忘コロナ企画その2「幻の立て看板」、そしてWBCを巡るアレコレ
2月の半ばごろから、コロナ禍をめぐる風刺画をベニヤ板に描いたものを「立て看板」として東大のキャンパスにでも立ててやろうと考えていた私は、3月のとある2日間を使って割と立派なものを製作した。
あとはこれをどこかに設置するだけだ…と思っていた矢先、ある問題点に気づかされ、「あぁ、これを設置したら逆効果になるわ」と猛反省。結局、製作された「問題作」立て看板の、ベニヤ板だけ引き剥がし、キャンパス内に置くこともせず自宅に保管してある。
思い返せば、「もうコロナなんて知らねえよ」というムードが流れつつあることは、街を歩けば分かってしまうことだし(渋谷のセンター街などは露骨だ)、勢力を減らしつつある「コロナ怖がり」派を挑発するようなマネはあんまりしない方がいいなぁと思ったのだ。ただ、この期に及んで感染対策緩和に文句をつけるくせに、WBCという野球のお祭りで興奮している風の医療関係者は皮肉ってやりたい。スポーツの快楽=熱狂、解放作用、身体感覚の充実etcを理解しているならば、それを阻害する感染対策を廃止する立場に立つべきだし、かつてそれを厳しく強いていたことについて一言なんか弁明しろよと思ってしまう。少なくとも、「感染対策に害は(ほとんど)ない」と主張するのはおかしい。そもそも、こんなことを主張してしまう人々というのは、スポーツや歌唱、性愛、大きくひっくるめてコミュニケーションの喜びというものを知らない、あるいはそれについてかなり鈍感なのではないかと勘繰ってしまう。私などは、「たとえ体育でも授業中はマスク」とかいうトンデモルールの下でスポーツをした経験があるわけだが、あの時のモヤモヤ感と言ったらなかったし、授業が開始してからしばらく経つとマスクを外す学生が増え始めたのも、結局はそういうことだろう。とにかく、WBCで感動した人々はなにかスポーツをやってみるといい。そして、感染対策の是非を改めて考えてみるといい。
WBCについても書いておこう。09年のWBCで野球にハマった私は、プロ野球への興味は上がったり下がったりで忙しいのだが、WBCは割と熱心に見ていて、今回も日本の試合はほとんど見た。前回大会で感動したのはアメリカ戦の菅野だったが、今回は1人に絞れない。メキシコ戦の吉田はカッコいいなぁと思ったし、村上のサヨナラヒットにはウルっときたし、アメリカ戦の山田の盗塁にはかなりビビっとさせられた。…ただ、今、お祭りが終わって思い返すのは、漫画『最強伝説黒沢』(福本伸行作)の第一話の例のシーンである。W杯を同僚と一緒になってワイワイ言いながら観戦していた黒沢が、突如として冷め、「他人事じゃないか」「他人の祭りだ」と自分に問いかけるシーン。私も根っこではその感覚があるので、「心の底からは」盛り上がりきれないところがある。Twitterなんかを見ると、「いかに大谷翔平を持て囃すか大喜利」みたいなものが流行っているが、その手のものには全然乗ることができないし、むしろ「他人を誉めそやしてばかりのてめえはどうなんだよ」と思ってしまう。スネ夫的な太鼓持ちの臭いを感じてしまうわけである。
立て看板の話はどこへやら…というくらい脱線したけれど、最近Twitterで呟いておきたいこともまとめて書いておいた感じだ。では、この辺で…