2と4と私|偶数と私 #1
おはようございます、灯です。
私は奇数人間なので、先に書きやすい奇数から書いたんですが、今回から偶数について書いていきます。
持っていない数字に対してどれだけ解像度を高めていけるのか、背筋を伸ばして挑戦させていただきます。
2
2は、ふたつの点です。
私とあなた、すなわち自分と他人(相手)ですね。
2って少し、鏡と似ている気がします。
鏡を見るとき、鏡の中の自分は自分とまったく同じ行動を取りますよね。
でも、鏡に映っているのは自分そのものではなくて(他人の目から見た自分が見られる鏡もありますが)、直接的に自分を目視することはかなわない。
2って共感力めっちゃ高いじゃないですか。
相手をそのまま受け止める、なんならちょっと同化して相手に関することを自分事にしてしまうところがある。
目の前の点(=相手)から目をそらせないんですね。
西洋占星術でいうところのオポジションのような感じだと思います。
相手のことはほぼ100パーセントわかる。
逆にわかりすぎて、自分のことをいったん脇に置いてしまう。
相手の気持ちに引っ張られて、自分の気持ちを後回しにしてしまう。
何か意見を求められたとき、今まで相手に向かっていた意識がいきなり自分に向いて、別に意見がないわけじゃないけど自分の中でまとまってなくて、まとめながら答えようとしてちょっと曖昧に濁してしまう。
2は優柔不断、なんて言われますね。
何かを選ぶことは他の何かを選ばない、ということです。
選ばない、そう決めるのは寄り添う力が強い2にとってつらいこと。
言ってしまえば、2にはすべての選択肢に寄り添う優しさがあるんですね。
でも、人生は有限です。
すべてに向き合う時間は残念ながらありません。
あなたは自分に対して意識が向きにくいところがあると思います。
なので、目の前にいる相手を注意深く見てみてください。
その人の中に必ず、あなたはいます。
あなたは相手を通して、あなた自身と向き合うことができます。
それはカケラのようなものかもしれませんが、たしかにあなたです。
ひとつひとつ大切に集めてほしい。
そうして浮かび上がるあなたらしさを大事にしてほしい。
4
4は四角ですね。
四角ってどこか枠のように感じます。
その枠の中は安全で、刺激的ではないかもしれないけど、コツコツと日々を積み重ねることができる。
人間ってちょっと枠を好むところがあります。
していいこととやっちゃいけないことが決まっているほうが動きやすいからです。
なのでルール(法律とか)を決めます。
ルールで決まっていなくても暗黙の了解や一般的な認識を意識しながら暮らしています。
そのほうが圧倒的にラクだからです。
毎日の流れをある程度決めておくとラクですよね。
朝起きてまずすることって、毎朝だいたい同じじゃないですか?
無意識に、無感情に、淡々と、同じことから朝が始まる。
その日の体調で変わる場合もあるけど、その日の気分でぐらつくことはない。
4の世界観ってこういう感じではないでしょうか。
毎朝、昨日と同じ朝を再現する。
この再現性は個人に対してだけでなく、仕事に対しても言えますね。
私はこの言い回しが嫌いなんですが、誰でもできる仕事、というものがあります。
誰でも、同じレベルでできる。
そこに力量の差はなく、独自の工夫も必要ない。
私は誰でもできるとされるその仕事を率先してやってくれる人に対して、尊敬の念を抱いております。
4を持っていない私からすると、誰でもできるなら私がやらなくてもよくない?と思っちゃう。
そこを率先してやってくれる、しかも別に嫌々やっているわけでもない、そういう人って貴重だし、世間的にもっと評価されてほしい。
特別な資格がなくてもできる仕事だからと、対価が低いのはおかしくないですか?
普通をこなすって難しいことですよ。
ちゃんと挨拶をする、無断で休まない、分け隔てしない、ルールを守る、ミスはすぐ修正、自分の判断で勝手なことをしない、これを毎日繰り返す。
こんないい人ってそうそういませんよ。
4持ちのかたには「普通」とか「いい人」とか飽き飽きでうんざりされちゃうかもしれませんが、世界を支えているのは4の力だといっても過言ではないと私は思います。
ご自身のすごさをなめないでいただきたい。
あなたが「普通」に「誰でもできる」と思っていることは、意外と誰にもできないんですよ。
つまり、あなたは普通じゃない。
なんだかどんどん長くなってきている気がしますが、大丈夫でしょうか……?
次回は6と8について書かせていただきます。
偶数と私としては最終回ですね。
ぜひお付き合いくださいませ。