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デイケアとデイサービス

デイケアとデイサービスの違いが分からないと、話にならない。
上司が営業会議で言い放って、一週間。
デイケア職員の思考が停止している。
会議の後で調べたのか、元々知っているのか、知らないけれど調べる気がないのかどうなのかは分からないけれど、デイケアとデイサービスの違いについて、仲間同士で議論を戦わせている場面を見たことはない。

私が勤めている事業所には、デイケアとデイサービスがある。
しかし、共存出来ているかといえばそうでもない。

介護保険法でいうデイケアとデイサービス。
もちろん人員基準も違うけれども。
それだけじゃないことを職員全員が理解しているのかどうか。
「前々から後回しにされてきてたけど、ここへ来て、デイケアは試されてますよね」
私の心の中の彼が、会議の内容を書いた私の走り書きを読みながら、ため息をついた。

ハヤくん、としておこう。
ハヤくんは、夏の最中に入職した私に相談員の業務を教えてくれた先輩で、夏の終わりにこの世を去った。
年齢こそひと回りも下だったけれど、物腰穏やかで仕事が丁寧な彼に私は好意を寄せていた。
この世を去った後も、私の心の中にはハヤくんがいて、困った時にアドバイスをくれる。
仕事から離れたのに、まだ職場にいて、利用者さんに寄り添ったり、ファイルに目を通したりしている、まじめな仕事人間だ。

先日、とっても良い天気だった。
私は上司に、良い天気だから、デイサービスの利用者さんのお昼は外で食べませんか、と提案した。

その案は即採用され、デイサービスの利用者さんには青空ランチを堪能していただいた。
テーブルや椅子を外に出して、利用者さんに呼びかけて全員の賛同を頂いた後、外へご案内し、配膳車を出入り口近くに寄せて外のテーブルに配膳、食前の口腔体操も外でやることにした。

いつもの昼食だけど、テーブルを外に出して食べる。外の風が、木々の葉ずれの音が、鳥の囀りが、太陽の眩しさが感じられる。なんて新鮮なんだろう。
「ああ、気持ちいい。さかきさん、素晴らしいと思います」
ハヤくんはみんなを見渡せる一番良い場所で、眩しそうに目を細めながら、興奮気味に利用者さんたちを見守っていた。

美味しいね、と言いながら、ご飯を頬張る利用者さんの笑顔を、営業担当が画像に収めていく。
私が声をかけたケアマネさんが様子を見に来てくれて、「これ、良いですね!他のケアマネや事業所にも宣伝しときます!」と約束してくれた。
主任が私の近くに来て、「ハヤも喜んでると思う。あいつはいつも、これをやりましょう、あんなイベントをやりましょうって言ってたんだよ。今まで一度も出来なかったんだ。それが今日、やっと叶ったんだから」涙ぐんでいた。

日差しが強くて暑かった、というご意見があり、職員が日傘を差して凌いだという反省点もあるが、たまにはこうやって外で食べるのも新鮮だよね、美味しく感じるよ、と高評価をいただいたことも事実。
ただし、デイサービス職員からは、「さかきさんが言い出さなかったら、上司は動かなかったと思う、またよろしくね」と言われた。

そしてデイケアの職員からは、「デイサービスは外でご飯を食べているのに、なんでデイケアは外で食べちゃいけないの?」と予想通りのご意見。
ハヤくんは、「さかきさんが上司に言うから出来る、じゃいけませんね。最終的にはデイサービスの介護職員が提案して、出来るようにならなきゃダメなんです」と言った。
ハヤくんは現実にはもうこの世にいない。私が知るハヤくんは、物静かであまり自分の考えを語ろうとしなかった。だけど、私の心の中ではやたら饒舌だし、指摘も痛烈だ。
「デイケアの職員も、外で食事ができない代わりに、動けるようにならなきゃいけないと思います」と彼。
「そうですね、リハビリのために来ている利用者さんは納得できないですよね」
「そうなんですよ、仰る通りです」
私の言葉に、ハヤくんが白髪混じりの髪を揺すって大きく頷いた。

