コマの側面に鉛の板を貼ることを思いつき、瞬く間に流行り始めましたが、そう上手くはいきません。
コマのバランスが崩れ、ケンカする前にこけてしまうという・・
それ以前に、回すのが難しい。
その後、私たちの需要を見つけたのか、メーカーから鉄(?)の輪を巻きつけたコマが発売され、皆買っていました。ずっしり安定感がありましたね。
木製コマなどは、ぶつけに行っても簡単に弾き返されます。
ただ、その鉄の輪コマはそこまで流行りませんでした。
バランスブレーカーでしたので、純粋にケンカゴマというゲームがつまらなくなったからです。
ケンカゴマは、ほんとに流行ってました。
校内はもちろん、放課後は校庭、家の近所などあらゆる場所で見ることができました。
技も手乗りゴマの発展形の「ツイスト」「足乗せゴマ」など、独自の遊びが開発されていました。
高級おもちゃ? 幻のコマ「トップ」登場
皆さんは「トップ」という名のコマをご存知でしょうか?
コマブームの末期に突如現れた、新型のコマです。
縦長の独特のフォルムに、プラスチック製のボディ。
特徴的なのが、軸にバネが仕込まれていること。
軸を押すと、軸が出たり入ったりします。
当時、コマの価格帯はだいたい100〜300円ほどだったかと思いますが、
このトップというコマは500円以上していたと記憶しています。
おそらく、その形状から海外の「スピントップ」というコマの日本版ではないかと勝手に思っています。
私も含め、持っている友人は数名いましたが
そこまで流行っていなかったと思います。
(ネット検索しても画像が出てきませんでしたので、
全国的にもそれほど流行ってなかったのかもしれません。)
このコマの登場後、なぜかベーゴマをやり始める人たちが現れました。
あの鉛の塊です。
私はベーゴマの練習を必死にしていましたが、
その間にコマブームは静かに去っていました。
結局、ベーゴマも流行ることはありませんでした。
(おまけ)転勤と転校と
コマブームがやって来たのが小学4年生くらいでした。
親の仕事の都合で、転校する人が多かったのもその時期です。
私が好きだったクラスの女子E.Kさんから
「私が転校するって言ったら、寂しい?」と聞かれたときは
嘘だと思っていたので「別に・・」と答えました。
その3日後くらいに、学級会でほんとに転校することを担任の先生から聞かされたときは、頭が真っ白になりました。
お別れ会の最後、E.Kさんが私の方へ近づいて来て
「じゃあね」とニコッと笑って去っていく後ろ姿は今も憶えています。
去る者あれば来る者もありで、
異様に足の速かったEくんや、男子より体が大きく力の強かったYさんなど
転校生がやってきました。
ちなみに、Yさんは「怪力」と言うあだ名を付けられていました。
この怪力さんには思い出があって、
転校初日に、休み時間に皆でドッジボールをしていて
休み時間終了のチャイムを無視して遊んでいたら
担任の先生に怒られ、転校初日から廊下に立たされ泣かせてしまったという
苦い思い出が・・
実は、怪力さんは、チャイムが鳴ったとき
「もどらないと不味いんじゃ・・」と言っていましたが、
「だいじょうぶ、大丈夫!うちの学校日本一ゆるいから」
とテキトーなことを言ってつき合わせてしまいました。
今日のお話はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。
次のブームでまたお会いしましょう!