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映画「ネバ―エンディング・ストーリー」:想い出と、大人になって知ったこと
きっかけはこちらで。
記事の中に「はてしない物語」の話題もあって、色々思い出したのでまたamazonさんのお世話になって視聴。
この映画に、小学生のとき出会ったというのは幸せなことだったと思う。
動画サイトでテーマ曲&映像を視聴できたりもするけれど、それだけでも蘇る、当時の感動やワクワク感。
驚きと共に引き込まれた、実写映画のファンタジー世界は、今見ても本当に美しい。
とはいえ公開は1984年。当時としては目一杯だったとしても、現代と比較したら映像技術は段違いです。合成の画質なんかは如実。
所謂CGはほぼ使われてない(使えなかった?)ようで、だからこそファンタジー世界の不思議な生き物や建物・景色などは、特殊メイクや凝ったセット、衣装(着ぐるみ)や機械で作りこんでる。それがむしろ凄い。
結果的にこの時代特有のスタイルであり、ある種特別だったりもするんでしょうね。
「ET」とか「グレムリン」なんかが同時代。クリーチャーが合成画像ではなく、実際に作ったものを動かしてるあたり共通しているかと。
そして原作が原作だけに、物語としてのテーマも深いです。
ファンタジー映画としてのエンターテイメント性も高いのだけど、使命の失敗・挫折・世界の滅亡という(一旦は生じた)流れもけっこう痛烈に描いてるし。
ファンタジーの形を取ってはいるけれど、「人々が希望を持たなくなった世界がどうなるか」という事についても考えさせられる。
多少「モモ」にも繋がるテーマかもしれない。
色々な要素を織り交ぜつつ、子供も楽しめる映画としてよく纏まっていて質が高いと改めて思いました。映画としては。
・・・ただし。
かの原作者ミヒャエル・エンデ氏は、この映画の内容にまるで納得がいかず、むしろラストシーンには憤慨のあまりカットを求めて訴訟まで起こしたんですよね。
訴訟費用が映画化の収入を上回ってもなお争ったとか・・・。
主人公が、最終的にファンタジー世界の力を借りて(味方である竜に乗って)いじめっ子に仕返しをする、という展開がアウトだったようで。
(Wikipediaより引用)
数々のエンデ研究本で記載されているが、エンデは自分のファンタジー児童文学が現実逃避の作品として扱われていることに不快感を持っていたらしく、現実を生きるための教訓的なメルヘンを目指していたという点を考慮すれば、エンデが『1』と『2』で取ったスタンスが理解できる。
それもわかる。彼がそういうポリシーを大切にする作家であることも。
ただ一方で、自分も含め映画を観た子供の大半があのシーンに共感したであろうことも思う。
ていうか、あの場面で好きに願い事ができるならそりゃあファルコンには乗るだろう。乗りたかったよ、それは。
まあ、その延長として「自分の街を飛びたい」とか「他の子供にも見せたい」という非常に子供らしい発想からのユーモアやカタルシスの込められたシーンで、映画的表現としては良かった=受けたと思うのですが。
まあでも、そこは彼の価値観ではないんだろうな。
原作者本人が認めてない(そしてその思想も理解はできる)というのは複雑ですが。
ただ、たとえそうだとしても、当時の子供心としては出会えたことに感謝したい作品。
ファルコンには乗りたかったよね、ほんと。
改めて大人の目で見て気付いた事や、原則との思想的ギャップとおぼしき部分など、また追ってまとめられたら幸い。
それはまた別の記事で(←笑)