私は主任に言った。「私は、ここのデイサービスもデイケアも、ハヤさんが一生懸命守ってきたように、世の中で生き残っていけるようにお手伝いするだけです」
ハヤくんは、デイサービスとデイケアの可能性にどれぐらい希望を抱いて、どれぐらい失望を繰り返したんだろう。
「デイサービスではいろんなイベントをやりたいのに、デイケアでは出来ないことが多いから、今までは機嫌を損ねないようにデイケアにお伺いを立てないといけなかった。でもそれでは共倒れになってしまう」と、前々から上司が嘆いていた。
「ハヤはいつも言っていたんだ、このままでは本来あるべきデイサービスのサービスを提供できないって」
私が上司に提案できたのは、多分、彼が私の背中を押してくれたからだと思う。そして何より、主任が首を縦に振ってくれたのは、彼の存在があったからだろう。

私の手腕などではなく。
彼の死でみんなが目覚めて、やっとデイサービスらしいことができた。

お昼の休憩中、口を尖らせるデイケアの介護職員に、リハビリ職員や看護師が口々に説明していた。
私から言ったのは、「デイサービスの企画で用意する理由は、天気がいいから、利用者さんが同意してくれたから、でいいんです。デイケアはどんな利点や効能があるのかを、利用者さんに説明できなければいけないんです」ということ。
デイケアはリハビリ、訓練の場、デイサービスは生活の場。これがデイケアの存在意義や、デイサービスとの違いに関わってくることなのだから。

夕方、介護職員に書いてもらった企画書をコツコツとペンの頭で叩いて、ハヤくんが私に見せに来た。
そうして、「さかきさんのおかげで、やっとスタート地点に立ちましたよ」と言った。
「これ、わたしが死んだから、やっと動いたんですかね」自虐的に彼が言う。
「ハヤさんにはそうじゃないって、言いたいところですけど、残念ながらそうだと思います」
「ははっ、やっぱり犠牲が必要なんですよ」
私の答えに、ハヤくんは鼻で笑う。視線はもう、私には向いていない。
「このままだと、すぐ元通りになると思います。そうなったら、また別の誰かが犠牲にならないと気がつかないと思いますね」
「その犠牲、さかきさんはなっちゃダメですよ」
「努力します」
彼と目が合った。私に向ける視線は、穏やかなものだった。私も体ごと彼の方を向いて、彼の目を見た。
目を閉じて、首の動きだけでお辞儀する。短い付き合いだったけれど、彼の真似をした二人の挨拶。
「ハヤさん、この企画書をもとに、繰り返し使えるようテンプレ化を主任に提案しましょう。思いついた時に介護職員がいつでも、ここに気をつけて実施する、という企画書が立案できるように。反省点は随時更新して改良してもらいましょう」と私が提案した。
「名案だと思います」
「それから、デイサービスの職員からは、あれもしたい、これもしたいという複数の意見があります。箇条書きにして、主任に提案しましょう」
「はい、今後は介護職員が定期的に企画書を提出し易いように、デスクトップに企画書のショートカットを貼っておくと良いかもしれませんね。それはさかきさんがやってください」
「分かりました」
私の案を、彼はいつも肯定してくれる。
「デイケア職員へのフォローは看護師にお願いしました。リハビリの先生にデイケアのイベントの監修を依頼するよう主任に提案しましょう」また、私が提案した。
「あの先生が、提案を呑んでくれると良いんですけどね」
「そうですね、主任の説明次第だとは思いますが」
「主任命令とか、やり方が強引にならないと良いよねー」と、急に友人に話すように、彼がゲーミングチェアの背もたれに豪快に寄りかかり、苦笑しながら大きく伸びをした。
「それは私にも止められませんよ」細目の彼の目が、余計細くなる。私も釣られて苦笑した。

ハヤくんが世を去ってから、事業所が大きく変わろうとしている。
デイケアとデイサービスの差別化だけではなく、相談員の仕事内容の見直しとか割り振りとか、仕事量の削減とか。

悔しいことに、すべて、彼がこの世を去ってから始まったことだ。
誰かが死なないと、変わらないのか。誰かが死んでも変わらないのか。
前者も嫌だったけど、後者はもっと嫌だ。
ハヤくんの死を、無駄にすることになる。
「ハヤ『くん』」
「はい」
「死ぬんじゃなかったって、これからたくさん後悔させてみせますよ」
「是非、お願いします」
二人で目を閉じて、ひょいと頭を下げた。

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